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Night-night  作者: スガリ
第4話 未だ泣かないラプンツェル
24/32

6

 目を引くほどの長い髪というのも珍しいはずだ。

 それも、窈のような黒くまっすぐな髪ではなく、茶色っぽくゆるく波立ったものらしい。

 すぐに特定できそうなものなのに、意外なことにリヤンの顔は苦々しかった。

「どうも若狭さんのお友達にも思い当たるところはないそうで」

「まあ、髪型によっては長さが分からないようなものもあるけど…珍しいね、調査にかけてリヤンが手こずるなんて」

「申し訳ございません」

「気にしなくて良いよ。だけど、変な話ね。若狭さんの恋人だろうに、彼の周りの人は“彼女”を知らないなんて」

「『ラプンツェル』……塔の上の囚われの姫とは、本当に西宮さんは良いセンスをしていらっしゃいます」

 期せずして、ということだろうが、あまりに皮肉な話だ。

 若狭夏野が失いたかった記憶について、知っている可能性のある女性。何とかして会えれば良いのだが、依頼の性質上、急いだ方が良い。

「とりあえず、若狭さんが昨年一人旅なさったという場所を当たってみます。……千歳様、ご同行願えますでしょうか」

「え?」

 まさかそんな風に話を振られるとは思っていなかった所為で、若干間の抜けた声が出る。同時に、脳裏に今日の日付が浮かぶ。

 学年末の試験まで、そう猶予はない。リヤンのことだから、頷けば今日中には車に乗せられているはずだ。いくら普段それなりに勉強しているとはいえ、告げられた地は遠い。名指された理由もよく分からない。


「……何でだろう…」

 そう思ったのに、車窓から夜を見ている自分に思わず千歳は嘆息した。少なくとも明日の学校は欠席決定だ。車内に持ち込んだ教科書類で何とか埋め合わせようと決めるが、とりあえず今の暗さで勉強は無理だった。

 好奇心ではない。リヤンが居れば、大体の場合で自分は要らないような気もする。学校とて先程考えていたとおり休むことに不安があって、断る理由などいくらでもあったはずだった。西宮七重が切羽詰っていたからといえるほど優しくもなれていないと思う。

 だとしたら、もしかすると。

 思いついた理由の我がままさに、思わず自己嫌悪した。

 何も分からないまま喉を押さえるのはもう御免だったから、のようだった。


 母親に関して千歳が覚えていることは、実は少ない。一緒に暮らしたのは小学校に上がる前までだから、当然だといえばそうかもしれない。

 小柄な、細い手の人と記憶している。化粧品の匂いが薄く、少女が延長して成人したような人だった。

 本当に、あらゆる意味で、少女から抜け出せなかった女性だったと、今にして思う。

 ファンタジーの主人公になれなかったのに、捨てきれなかった人だったと。


「お休みください、千歳様。到着したらお起こしします」

「……お願いします」


 千歳は父親と暮らしたことがない。母親はいつも、写真立ての中の男性を指してこの人がお父さんよ、と言っていた。嘘だと言ったら、だって写真はあの人じゃないものね、と笑っていた。

――壊してしまったのは、千歳だ。


 サービスエリアで朝食のため一度起こされたが、再び眠り込んでしまった所為で、目的地に着いたときにも千歳は目をこすっていた。

 車を降りる。言葉は悪いがひなびた印象の、ローカル線の駅舎がすぐ前にひっそりと立っている。たぶん今駐めている所は駅用の駐車場なのだろう。他に車は見当たらない。家はまばらで、雑木林が近い印象だ。

 昨日覚えていた空気より冷たく感じられて、羽織っていただけのコートのボタンを留めて、マフラーを巻きなおす。

「……此処、ですか?」

「若狭さんは写真が趣味らしいです」

 彼は少し首を傾げてから頷いた。風光明媚とまではいかないが、どこか安らぎそうな景色だった。里山、とでもいうのだろうか。今は冬だから雑木林に枯れた感じがあるが、夏ならば瑞々しい緑が濃淡入り乱れて輝いているだろう。広がっている田畑にももっと生命力があると思われる。

「……それで、僕は何を」

「出来れば“ラプンツェル”さんが居るかどうかを調べてきていただきたいのですが……私から何かあれば連絡いたしますので、散策でもなさっていてください」

「何か」

 リヤンは頷いたが、詳細を言おうとはしなかった。何もなければ昼に此処で落ち合うと決めて、千歳は言われた通り、ぶらぶらと歩き出した。


 時間がのんびりと過ぎているというよりは、対流しているようだと思った。決してとどまらないけれど巡ってまた戻っている印象。そういえば東洋ではそんな世界観が割と多いと聞いた気がする。日本などは四季がはっきりしているから、尚更その考え方が馴染むのかもしれない。

 誰にも行き会わないのを良いことに、全く関係のないことをつらつらと考えながらゆっくりと歩く。すぐ横が雑木林の所為か、舗装してある道も土埃で薄汚れていて、僅かに霧の匂いが漂ってきた。

 一人でこうして歩いていると、考えが現実に落ちてこない。“ラプンツェル”を探すのが主目的なのに、思考の足が地に着かない。知らない土地だからだろうか。このまま何処かへ迷い込んでしまいそうな錯覚がある。

 その時、道の向こうからやっと他人の姿が近づいてきた。腕時計を確認するとリヤンと別れて三十分近くが経っている。向こうも千歳に気づいたらしく、訝しく思っただろうが、彼女は会釈した。

 オフホワイトのロングコートに、緩やかに波立った長い髪がかかっている。

「……え」

 擦れ違ってから、浮遊していた頭が情報処理をやっと終えて振り向く。染めているようにも思えない、柔らかな茶色が腰を過ぎても波打っている。

「……あの」

「はい?」

 怪訝そうに振り返った女性に、千歳は落ち着いて聞こえるよう声を出した。

「若狭夏野という人を知りませんか?」

 女性の目が見開かれる。その色は殆ど怯えだった。

「……知りません!」

 強い口調で言い切って、千歳が思わずひるんだ間に、彼女は走り去っていく。

 追うべき、だろうか。いや、それよりリヤンに連絡したほうが良いだろうか。

 けれど、彼女の連絡先など。

 やはり追いかけて、頑張って話をする方を選ぼうとした時、くぐもった電子音が耳を掠めた。コートのポケットを探ると、思ったとおり彼の携帯電話が鳴っている。

 リヤンだという可能性が否定できなかったので、通話ボタンを押す。果たして平淡な女性の声が響いた。

『千歳様、リヤンでございます。お変わりはございませんか?』

「あの……多分、見つけました、“ラプンツェル”」

 電話越しなのに、リヤンがその紅がかった目を眇めるのが分かった気がした。思い出せる限りの特徴を伝えると、彼女の声が確信を孕み出す。

『こちらの調べと一致します。おそらく同一人物でしょう』

「どうしましょう……」

『車まで一旦お戻りください。調べたことをお話いたしますから、その後彼女の家に参りましょう』

 てきぱきとした指示に了解を示して、千歳はきびすを返した。


 リヤンは電話を納めると、一度瞑目した。

「……時間が、ありませんね」

 千歳に気取らせないようにしていた焦りと切なさが、零れる。

 気づかないで欲しい。気づかなくて良い。掟は、気づいてから過酷になるのだから。

 時計は――止まっても、良いはずなのだから。


宗像むなかた紗々(ささ)さんとおっしゃるそうです。若狭さんが夏に泊まったのは彼女の家の離れだったとか。きっとその縁でしょう」

 リヤンは車を走らせながら話し出す。道が良いとは言えないのに、ついでにそう遠いところではないだろうにと思っていたら、そのまま林道をゆるやかにのぼり始めた。林の中深くに家があるらしい。

「三年前にお父様と共に越して来られ、ですがそのお父様というのが人嫌いの変わり者らしく、土地の人々との付き合いも殆どないそうです。ただ、離れはちょっとした民宿代わりに旅行者に開放していたらしいのです」

 リヤンの言葉を聞きながら、千歳は内部の口が開いていくのを悟る。

 噛み砕かれる、そのきっかけは。

 それを切りだそうとした時、リヤンは車を止めて到着を告げた。


 宗像紗々は固い顔で家の前に立っていた。リヤンが彼女に礼儀正しく頭を下げたのに千歳も倣う。

「先ほどお電話差し上げました者です。突然の不躾な申し出を請けて下さり、ありがとうございます」

「……いえ。お話が長引くなら中にお入りください」

 顔の強張りを解かないまま踵を返した彼女に礼を言うリヤンに続き、千歳は“離れ”であろう方に歩き出した。


 民宿のように使われているとあって、概観は小さな普通の一軒家に見える。母屋の方もかなり大きかったようなので、主人は相当な資産家なのだろう。

 入ってみると、物品こそ少ないものの、畳敷きの居間ではかえって小ざっぱりしていていかにも寛げそうだ。進められた座布団に正座して、紗々は2人と向き合った。

「まず始めに、誤解を失くしておこうかと思います。私どもは若狭さんの従妹さんの依頼を受けた結果、あなたに行き着いたまで」

「……どういうこと、です?」

 困惑げな表情の紗々に、リヤンは淡々と《獏》についての説明を始めた。ますますの混乱を見て取った千歳は、リヤンの話の区切りを見計らって口を挟む。

「四ヶ月くらい前……若狭さんは、事故で記憶喪失になってしまって」

「……え!?」

 その目が大きく見開かれる。そこに宿った心配に気づきながら、続ける。

「数年分くらいのことを忘れて、徐々に思い出しているらしいんですけど。でも、その前に《獏》のところに来ていて」

「何か……忘れたんですか?」

「いえ、その時は止めたみたい、で。だけど、彼の従妹さんが、もう一回そんなことになるのを案じて、その忘れたかった記憶を消して欲しいと」

 彼女は肩の力を抜いたようだった。ようやく合点がいったらしい。

「そう……そういう、こと」

「不躾ですが」

 リヤンは彼女の警戒が解けたのを見て取ってか、切り出した。

「若狭夏野さんが忘れたかった記憶というのに、お心当たりはありませんか」

 紗々は一度何かを言いかけて、けれど唇を噛んでしばらく黙っていた。

「……全部、本当のこと、なんですね」

「信じ難く思われるのはご尤もです」

 しかし、今証明する術は無いと言って良い。千歳にとっては意外にも、リヤンは一枚の名刺らしきカードを紗々の前に置くと、流麗な動きで立ち上がった。

「確信ができたならご連絡くださいませ」

「……分かりました。きっと、そうします」

 彼女がそれを納めるのを見届けてから千歳も立ち上がる。久し振りだった所為で弱冠足が痺れているが、動ける上に、この状況でそんなことを訴えられなくて、ぎこちないながらリヤンの後を追った。

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