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Night-night  作者: スガリ
第4話 未だ泣かないラプンツェル
21/32

3

 一応新聞やらインターネットやらで若狭夏野の事故を探してみたが、引っかからなかった。

 ごく小さな事故だったらしい。頭を打ったはずなのだけれど、自損事故か何かかなと見当をつける。それなら周知の話にはなりにくい。

 そんなことを考えながら「いってきます」と声を掛けて玄関を開ける。一段と冷え込みそうな、凍て雲の浮かぶくすんだ空の下、門と言っても良いのか判断し難いサイズの金属製の柵上の扉を押し開ける。

「おはよ、チトセ!」

「…………仙波、さん?」

 全く想定外の呼びかけの所為で五月蝿い心臓を懸命になだめる。彼女の場合は門柱で小さな体が隠れてしまっていたらしいから仕方ないとはいえ、千歳の周りには彼お構いなしの出現をする人々が多すぎる。

 そんな千歳の心境はいつも通りの表情の薄さで気づかなかったらしく、少女は無垢に笑う。

「もう、おはよって言ったのにそれって無いんじゃない?」

「…おはよう」

 疑問は色々あるが、とりあえず挨拶を返すと、少女はやはり笑って頷いた。

 仙波いりな。現在小学三年生。一時期予言少女と騒がれたらしいが、最近は静かになったようだ。元《獏》の依頼人で、“ラプラスの悪魔”と呼ばれる、未来を予測する変わった力を持っているが、今は普通の少女と変わらない、利発で快活な少女である。千歳がお気に入りらしく、依頼が済んでもちょくちょく遊びに来ていて、何故か窈も笑って受け入れている。事情が随分違うとはいえ、尼崎澪の時を考えると少し不思議ではあるのだが、今の状況の方がもっと不可解だ。

「どうしたの?」

「チトセにあげに来たの」

 きょとんとしている彼の手を引っ張って、手袋に包まれたてのひらに小さな箱を置く。包装紙とリボンで可愛らしくラッピングされたものである。

「……何でいきなり?」

 素朴な疑問のはずなのに、いりなもいりなできょとんとしてから、深い息を吐いた。

「そうだよね、チトセだもんね……こういうこともアリだよね」

「え?」

「チトセ、今日は何月の何日でしょうかっ」

「二月…十四日」

 何か頭の隅で引っかかった。そのまま考え込んだ彼に、いりなは痺れを切らしたようだった。黄色い帽子の位置が溜息と共に下がったと思いきや、すぐに上がる。

「バレンタインだってば!」

「あ…そういえば」

「……チトセだもんね」

「諦めないで……」

 悟ったような言葉と目つきがなんとなく悲しい。本人に言われてもねー、と非難がましく呟いた彼女へと、しかし忘れていた言葉を思い出す。

「ありがとう」それだけなのに、少女はやっと再び笑顔になった。

「どーいたしましてっ。ホワイトデーにはオワビもかねて3倍に返してね!」

「三倍……」

 量なのか金額なのか。流石に本人に聞くのはマナー違反だろうと思って、口には出さなかった。鞄にしまっている様子をどこか満足そうに眺めていたいりなは、しかし千歳の腕時計を見ると慌しくあいさつして去っていった。


「女の人って、大変」

「僕も大変なんだけど」

 しみじみと呟くと、目前の塊の暫定主が唇を引きつらせた。

「Goose-Egg君は何だかんだと口以外は概ねすごく優良物件だからねえ」

 少し萎縮する千歳の横で、槐夕夜は面白がっているのが明白な口調で感心している。彼女もこの日のイベントを忘却していた口らしいのを知って、嬉しがるべきか嘆くべきか悩んでしまったものだ。

 人当たり以外はまるで優秀、という評に誤りはない羽咋零は、絶対3倍返しが出来そうにない量を貰っていた。高校生の身で十数個とは多分すごいのだろうとぼんやり思う。零の性格からして義理の分は少ないのだろうこともある。かといって本命ともずれがあるような気もしていると、夕夜は笑ったまま続けた。

「ま、偶像の宿命とはいえ、よく耐えたよね。偉い偉い」

 五月蝿いよ、とそのからかい交じりのねぎらいを振り払っている様子を横目に、千歳は大いに納得した。贔屓の芸能人に宛てているのと感覚は近いらしい。

「野良猫」

「更科」

「そうだね、鑑賞しているぐらいの距離感が良いという辺りは結構似ているかも」

 咎める声を上げる零の横で、夕夜はルーズリーフを彼に手渡しながら笑った。毎度毎度言っては怒られている自分の反省の無さに弱冠虚しくなる千歳の横で、2人はルーズリーフに書かれたそれについて話し始める。

「とりあえずぱっと見て送り主が分かったのはリストアップしといたよ。メッセージは読んでないから安心して」

「それはどうでも良いけど……こんなに居るの」

「お返し頑張るんだよ。そこら辺は礼儀と甲斐性の問題に発展しかねない」

「…面倒だよ、本当」

「とりあえず僕と香坂さんとで食べる方は手伝うよ。流石に甘いものがあまり好きでない君にこの量は厳しかろうし。ただしちゃんとビター系は引き取りなよ?」

「……本命当たったら」

 おずおずと口をはさむ。珍しく零が素直なのは妙に会話が事務的な所為だろう。しかし世の中にはそういう割り切りをして良いものではないものがある。

「更科、送る相手に配慮できていないものを本命とは言わない」

「それこそマナーだからね」

 だが二人はそれこそきっぱりと切り捨てた。正論でもある。確かにと引き下がろうとした時、夕夜がふむと腕を組んだ。

「しかしこういうのは少し怖いよね。本命だといろんな念がこもってそう」

「……呪詛返しの本、ありましたよ?」

 首を傾げて言うと、夕夜は目を瞠ってから急に破顔した。

「つくづく、君の素直さはいいねえ……」

「え?」

「そもそも何で学校の予算使ってそんな本買っているんだか」

 妙にしみじみとした声音に真意を測りかねて、けれど答えは得られぬまま、零の呆れだけが場に残る。だから夕夜が繋げたのもその話題だった。

「そんな場所の恩恵に預っている身では強く言えもしないけどね」

「……あの、基本的に此処の本って司書さんの」

「古書以外は趣味らしいよ」

 ではあの“魔法使い”と《獏》の記述があったものも、だろうか。

 なんとも複雑な千歳だったが、それこそ彼女に聞いても仕方ない。謎は増えるばかりだ。減らすのも怖いが。

 溜息を堪えて、とりあえず目前で始まった文字通りの山分けを手伝いに掛かった。


 若狭夏野を見たのは、その日の帰り道だった。曇りだとはいえまだ十分に明るいうちだったので、駅前で槐夕夜と別れた時に、道の向こうのファーストフード店に入っていくのを見かけたのだ。零が居た上に、彼にも連れが居たため、強いては追いかけなかった。

 ただ、彼の隣に居た少女が気にかかる。中学生くらいか、どうも夏野の扱いからして妹のような存在なのだろうが。

「……更科?」

「ごめん」

 立ち止まったままの彼に怪訝そうな声を投げた零へ、慌てて振り返る。数歩既に先を行っていた級友に小走りで近づくと、足を緩める。そして、ちらりと二人の入っていった店を思い浮かべた。

 あの少女に、千歳は会ったことがあるはずだった。誰だったかは思い出せないが、真偽を知る口は見ず知らずではないと囁く。こちらに越してきてから出会った人物のはずだけれど。

 彼女が誰だったか、結局その日は思い出せなかった。


 文章をにらみ、考え、鉛筆を動かして、千歳は順調に宿題を消化していた。勉学ともなればいきなり回転数が増えるような便利な頭脳を持ってはいないが、飲み込みは良い方なので進学校のスピードにも何とかついて行っている。

 手を止めて、単語を引くために棚から分厚い英和辞書を引っ張り出す。学校では家庭での学習に紙製辞書が奨励されているが、電子辞書は軽い上にキーによる入力で探せる便利さだから、実践している生徒がどれほど居るのか疑問である。千歳としては、電子辞書を貰ってから日が浅いため、紙の辞書にそれほど苛立たない。

 目的の見出しを指でなぞって意味を探し当てたその時、小さな、しかしはっきりとしたノックの音が響いた。リヤンだと分かる。返事をすると、ドアが細い隙間を作り、硬質の美貌が覗いた。

「依頼人の方がお見えになっておられますが、よろしいでしょうか」

 よろしいでしょうか、と言われても、千歳の選択肢はほぼ無きに等しい。頭の中で宿題の残量を考えて、まあ良いかという結論に達したため素直に頷いた。


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