言葉の記憶
今回は珍しい人の過去になります。彼が天空家を大事にする理由がわかると思います。
言葉は刃物だ
容易くこの身を切り裂き、癒えぬ傷を刻み込む
言葉は救いだ
傷ついたこの心を癒し、安らぎをくれる
言葉はどちらにでもなれる
心を殺す道具にも、心を救い上げる救いの手にも――――
――――俺が生まれると同時に母はこの世を去った。五年後、母の後を追うように父も亡くなった。
孤独、だった。
父がいなくなってから家を追い出され、路頭に迷う日々が待っていた。誰も彼を助けようとはしなかった。それどころか、親戚の家を頼りに訊ねると、門前払いをされる始末。ある家ではこう言われた。
「お前みたいな呪われた奴と同じ空気を吸ってると思うと虫唾が走る。さっさと死ね」
そう言われつばを吐きかけられたことなど数え切れないほどあった。
この身に流れている血がいけないのか、と我が身を切ったこともある。
川に身を投げたことも屋上から飛び降りたこともある。
しかし、いずれもこの身に宿る異能が死ぬことを許してはくれなかった。そのままどうにか生き延び、八歳の誕生日に俺は一人の女性に出会った。
あの日の事を、俺は生涯忘れないだろう。
桜と螢斗さんと同じ・・・いや、それより少し薄い紅玉色の瞳を持ち、優しい顔立ちの美しい女性だった。その女性は俺を見るなり近づいてきてこう言った。
「あなた、一条 南絃君ね」
確信を込めた言い方なのが気になったが、それ以前に俺の名前を知っているのがことに対して純粋に驚いた。久しぶりに聞いた自分の名前はどこか他人の名前のように耳に響いた。ずっと「呪われた一族」とか「汚らわしい一族」とか。一番ぐさりと胸に突き刺さったのは「存在してはならない。存在自体を許されない一族」「人を不幸にする一族」か。
「なんで・・・俺の名前を・・・知ってるんだ?あんたは・・・いったい・・・・・」
何日もまともなものを口にしていないせいか、ずいぶんとか細い声が喉を通って出た。しかも掠れていて大変聞き取りづらい。自分でもなにを言っているのか聞き取れなかった。
それでも俺が言いたいことはなんとなくわかったのか、南絃に声をかけてきた女性は笑って彼の前にしゃがみ込むと視線を合わせる。
彼が聞き取れるように心持ちゆっくりとした口調で続ける。
「あなたのことを探していたのよ。一条 南絃君」
「俺のことを・・・?つー・・・・か何で俺の名前、それも・・・名字まで知ってるんですか?あなたはいったい・・・」
どう見ても初対面のはずの女性は後ろにいる紅玉色の瞳に不思議そうな色の浮かべている兄妹と、黒い瞳を眠そうに瞬かせている少年、紅い瞳のどこか存在感のある少年、青い瞳の空を眺めている少女に「あっちで遊んでおいで。私はこの子とお話があるから」と近くにある公園を指差す。少年らは素直に走っていく。少女は俺を見てニコッと笑い、
「あなたも一緒に遊ぼうね。待ってる」「桜~、早く来い」「は~い」
少女は自分を呼ぶ声に大きな声で返事をして、すごい勢いですっ飛んでいく。女性はさて、と泥だらで傷だらけの南絃の手を引くと近くのベンチを指差す。
「とりあえずあそこに座ろっか。立ち話もなんだしね」
ベンチに腰を下ろすとパンをもらった。戸惑いを前面に押し出して見上げてくる南絃を真っ直ぐ見つめ返した女性は優しく笑って彼の汚れてしまっている髪を撫でる。
「何も食べてないんでしょ。それしか持っていないけど、食べて」
とたんに肯定するようにお腹が鳴る。絶妙なタイミングで鳴ったお腹に手を当て、南絃は顔を赤らめて小さくいただきます、と低頭してから食べ始める。
一口一口噛み締めるように食べていく彼の様子を黙って眺めていた女性は不意に立ち上がり、どこかへ歩いていく。帰ってきた彼女の両手には炭酸飲料水のペットボトルが握られていた。
「はい」
黙々と食べ進めていた南絃の目の前に片方を差し出す女性。大きく目を見開いた南絃は黒目に赤が混じった瞳でまじまじと女性を見返す。
「・・・いいんですか?」
「当然よ。あげたくもない相手に買ってあげるほど、私はお人好しじゃないの。だいたい誰がそんなめんどくさいことするのよ。よっぽど暇なのね、その人は」
「あの・・・。今日初めて会った俺に、どうしてここまでしてくれるんですか?」
女性は南絃の顔をじっと見つめ、そっと彼の髪に触れると柔らかく目を細めた。彼女の瞳に映る自分の目が、驚きに瞠られているのが見えた。
「姫似なんだね、あなたの髪と瞳は。顔は深波さん似だけど」
「母さんと父さんを知ってるんですか!?」
思わず大声が出た。言ってからはっとして斜め下に目を伏せる。女性は気にしてないよという風に南絃の頭をぽんぽん叩く。そうして女性はどこか懐かしむように遠くを見る。その口調は先ほどよりも一段と和らいでいた。
「あなたのお母さんとお父さんとは親友だったの。あなたのお父さんが亡くなったと知らせを受けてあなたの家に行ったのだけど、あなたの姿はすでになかった。代わりに別の人が家に居座ってたわ。そいつを叩き出してあなたの家の物は全て私の家に運んである。
・・・・・・・・・ごめんなさい。
私達がもっと早く知らせを受けて向かっていればあなたがこんな目にあうこともなかったのに・・・。本当にごめんなさい。私達の力不足で両親を失ったばかりのあなたに辛い思いをさせて。ごめんなさい」
紅玉色の瞳から涙が零れ落ちる。南絃は驚いた。今まで自分のために泣いてくれる人なんていなかった。自分の気持ちをわかろうとしてくれた人もいなかった。それなのにこの人は心の底から涙を流している。
人の感情に敏感になっていた南絃にはすぐにわかった。
どうしていいかわからず沈黙する南絃。しばらくして涙が止まったのか女性は南絃にこう言った。
「私の家に来ない?それとも他に行く当てがあるの?」
「行くあて・・・」
そうだ、俺には行かなければならないところがある。南絃はすまなさそうに女性に頭を下げる。
「すみません。申し出は嬉しいのですが俺には行かなければならない場所があるのです。母さんと父さんに頼まれたものを渡さないと」
「頼まれたもの?」
「手紙です」
南絃の母は自分の死期を察していた。だから死ぬ目際に彼女の大切な親友宛の手紙を書き、それを父に渡した。そして三年前、父も死ぬ間際に母の親友宛に手紙を書き、それを南絃に託したのだ。
二人が残した最後のものを、どうしても自分の手で相手に届けたかった。
「誰宛?知っている人なら私が連れてってあげる」
「天空 夕美様宛です。天空家の本家にいるらしいんですけど・・・本家ってのがわからなくて」
「天空 夕美・・・?それって夕日の夕に美しいって字?」
「ぇ?・・・えぇ、そうですよ。よくわかりましたね。知り合いですか?」
女性は大きく肩を震わせ口元を覆う。そして南絃を抱き締めてゆっくり体を離し、立ち上がった女性は手を差し出して言った。
「私の家に行きましょう」
「ぇ、ですから俺は天空 夕美様にこれを渡さなければいけないんです」
「渡しに行く必要はないよ。私が天空 夕美だから」
南絃はこれ以上ないほど目を見開く。この人が天空家本家の天空 夕美さん。母さんの大親友で俺達を支えてくれた人。
――――「南絃、天空 夕美さんはね俺達の命の恩人なんだ」
父がそう話していたのを覚えている。俺達がこうやって普通に暮らせているのも、毎日毎日食べるものがあるのも、全部その夕美って人とその家のおかげだって。
「俺達は“呪われた一族”の末裔だからって仕事にも就けないし家も買えないんだ。運よく職場を見つけても周りの人から嫌われ、疎まれ、避けられる。そんな俺達の生きる手助けをしてくれるのは天空家の人達なんだ。ずっと昔からそうなんだよ。
俺達を助け、守ってくれる。時には家に迎えてくれるんだ。俺達も天空家に来ないかって何度も誘われてるんだがな。よほどのことがない限り俺達だけで生きようって思ってるんだ」
そう言いきった父の瞳に迷いはなかった。だが、何故かいつも悲しそうな瞳をしていた。それがずっと気になっていたのだが、今なら少し判る気がする。
「俺達が生きていられるのは天空家の人達のおかげなんだ。だから俺達はこの力を天空家の人達のために使おうって決めたんだ。誰かに必要とされるだけで、こんなにも嬉しいもんなんだな」
父がそう言っていたが俺にはよくわからなかった。父は俺の頭をくしゃりと撫で破顔する。
「お前にもいずれわかる」
「もう一度聞いていいかな。私達の家に来ない?」
差し出された手を見つめる。この手を握っていいのか。俺が行くことで天空家に迷惑をかけないか。不幸にならないか・・・。
「俺は・・・不幸を呼ぶんですよ」
ようやく絞り出した声は震えていた。夕美は一瞬驚いたように目を瞬き、微笑する。それは今まで見たどの笑顔よりも美しく、優しく、不思議と惹かれる笑顔だった。
「人の幸福は誰かの不幸の上に成り立っているものなのよ。あなたのせいじゃないわ。それを一々気に病んでたらキリないよ。それでも不幸にすると思ってしまうなら、私の子供達を守ってやって。できれば幸せにしてあげて。そしてね、一番いいことはあなたが幸せになること」
にこっと笑って優しい手付きで頭を撫でられる。それが亡き父母の姿と重なった。優しく、俺の事を真っ直ぐに見てくれる瞳。
「あなたは今までずっと不幸だった。だから、あなたには絶対に幸せになってほしいの。不幸だったことを忘れてしまうくらい、幸せに満ちた人生を歩んでほしいの」
言葉に込められているのは同情や安っぽい正義感ではなく、ただひたすら俺の事を案じての言葉だった。その言葉が不思議と心に染み渡っていく。
「よろしく・・・お願いします」
長い間忘れていた笑顔を浮かべ、南絃は自分から手を握った。随分久しぶりに感じた人の温もりはとても温かくて、懐かしく彼の心を揺らした。
次回で一章が終わります。ではまた次回に。




