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 メルクリウスは、目をまん丸に見開いていた。

 俺が言い当てた彼女の正体。


「音波の魔人……メルクリウス」


 俺の師匠であるテラステラは、俺に様々な知識を授けてくれた。

 彼女はこの世界ではあまり知られていない概念を、数多く知っていたのだ。

 俺の重力や、マルスの磁力にしてもそうだった。


 魔人の力は、目視できない性質のものが多い。

 仮に見えたとしても、それが一体何の力なのか、一見しただけでは理解できないことがほとんどだ。


 それでも、師匠は知っていた。そして、彼女から教わった知識の引き出しの中に、それはあったのだ。

 音波という概念が。


「おん、ぱーっ」


 案の定、リィナは音波という言葉を理解できていないらしく、甲板の上で不思議そうに首を傾げた。

 俺たちの耳に届いている音は、目には見えないが波の形をしており、空気を震わせて人へと伝わっていく。


「音波を操るのがお前の能力だ。高速移動は、空気を伝う音に乗って移動しているから可能になる。遠距離攻撃は、音の波を直接俺の内部にぶつけているだけだ」


 音が空気を伝わる速さは、尋常ではないらしい。

 時速に換算すれば千二百キロメートルを超え、秒速にすれば三百四十メートルにも達する。


 とんでもなく短い時間で、凄まじい距離を移動できる。それが音波だ。

 彼女は音波を自在に操り、さらには自身をも音の波へと変換することができるのだろう。


 だからこそ、目視不可能な速度での瞬間移動が可能だったのだ。


「めるめるが、風でなく音波の魔人だと見抜いた根拠はっ」


 すっかり戦意を喪失したのか、メルクリウスは空中でぺたんと座り込むような姿勢をとった。

 俺は先ほど海へ投げ捨てた枷を、重力操作を使って引き戻し、再び両腕にカシャリと装着する。


 凄まじい負荷が戻ると同時に、魔人としての高揚感が収まり、理性が落ち着きを取り戻していく。

 俺は海面に浮いている船の巨大な破片の上へと、静かに降り立った。


「お前の遠距離の音波攻撃が、海の中にいた俺には全く伝わらなかったことだ」


 海上で放たれた音波が、海中の俺には全く当たらなかった。

 音には反射という性質がある。


 水と空気では密度が大きく異なるため、水面という境界で音の大部分が反射してしまうのだ。

 水の中に潜っているとき、外の音が極端に伝わりにくいのは、この性質が働いているからである。


「気体の塊を飛ばす能力なら、水面を突き破って海中の俺にも当たっていたはずだからな」


 魔人が超自然の化身であるという大前提。

 視認不可能な超スピード、そして水面での反射。

 それらの要素から、俺はメルクリウスの正体を明確に言い当てたのである。


「まだやるかっ。お前は、まだ全力を出していないようだしな」


 メルクリウスは、背中に無骨なギターケースのような箱を背負っている。

 おそらくは、あれが彼女の真の武器なのだろう。


「ふ、ふふふ、ふはははっ。あはははははははっ」


 メルクリウスが、唐突に笑い出した。

 心から楽しそうに。まるで、かつて味わったことのない極上の美味に歓喜する美食家のように。


「いいっ。いいぞお前っ。おもしろいっ」


 メルクリウスが笑う。それに伴い、周囲の空気が震えて突風が巻き起こる。

 くそ、まだ彼女は戦いを続けるつもりか。


 船からは十分な距離が取れている。

 だが、一度枷を外して限界を超えたことで、俺の肉体にはかなりの負担がのしかかっていた。


 それでも、やるしかない。

 魔人という超自然の脅威に立ち向かえるのは、同じ存在である俺だけだ。


 やってやる。何度だって。

 大切な仲間を守るためならば。


 ドンッ、と空気が弾けるような鋭い音が鳴り、メルクリウスが音波に乗ってこちらへ急接近してきた。

 しまった。

 枷をはめ直したことによる隙を突かれた。


 重力操作が間に合わない。攻撃がくる。

 俺は咄嗟に身構えた。


「むちゅーっ」


 はぁ。


 一体、何が起きているというのか。

 彼女は上空から俺めがけて飛んできて、そのまま勢いよく正面から抱きついてきた。

 そして、柔らかな唇を。


「キスだーっ」


 船の甲板から、今にも海へ飛び出さんばかりの勢いで身を乗り出し、リィナが絶叫した。


 俺とメルクリウスは、海上にいる。

 船の破片に乗っている俺を仰向けに押し倒し、メルクリウスはあろうことか俺の唇を奪っていたのだ。

 甘い香りと、柔らかな体温が直に伝わってくる。


「ぷはっ。わっははっ。めるめるは見つけたぞっ。めるめると対等に遊んでくれる、そんな男をっ」


「は、はぁ」


 何を言っているんだ。

 遊び。あんな命懸けの殺し合いが、彼女にとっては遊びだったというのか。


「めるめるの人生には、上か下しかいなかったのだ。酷い上か、見下す下か。いつだってめるめるは、真っ直ぐ対等に見てくれる人を求めていたのだ」


 対等に見てくれる人、か。

 その言葉の響きだけは、痛いほど理解できた。

 俺たち魔人は、人間の理から外れた人外の化け物だ。


 一般人を逸脱した、いわば逸般人。

 俺自身、力を持つがゆえに対等に接してくれる人などいなかった。

 それが寂しくなかったと言えば、嘘になる。


 メルクリウスは、そうか、対等の友を。


「むっちゅーっ」


「むぐぐっ」


 メルクリウスのやつ、俺の唇に、再び自身の熱い唇を重ねてきやがった。

 その後も、ちゅっ、ちゅっと何度も何度も、情熱的なキスを浴びせてくる。


「やめろーっ」


 船の甲板から、びよんっとリィナが一直線に飛び降りてきた。

 馬鹿。

 二人で乗ってギリギリのこの破片に、勢いよく三人が乗ったらさすがに転覆するに決まっている。


 案の定、上からの衝撃に耐えきれず、木の破片がぐるりとひっくり返る。

 水しぶきを上げ、俺たち三人は冷たい海の中へと放り出された。


「ぷはっ。ガイアーっ」


「くっつくな、あほっ」


 枷をはめた状態では、重力で自身を浮上させることはできない。

 だというのに、メルクリウスのやつは、海中で俺の身体にまるで丸太にしがみつくように絡みついてくる。


 両腕だけでなく、両足までも使って俺をガッチリとホールドし、濡れた顔でキスの嵐を降らせてきた。


「ガイアから離れろ、この泥棒猫っ。ふにゃーっ」


 海面に顔を出したリィナが、自身の髪と同じくらい顔を真っ赤にして叫び、俺の背中側にしがみついてくる。

 り、リィナ。あまり密着しないでほしい。

 この子は小柄な見た目に反して、思った以上に胸が大きいのだ。

 だから、背中にその大きくて柔らかな感触が、露骨に当たってしまっている。


 まあ、胸の豊満さではメルクリウスも決して負けてはいない。

 身長は低いくせに、胸だけは不釣り合いなほど大きいのだ。


「離れろっ」


「「いやだっ」」


 ああ、もう。


 ため息を吐こうとした瞬間、俺たちの身体がふわりと空中に浮き上がった。

 空中浮揚レビテーションの魔法だ。


 高度な無属性魔法に包まれ、ずぶ濡れの俺たちの身体は、海水を滴らせながら船の甲板へと運ばれていく。


 どさり。


「何ふざけてるの、ガイア」


 ピクピクと、ノエルの白い額に青い血管が浮き出ている。

 ずぶ濡れの巨乳美女二人に前後から挟み込まれ、冷酷な美少女に上からブチギレられるという、全くもって謎の状況が完成していた。


「い、いや、ふざけてなくて。これは命懸けのバトルをしてきた結果であって」


「その割には、随分と楽しそうだったけどね」


「いや全然。なに、怒ってるの」


 ノエルがぷうっと頬を膨らませ、愛用の杖の先端で俺の頬をツンツンと小突く。

 明らかに怒っていらっしゃる。


「ごめんって、また一人で先走って」


 以前も、俺が自己犠牲的な行動をとった時に、ノエルにひどく怒られたことがあった。


「そこじゃないから、怒ってるの」


「じゃあどこなんだよ」


「自分で考えなよ、ばかっ」


 ノエルがそっぽを向いてしまう。

 全く分からない。リィナも、ノエルも。一体、俺が彼女たちに何をしたというのだろうか。


「あー、やだやだ。人間のメスはこれだから。嫉妬はひどく醜いのだ」


 メルクリウスだけが、俺の腕に抱きついたまま訳の分からないことを口にして、やれやれと肩をすくめるのだった。


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