60
荒れ狂う海上で、俺とメルクリウスは静かに相対していた。
潮の匂いが混じる強い海風が、俺の服と彼女の奇抜な衣装を激しく揺さぶる。
対魔人戦闘において、最も重要なこと。
それは、相手が何の化身であるかを正確に見極めることだ。
魔人は全員、超自然のパワーを固有に持っている。
俺なら重力。かつて戦ったマルスなら磁力。
そういった、この世界では一般的ではない根源的な力を魔人たちは操る。
メルクリウスも、おそらくは俺と同様に何らかの自然エネルギーを用いた攻撃をしてきているはずだ。
「うぉっしっ。行くのだぁっ」
メルクリウスが無邪気な声を上げ、空中の足場を蹴る。
こちらへ接近してくるかと思いきや、彼女の姿は一瞬にして俺の視界からブレて消え失せた。
背中に、巨岩を叩きつけられたような重い衝撃が走った。
内臓が大きく揺さぶられ、俺の身体は砲弾のように前方に吹き飛ばされる。
だが、冷たい海面に叩きつけられる直前で、俺は自身の重力を操作した。
落下速度を殺し、ふわりと海面の上に静かに降り立つ。
枷を外し、魔人としての本来の力を解放した俺は、もはや対象に触れる必要すらなく重力を自在に操れる。
自身や、周囲の空間そのものの重力をコントロールすることが可能なのだ。
「うぉおおっ。やるなーっ、お前っ。めるめるキックを受けた奴は大抵粉々になっちゃうのに、原形を留めてるなんてっ」
メルクリウスが空中で手を叩いて無邪気に笑う。
俺は冷や汗を流しながら、内心で舌を巻いた。
自身に掛かる重力を極限まで軽くし、衝撃を逃がす状態であったにもかかわらず、あの威力だ。
もし通常の重力下でまともに蹴りを食らっていたら、全身の骨が砕け散ることは免れなかっただろう。
奴は、俺の動体視力を置き去りにする速度で一瞬にして背後へ回った。
空間を跳躍する、瞬間移動の能力だろうか。
いや、それは魔人の理に反している。
重力、磁力。実際にこの世界に存在する超自然的なエネルギーを司る。
それが俺たち魔人の絶対の法則だ。瞬間移動という事象を司る魔人など、到底考えられない。
「何をボンヤリ考え込んでいるのだっ。おららららららっ」
メルクリウスが再び一瞬で距離を詰め、俺めがけて無数の拳を振り下ろしてくる。
だが、連続する拳打の威力は、先ほどの蹴りに比べて随分と軽かった。
目にも留まらぬ速さの代償か、打撃の勢いが完全に死んでいる。
俺はメルクリウスの細い腕を的確に掴み取ると、自身の右腕に極大の重力を集中させた。
魔人の腕力に、莫大な質量を乗せた必殺の拳。
ドゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ。
凄まじい衝撃波を巻き起こし、メルクリウスの小さな身体が遥か後方へと吹き飛んでいく。
「やったっ。勝ったっ」
遠く離れた船の甲板から身を乗り出し、リィナが歓喜の声を上げるのが聞こえた。
だが、俺の顔に安堵の色は浮かばない。
確かに全力の拳を叩き込んだ。しかし、決定的な手応えが欠けていたのだ。
分厚い見えない壁、あるいは高密度のクッションに拳を沈められたような、奇妙な感触。
人間の肉体を殴りつけたという生々しい感覚は一切なく、彼女は何らかの不可視の防壁で俺の攻撃の威力を吸収していた。
「わはははっ。やるじゃあないかーっ」
またしても、メルクリウスは一瞬にして元の距離まで移動してきた。
かなりの距離を吹き飛ばしたはずなのに、その移動プロセスが全く目視できない。
考えられるのは、風、あるいは空気か。
分厚い空気の層をクッションにして防御したというのは、理屈としては考えられる。
だが、ただ風を操作しているだけで、あんな音を置き去りにするような動きができるだろうか。
いい線はいっていると思う。だが、確信に至るにはもう一つピースが足りない。
俺は掌に、黒く歪む重力の球体を創り出した。
「おおっ。今度は何をして遊んでくれるのかっ」
俺は答えない。これは遊びではない。魔人同士の命を懸けた殺し合いだ。
極限まで圧縮した重力球を、空中のメルクリウスめがけて一気に解き放つ。
「うわっちっ」
メルクリウスが身をよじって軽々と避ける。
軌道を外れた重力球は、たまたま海面から顔を出していた巨大なウミヘビの魔物に直撃した。
ボギュッ。
気味が悪いほどの鈍い音と共に、ウミヘビの巨体が一瞬で一点に圧縮される。
骨と肉が原型を留めないほどに縮められ、血の塊となって海中へ沈んでいった。
「おおおっ。すごいなすごいなっ。遠距離攻撃もすっごいもの持っているのだなーっ」
ニマァと、メルクリウスの唇が三日月型に歪んだ。
「めるめるも持ってるぞ」
彼女が楽しそうに、細い指を鳴らす。
パチン、という軽い音が鳴った直後だった。
キィイイイイイイイイイイインッ。
鼓膜を直接針で貫かれたような、強烈な高周波が脳髄を揺らした。
外からの物理的な打撃ではない。
身体の内側、骨や内臓を直接震わせるような不可視の衝撃波が俺の全身を駆け巡る。
三半規管が狂い、視界がぐにゃりと歪んだ。
平衡感覚を完全に失い、俺は為す術もなく海の中へと落下する。
ドボォオンッ。
冷たい海水が全身を包み込み、外界の音が急激に遠ざかる。
海中の深い静寂の中で、俺は必死に意識を繋ぎ止めた。
なんだ、今の攻撃は。
風の塊をぶつけてきたわけではない。全く別のエネルギーが、空間を伝って直接俺の内部を破壊しようとした。
まずい、完全に後手に回った。海面へ顔を出せば、再びあの回避不能な遠距離攻撃の的になる。
だが。
いくら海中で息を潜めて待っても、メルクリウスからの追撃は一切来なかった。
どういうことだ。あれを連射すれば確実に俺を仕留められるはずだ。
まるで、俺が海面に出てくるのをわざわざ待っているかのように静まり返っている。
もし彼女が風や空気を操る魔人であれば、海中にいようが水面越しに風の刃を飛ばして攻撃できるはずだ。
そうしない、あるいはそうできないのだとすれば。
俺の脳裏に、一つの明確な答えが閃いた。
息が続かなくなり、俺は海面へ向かって浮上を開始する。
ただし、無策で飛び出すわけではない。
「そこかっ」
ズドォオオオオンッ。
水柱が上がり、メルクリウスが放った見えない衝撃波が海面を激しく叩き据えた。
だが、それは俺がいる場所とは全く見当違いの方向だった。
俺は海中で重力球を作り出し、それを囮として別の水面に向けて発射したのだ。
奴は水面が破れる音と振動に反応し、そこに俺がいると錯覚して上空から狙撃をした。
その隙を突き、俺は大きく離れた場所から海面を蹴って空中へ飛び出した。
「なかなかやるなぁ、ガイアっ」
「音波」
メルクリウスの驚いたような顔に向け、俺は静かに、そして確信を持ってその正体を口にした。
「音波。それがお前が司る力。音波の魔人、メルクリウス」
【お知らせ】
※8/21(金)
好評につき、連載版、投稿しました!
『【連載版】婚約破棄された加護なし令嬢、前世の知識で絶品あったかご飯を作ります~無理矢理嫁がされた極寒の隣国で、皆から恐れられる【狂犬皇子】が、毎食おかわりを要求して離してくれません』
https://ncode.syosetu.com/n0948mq/
広告下↓のリンクから飛べます。




