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ザドゥに住まう魔人姉妹の妹、メルクリウス。
鮮やかな桃色の髪をツインテールに結い上げ、パンクロッカーのような革の衣装に身を包んだ少女だ。
彼女は背中に無骨なギターケースを背負い、ザドゥを囲む高い外壁の上に座り込み、つまらなそうに足をぶらぶらと揺らしながら空を仰いでいた。
「あー、つまらんのだー。つまらんー」
メルクリウスは、そびえ立つ白亜の塔を見つめる。
その頂上付近では姉であるヴィーナスが、年中狂ったように祈りを捧げている。
妹に構うことは一切せず、ただ無機質な命令を与えるだけだ。
そして、その命令に少しでも背けば、容赦のない敵意と制裁を向けてくる。
それは一方的な暴力でしかない。
ただ姉にかまってほしい彼女からすれば、到底欲しいものではないのだ。
「はぁ、どこかにちょうどいい遊び相手はいないものかー」
大きくため息をつき、潮風に髪をなびかせる。
ザドゥは絶海の孤島に築かれた迷宮都市だ。
島の周囲に広がる荒海には、巨大かつ凶暴な魔物たちが常にうろついている。
「はー……ひま」
メルクリウスが外壁の上で、退屈そうに小さな欠伸をした。
そのとき、波打つ海面が大きく盛り上がり、巨大な魔物がぬるりと姿を現す。
海魔蛇。
暗い海に棲む、恐るべき魔物だ。
海蛇に似た細長くぬめりのあるフォルムをしている。
しかし、竜のごとき鋭い牙と強靭な顎を持ち、大型の船すら一噛みで海の底へ沈めてしまうという。
口から放たれる極度に圧縮された水流は、分厚い鉄板すら易々と切り裂く。
まごうことなき強敵であり、冒険者ギルドからはAランクの魔物として認定されている危険な存在だ。
魔物は人を喰らう生き物だ。
飢えを満たすため、彼らは常に獲物を求めて人間を襲う。
現在、ザドゥには大量の人間たちが集められている。
ヴィーナスの放つ毒電波によって、皆が自我を失い、この島に囚われているのだ。
近海に棲む魔物からすれば、ザドゥは極上の餌場に他ならない。
生臭い息を吐きながら、海魔蛇が島へと近づいてくる。
ただし、彼らは知らない。
この島には、自然の理そのものを体現する化身、魔人が棲みついていることを。
「ジュラアアアアアアアアアアアアっ」
耳を劈くような咆哮と共に、海魔蛇が恐るべき水圧ブレスを放った。
鉄すら容易く切り裂く、死のウォーターカッター。
壁の上に座るメルクリウスめがけて、一直線に放たれた凶悪な一撃。
だが、彼女はのんきに空を見上げたまま、動こうともしない。
巨大な魔物に命を狙われているというのに、顔色を変えるどころか、心音ひとつ乱していなかった。
轟音を立てて迫るウォーターカッターは、しかし、メルクリウスに直撃することはなかった。
直線に飛んできたはずの破壊の水流が、まるで見えない壁に弾かれたかのように、不自然に彼女を避けて背後の虚空へ消えていったのである。
「あーつまらん、つまらんのだぁ」
海魔蛇は、己が何か恐ろしいもの、否、到底理解の及ばない悍ましい存在の前に立っていることに、ようやく気づいた。
巨大な身体をくねらせ、波を立てて海中へ逃げ帰ろうとする。
だが、ブシュウウウッと嫌な音が鳴った。
なんと、海魔蛇は突然耳の穴から大量の血を噴き出し、白目を剥いて海面へ倒れ伏したのである。
大量の血が海水を赤く染め上げていく。
メルクリウスが攻撃を仕掛けたそぶりは一切なかった。
強いて言えば、魔物の咆哮を耳にし、その存在を認識しただけだ。
たったそれだけで、Aランクの魔物はあっけなく絶命したのである。
「おう、メルクリウス。さすがだな、てめえの力は」
「ソルお兄ちゃんっ」
弾かれたようにメルクリウスが立ち上がると、すぐ近くの虚空に魔人ソルが静かに立っていた。
嬉しさに目を輝かせ、メルクリウスは満面の笑みでソルに抱きつこうと飛び込む。
だが、彼女の小さな身体は、スカッと空を切ってソルの身体をすり抜けてしまった。
「ごめんよ、メルクリウス。これは本体じゃないんだ」
「うえーっ。まじかぁ。じゃあ遊んでくれないのだっ」
「うん。ごめんね。君と遊んであげられなくて」
「むぅうっ」
メルクリウスがぷうっと頬を膨らませ、がっくりと肩を落とす。
ソルは冷酷な姉のヴィーナスとは違い、いつも穏やかで優しい兄だ。
せっかく退屈を紛らわせる遊び相手になってくれると思ったのに、と彼女は唇を尖らせた。
「じゃあ、ソルお兄ちゃんはなにしにきたのだっ」
「僕の代わりに、君と遊んでくれそうな人物がまもなく来るから、教えてあげようと思ってね」
はぁ、とメルクリウスが心底つまらなそうにため息をつく。
「人物って。お兄ちゃん。人にめるめるの遊び相手が務まるわけないのだ。みんな、すぐに壊れちゃうもん」
さっきの海魔蛇のように、と彼女は赤い海を見下ろしながら呟いた。
ソルは変わらず、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべたまま告げる。
「来るのはガイアだよ」
「ガイアっ」
「僕らと同じ魔人さ」
しかし、メルクリウスはピンと来ていない様子で小首を傾げた。
「ガイアなんて名前の魔人、いたのだっ」
「ああ。一番若い魔人だからね。君が知らないのも無理はないよ」
加えて、メルクリウスはヴィーナスによってこの塔の周辺に縛り付けられ、長く自由を与えられていない。
外界の情報から遮断されているため、新しい魔人の出現を知る由もなかったのだ。
「魔人」
退屈しきっていた彼女の瞳に、少しだけ興味の光が宿る。
すぐに壊れてしまう脆弱な人間や魔物ではなく、自分と同質の存在である魔人ならば。
少しは、暇つぶしとして楽しめるかもしれない。
「ソルお兄ちゃんは、めるめるにどうしてほしいのだっ」
「別に。好きにすればいいよ。遊び相手が欲しかったんだろうっ」
確かにずっとヴィーナスの雑用ばかりを押し付けられ、自由など欠片もなかった。
気晴らしの遊び相手になるはずの魔物も、自らの力ですぐに殺してしまい、退屈で色のない日々が長く続いていたのだ。
「ガイアとかいう魔人は、いつ来るのだっ」
「まもなくだよ。君から会いに行ってみるといい。あっちにまっすぐ行ったところにいるから」
ソルが細い指で示したのは、海を挟んだ先、ヤヒコの街がある方角だった。
「でも、勝手に持ち場は離れられないのだ」
「そこは僕がヴィーナスに話を通しておくよ」
「ほんとかっ。わーい、ありがとうソルお兄ちゃんっ」
魔人としての序列で言えば、ソルはヴィーナスよりも上位に位置している。
妹に対してひどく厳格なヴィーナスであっても、兄であるソルの言葉には従うのだ。
「じゃあ、じゃあ、さっそく遊んでくるのだっ」
メルクリウスは空を蹴り、音を置き去りにするほどの凄まじい速度で空へと飛び立った。
かと思いきや、一瞬にしてソルの元へ舞い戻ってくる。
無邪気で、それでいてひどく残酷な、最高に魅力的な笑顔を浮かべて問いかけた。
「別に、殺してしまってもかまわないのだっ」
ソルもまた、いつもと変わらぬ穏やかで優しい笑顔で頷き返す。
「もちろん。その程度で壊れるおもちゃなら、要らないからね」




