第四百八十話「同じ境遇」
そもそも俺は家に通して良いとは言っていない。紫苑が電話で遊ぼうと言ってきたと思ったから、それなら予定を確認して調整しようと言おうと思っていただけだ。まさか今家の前にいるから今すぐ遊ぼうという意味だなんて思ってもみなかったし、それで良いとも言っていない。
「……ええ、良いわ。お通しして」
『かしこまりました』
紫苑に遅れて門衛からも連絡があったから通すように伝えた。本当は今日これから蕾萌会の夏期講習があったけどもう行けないだろう。仕方がないので蕾萌会に連絡を入れる。
「あっ、もしもし、菖蒲先生、申し訳ありません。本日の夏期講習は急遽行けなくなってしまいました。はい……、誠に申し訳ありません。蕾萌会の方にも私から……、あっ、そうですか?それではお願いします。はい。失礼いたします」
まずは菖蒲先生に今日は行けなくなったと連絡した。蕾萌会の方にも連絡しようと思っていたけど、菖蒲先生が伝えてくれるから連絡しなくても大丈夫だと言われた。あと母にも連絡しておかなければならないな……。これが一番憂鬱だ……。
「お母様、申し訳ありません。友人が訪ねてきたので今日の蕾萌会の予定をキャンセルいたしました。はい……、はい……。いえ……。萩原家の紫苑さんです。はい……。はい……。それでは……」
あ~……、明らかに母の紫苑への心証が悪くなったな……。電話だとどんな顔をしていたかわからないけど、明らかに声のトーンは不機嫌だった。そもそも堂上家のご令嬢がアポもなしに訪ねてくる時点で母の心証は最悪だろう。
よほどの事情でもあればまだ急に訪ねてくることもわからなくはない。でもそれでも出来る限り前に連絡くらいはするものだろう。家の前まで来てから『今家の前だから』とか言うのは前世でいえば庶民の友達のノリだろう。とてもじゃないけど堂上家のご令嬢のすることじゃない。
元々母は前の事件以来萩原家に良い印象を持っていないと思われるのに、紫苑がこういう行動をすればするほどますます心証が悪くなってしまう。今はまだ良いとしても、こんなことが続けばそのうち紫苑との付き合いをやめろと言われかねない。どうにかしたいけど……、いきなりこんなことをする紫苑が聞いてくれるとも思えないなぁ……。
とりあえずこちらに来ているはずなので玄関口のロータリーへと向かう。でも俺はあちこちに電話したりしていたから遅かったようだ。もう紫苑は車から降りていたようで玄関先でばったり会った。
「咲耶様っ!?どうして咲耶様がこのような場所におられるんですか!」
「…………は?」
一瞬意味がわからず、そしてピキッときそうになったけど少し深呼吸をして落ち着く。
ここは俺の家で自分の家の中に俺が居て悪いのか!とか、お前が急に来たから出てきたんだろう!とか、紫苑の言葉からそう思ってしまうけどそうじゃない。紫苑は紫苑語と呼ばれる独特の言語を使う。それを踏まえて落ち着いて考えるべきだ。
恐らく今の言葉は言葉通りに受け取らず意訳すると、『わざわざ咲耶様がこのような場所まで出てこられるなんて、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。応接室でお待ちいただければ私の方からお訪ねしましたのに』くらいの意味かな?
うん……。わかるか!言葉足らずにもほどがあるだろうが!そもそも紫苑語って何やねん!
「…………ふぅ~~~~~。とりあえず……、サロンへ行きましょうか」
「はい!」
良い笑顔で頷いた紫苑を連れてサロンに向かう。先日は鬼灯達を私室に招いても椛はこれといって特に怒ってはいなかった。でも今、後ろから紫苑を見ている椛の表情が尋常じゃない。紫苑を俺の私室に通すと言ったらきっと椛は物凄く反対するだろう。
ここで余計な揉め事を起こさないためにはとりあえず俺の私室に通すというのは避けるべきだ。ならば応接室かサロンになる。紫苑は前に来た時もサロンに通しているからサロンならお互いに知っているし慣れている。椛も今更怒ったりはしないだろう。
そんなわけで紫苑を連れて九条家のサロンにやってきたけど……、椛の視線が痛い……。今日は椛は下がらずに扉の前に待機している。そして滅茶苦茶怖い表情で紫苑を睨んでいる。
椛の気持ちもわからなくはない。俺にも色々と予定があるというのに、アポも取らずにいきなり家の前まで来ていて、俺の予定を全てぶっ壊した上に、出迎えに行こうとしていた俺と玄関で出会ったらあの言葉だ。俺に仕える者からしたら紫苑に対して怒りが湧くのも無理はない。
「萩原さん……、相手先へ訪ねて行く時は先にアポイントメントを取っておくものですよ」
「咲耶様!その萩原さんというのをやめてください!紫苑とお呼びください!」
う~んこの……。まずは俺の話を聞け!
いや……、落ち着け……。紫苑のペースに乗せられるな。紫苑もわざとやっているわけじゃない……、はずだ。紫苑はこういう子なんだ。それを踏まえてこちらが余裕を持って対応しなければならない。
「それでは紫苑さん……」
「さんもいりません!紫苑とお呼びください!」
「……はぁ。紫苑……」
「はいっ!咲耶様!」
キラキラした目でこっちを見るな……。この子といると三倍は疲れる……。
「紫苑、堂上家である萩原家のご令嬢ならば、まずは相手の家を訪ねる前にアポイントメントを取りなさい。相手にも都合というものがあるでしょう?」
とりあえず伝えたいことは伝えなければ……。紫苑は決して馬鹿ではない。少々世間知らずで、常識知らずで、独特の感性を持っているけど、言えばきちんとわかってくれる子だ。
「そのような都合など私には関係ありません!咲耶様がどこかへ行かれるといわれるのでしたら私がついていってあげます!」
「…………」
いや、待て。だから落ち着け。違う。そう……。言葉通り受け取るな。紫苑語を理解するんだ。
今言いたかったのは恐らく『行き先や用事があっても私に遠慮される必要はありません。咲耶様がどこへ行かれるとしても私もお供いたします』というところか?
うん……。そうだな。そんな感じだろう。それなら紫苑の言いたいこともわからなくはない。
ただ紫苑がそう思ったとしても、やっぱり相手が『それじゃ俺が出かけるから勝手についてこい』とはならないだろう。紫苑は自分を使用人達のように思ってそこらを連れまわしてくれても構わないと言いたいんだろうけど、こちらとしてははいそうですかとそんな風には扱えない。
仮にも堂上家のご令嬢を、まるで召使のように連れ歩き、空気のようにいないものとして扱うなんてことが出来るはずもない。その辺りの相手のことも考えてあげるとか、察してあげるという能力が紫苑には圧倒的に足りていない。
言葉が足りないのもそうだけど、自分はこう思っているからこうされてもいいです、みたいなのは通じないだろう。
紫苑は……、昔の薊ちゃんをもっと酷くしたような感じだろうか。それとももしかして薊ちゃんも途中で変わっていなければこんな風になっていたのかもしれない。そういえばゲームの薊ちゃんは『私は咲耶お嬢様の影です!』みたいな所があった。今の紫苑のような性格がゲームの薊ちゃんの性格だとすれば何となくしっくりくる。
「紫苑……、貴女に足りないのは相手への気遣いです」
「気遣い……、ですか?咲耶様は私のことは何も気にしなくて良いんですよ?」
「それが間違いなのです。紫苑が『自分への気遣いは無用だ』と思っていても、相手はそうはいかないのです。貴女が何かしようとすれば周囲は貴女へ気を使うのですよ。それに紫苑が居ても気にせず行動すれば良いと言われてもそうはいきません。私も今日は塾の夏期講習へ行く予定でしたが紫苑が突然訪ねてきたのでキャンセルしました。そういう影響が出てしまうのです」
「そんなこと私は頼んでません!自由に夏期講習に行かれれば良いじゃありませんか!?」
うんうん。何となくわかってきたぞ。これは『私のせいでそのようなことに!私のことは気にせず夏期講習に行ってください』って所かな?
紫苑の言いたいこともわかるけど、やっぱりそれは無理な話だ。本人が『自分はいないものと思っていつも通りに過ごしてください』と言っても『はいそうですか』といないものとして過ごすなんてことは出来ない。どうしても相手に影響を与えてしまう。まずはそのことを理解してもらおう。
「これは何も私と紫苑のことや、今この瞬間だけの話ではないのですよ。紫苑は色々と誤解を受けやすいでしょう?それは自分でもわかっているはずです」
「それは……」
明らかに紫苑がシュンとした顔になった。それはそうだろう。この紫苑語を理解出来ないと紫苑が言っていることは滅茶苦茶でわがままにしか思えない。しかも高圧的というか上から目線というか……。だから紫苑は周囲から嫌な子と思われているはずだ。
紫苑の本心がそうではないことを俺はもう知っている。でもだからってこれは周囲だけが悪いわけじゃない。紫苑自身もまたこの誤解を招いている原因でもある。言葉遣いがおかしい。言葉足らず。そういう部分もかなりある。
「紫苑がいくら『自分のことは気にせず普通に過ごしてくれたらいい』と思っていても、相手はそういうわけにはいかないのです。だから紫苑も相手のことを気遣い、どうすれば良いのかを考えなければいけません。今回のことで言えば突然家まで訪ねてくるのではなく、事前にアポイントメントを取り、遊ぶ約束を取り付ける。それだけでもっと色々と問題もなく解決したはずです」
「私はただ……、咲耶様とお会いしたくて……」
完全に萎れてしまった紫苑が何だか可哀想で可愛いけど、ここで可哀想だからじゃあそのままでいいよと言ってはいけない。紫苑は言われたことはきちんと出来る子だ。少しずつでも常識を身につけて覚えていけば、きっとちゃんとしなければならないことは出来るようになる。
「紫苑……、世の中の決まり事というものにはそれなりの理由があるのですよ。その根底にあるのはお互いに相手を尊重して、お互いに不快な思いをしたり我慢したりせずにうまくやっていけるようにという配慮です。もちろん中には不要なルールや、おかしな決まりもあるでしょう。ですが大半の『お互いを尊重し合う』配慮というのはとても重要なものなのですよ」
「はい……」
う~ん……。何か完全にシュンとしてしまっている……。別に強く叱っているわけじゃないんだけど、あまり叱られたこともないであろうご令嬢には堪えるのかもしれない。
「ほら……。もうそんな顔をしないで?」
「――ッ!?さっ、咲耶様!?」
立ち上がった俺は紫苑の横に立ってその頭をそっと抱き寄せた。俺の胸に紫苑を抱き寄せて、頭と背中を軽くポンポンと叩いてあげる。赤ちゃんなどもこうして背中などをポンポンされると安心して眠るらしい。生憎俺は赤ちゃんの面倒なんて見たことはないから詳しくは知らないけど……。
「紫苑が言葉足らずで誤解を受けやすい子だというのはわかっていますよ。ですがそれを相手が理解してくれないと言う前に、紫苑の方も相手に気持ちを伝える努力をしなければなりません。まずは少しずつでも、ちゃんとそういうことが出来るように一歩一歩勉強していきましょう?」
「咲耶様……、咲耶様!咲耶様ぁぁぁぁっ!」
うんうん。紫苑が俺の胸にギュッと抱き付いてきた。どうやら説得がうまくいって感動してくれたようだ。
「うへへっ!咲耶様の胸!良い匂い!柔らかい!もっと!もっと触れたい!」
何か鼻をスンスンさせている。もしかして泣いているのかな?それならもう少しだけ俺の胸を貸してあげよう。さぁ少女よ!俺の胸で泣け!前世の俺がこんな少女に胸を貸していたら犯罪だっただろうけど、今の俺はこんなことをしていても何も違和感がない!こういう時だけは咲耶お嬢様に転生してよかったと思える。
それにしても……、『気持ちを伝える努力をしなければならない』か……。人に偉そうに言っておいて俺自身はどうだ?俺はちゃんと皆に自分の気持ちを伝えられているだろうか?伝える努力をしているだろうか?
俺は皆に色々と秘密にしている。胸の内を打ち明けていない。もしかして俺こそが皆を裏切っているんじゃないだろうか?皆は俺のことを友達だと思ってくれているのに、その俺自身が皆を信じ切れず、何もかも秘密にして胸に秘めて抱えているんじゃないだろうか?こんな状態で果たして本当に俺は皆と友達だと胸を張って言えるのか?
今日紫苑が訪ねてきたことには驚いたけど、何だか俺も自分で言った言葉に身につまされる思いもしている。紫苑が誤解されやすいとか、言葉足らずで誤解を招いていると言ったけど、それは俺も同じじゃないか……。
何とも言えない気分のまま、暫く泣いているであろう紫苑に胸を貸してあげたのだった。




