第四百七十八話「へっ、へんた……、大変だ~!」
もうこのまま素直に勉強会だけして帰るしかないのか?三人ともそう思いかけていた時、思わぬ転機が訪れた。
「失礼いたします。咲耶様、奥様がお呼びでございます」
「「「――ッ!」」」
「あら……、そう……。ごめんなさいね皆さん。少し席を外しますね。皆さんは少し休憩しておいてください」
ずっと真面目に行われていた勉強会だったが、メイドが咲耶を呼びに来たことで流れが変わった。鬼灯達三人はすぐさまそれに反応する。
「ああ!いってらっしゃい咲耶っち!」
「……ん!ゆっくりしてくるといい」
「私達は少し休憩しているのでゆっくりしてきてくださいね」
「……あぁ、すみません。そう言えば今まで休憩もなく授業ばかりでしたね……。それでは少しゆっくりしておいてください」
三人がそう言ったことを受けて、咲耶はこれまで休憩もなしにぶっ続けで授業を行っていたことに気付いた。咲耶ならばこれくらいはまだまだ序の口なのだが、普通の者ならば疲れて休憩を入れている時間くらいはとっくに経っている。
咲耶は自分の感覚が少しズレていることをここ最近の咲耶グループとの勉強会で理解してきていた。演奏の練習の合間に勉強会をして、勉強会の休憩の合間に演奏の練習をする。それなら勉強と演奏の練習を同時に出来ると思っていた。だがグループの皆はそれをするとすぐにクタクタになってしまうのだ。
咲耶にとっては当たり前だと思っていたことも、グループの他の子達にとっては当たり前ではない。
人はそれぞれ違う。体力も、集中力も、人によって限界が違うのだ。咲耶はそれを忘れて自分基準で考えてしまうことをここの所の勉強会でようやく気付いた。今日もこれまで休憩もなしにぶっ続けで勉強してきたが、鬼灯達も本当はもう疲れていて休憩したかったのかもしれない。
それに気付けなかった自分を恥じ、責め、素直に頭を下げると、少しゆっくり戻ってこようと決めて優しい笑顔で頷くと部屋を出て行った。それを見送った鬼灯達は……。
「キターーー!大チャーーーンス!」
「……ん!今のうち!」
「あの……、お二人とも……、あまりそういうことはされない方が……」
咲耶が部屋を出て行った瞬間、鬼灯と鈴蘭は元気良く立ち上がった。勉強でクタクタになっていたはずだが、これからのお楽しみを思えばそんな疲れなど吹っ飛ぶというものだ。
「じゃあ花梨は見てなよ!」
「……ん。もうわたし達を止めるものは何もない」
「うぅ……」
花梨の言葉にも耳を貸さず、鬼灯と鈴蘭は早速行動に移った。鬼灯が最初に向かったのは天蓋付きのベッドだ。そのベッドに近づくのみではなく……、いきなりダイブを決め込んだ。
「はぁぁ~~~っ!これが!咲耶っちの!ううん!咲耶お姉様が日ごろ寝ているベッド!お布団!すーはーすーはー!咲耶お姉様の香り!あっ!あっ!あっ!駄目だ……。クラクラする……。こっ、こんなの……、あはぁ~~~んっ!」
ベッドに飛び込んだ鬼灯は、最初こそ布団を抱き締めてゴロゴロしていたが、すぐにその動きを止めて何度か布団や枕の匂いを吸い込むとビクンビクンと体を震わせた。まだ触ってもいないのに、服の上から布団を抱き締めた感触だけで昇天してしまった。
「……ん。鬼灯ずるい……。それならわたしは……」
ベッドを鬼灯に奪われ、しかもゴロゴロと完全に使われてしまった鈴蘭は向かう先を変えた。同じベッドに遅れて向かっても鬼灯の匂いがつけられてしまっている。それならばと並んでいる箪笥に向かった。
「……ん。こっちは部屋着……。こっちも……。違う……。冷静に考えて……、下着を入れるならもっと小さな箪笥のはず……。あった!」
最初は大きな箪笥を漁っていた鈴蘭だったが、よくよく考えてみればその手の大きな箪笥には大きな服、部屋着などの着替えや丈の長いものが入っているだろう。それに気付いた鈴蘭は近くにあった小さな棚を漁ってみた。するとそこにあった。咲耶を守る最後の小さな布達が……。
「……ん!さっ、咲にゃんこんな凄いのを穿いてる?レースで透け透け……。こんなの穿いたら……、見えちゃう……」
鈴蘭は赤面しつつもしっかりとソレを広げて確認する。裏表を通しても向こう側が透けてしまうほどのレースのソレはあまりに刺激が強すぎる。
「……ん?こっちは?……、――ッ!?こっ、これは……、ズロース!?咲にゃん……、こんなものまで?」
ズロースとはドロワーズやドロワとも呼ばれるもので、一般的なイメージとしてはかぼちゃパンツをイメージしがちだが、かぼちゃパンツがズボンの一種なのに対してドロワーズは下着なのでまったく別物である。
「……ん、ん。これが咲にゃんの趣味?」
スリップ、ネグリジェなど大人っぽくセクシーな下着から、ドロワーズのような少し子供っぽい下着まで様々な物が整然と仕舞われている。基本的に未使用品が多いようだが、中には使用済みとわかるものもあった。ある意味当然ではあるが、残念ながら全て洗濯されてしまっているので、使用済みのまま洗っていない物が箪笥の中に仕舞われていることはない。
それでも鈴蘭にとってはまさに宝の山であり、未使用の新品ではなく洗濯されていても良いから使用済みの物を物色していく。
「ああぁ……、おっ、お二人とも……、そのようなことをしては……」
花梨は鬼灯と鈴蘭の暴挙を見ていることしか出来なかった。はっきり、正直に気持ちを言えば自分も混ざりたい。九条様が普段眠られているベッドに入ってゴロゴロしたい。使用済みの下着を楽しみたい。だが花梨は理性が邪魔をして二人のように欲望のままに行動することが出来なかった。
二人はそれらを堪能しているというのに、花梨は開き直って混ざることも出来ず、正論をかざして二人を止めることも出来ず、ただ慌てふためきそれを見守ることしか出来ない。
「鈴蘭、私の分も確保しておいてよね」
「……ん。お断り。鬼灯は咲にゃんの匂いがたっぷりついたベッドを楽しんだ。下着はわたしがもらう」
「なんだよー!ケチー!いいじゃんかー!」
「……ん。駄目」
まだ若干体をヒクヒクさせていた鬼灯は、それでも鈴蘭の行動を見て自分の分も確保してとお願いした。だが自分はベッドを楽しんでおきながら、鈴蘭に下着を確保してもらい後で受け取るなどということが許されて良いのだろうか?答えは否!
じゃあ今からベッドを譲るから交代で楽しもうと言われても駄目だ。ベッドにはもう鬼灯の匂いまでついてしまった。咲耶の匂いだけに包まれて、咲耶の匂いを楽しむということはもう出来ない。ならばベッドは楽しみ、下着も手に入れるなどというおいしい思いを許すわけにはいかない。
「……ん。それなら自分で確保すればいい」
「ふーんだ。それくらい……、あれ……?」
そう言われたら自分も箪笥まで行って欲しい下着を確保しておけば良い。そう思ったが……、体はベッドから降りようとしなかった。咲耶の匂いに包まれているこの場を動きたくない。布団を抱き締めるとまるで咲耶お姉様を抱き締めているかのような錯覚に陥る。枕に触れるとまるで咲耶お姉様と口付けを交わしているかのような気がする。
「……無理。ここから出られない」
「……ん。だったらそこで見ていればいい」
二人はベッドでゴロゴロし、下着を物色して人生の中で最高の時を味わっていた。今までの人生の中で最も幸せな一時だっただろう。だが夢はいつか覚める。幸せな時間というのは無限には続かない。何よりも二人の行動ははっきり言えば犯罪と変わらない。他者の尊厳を踏み躙り行った犯罪には報いが訪れる。
ガチャリと……、咲耶の部屋の扉が開けられた。
「皆さん、お待たせいたし……、あ……」
「「……あ」」
扉を開けた咲耶が固まる。くしゃくしゃにされたベッドの上で布団を抱き締めたままヘコヘコと腰を動かしている鬼灯。引っ張り出されて辺りに散らばっている下着用の箪笥の前に座り下着を握り締めている鈴蘭。そして元の勉強用のテーブルに座ったままアウアウしている花梨。
四人の視線が順番に動き、お互いに視線が交錯した。
「鬼灯さん……、鈴蘭さん……」
フッと……、何か作り物っぽい笑顔を浮かべた咲耶の声に二人はビクリと肩を跳ね上げた。今までは『ちゃん』呼びだったというのに、今はいかにも作り笑いという笑顔で『さん』付けになっている。ダラダラと汗が流れるが熱いわけではない。むしろ寒いくらいに感じる。
「え~……、その~……、これは~……」
「……ん。…………ん」
二人はダラダラと汗を流し、視線を彷徨わせながら何かを言おうとし、結局何も言えなかった。この状況でうまい言い訳などあるはずがない。そんなものがあれば世の下着ドロボー達は皆その言い訳を使うだろう。この状況で言えることなど最早何もない。
「ええ。ええ……。良いのですよ……。ええ。良いのです。そうですよね?お友達の家に行ったら……、そういうことをするのも普通のことですよね?」
「いや……、あの……」
「……ん。その……」
圧が物凄い。咲耶はきっと物凄く怒っているだろう。それはそうだ。不在の間に勝手にベッドに入って一人遊びをされたり、下着を漁られていたら誰でも怒る。二人はもう真っ白に燃え尽きていた。
やってしまった……。
折角仲良くなれたというのに、目先の欲望に流されて大切な物を失った。今から冷静に考えてみればこうなることは当然だとわかったはずなのに……。どうしても目の前の欲望に流され、超えてはならない一線を超えてしまった。
許されるわけがない。これは普通に犯罪だ。咲耶が怒るのも当然というものだろう。自分達は何ということをしてしまったのか。今更になってそのことを理解したがもう遅い。先に立つ後悔はないということだ。
「それで……、花梨は席に座ったままなのですか?」
「え?あの……」
鬼灯と鈴蘭を無視して、室内に入った咲耶は花梨の前までやってきた。その顔には相変わらず表面だけの作った笑顔が張り付いている。
それはそうだ。九条様がお怒りなのは二人に対してだけではない。この惨状を知っていながら止めなかった花梨も叱られて当然だろう。
「もっ、申し訳ありません!九条様!私がお二人を止められなかったばかりに……」
「花梨は私と遊びたくないのですか?」
「「「…………え?」」」
花梨の前に立ちそう問いかけた咲耶の言葉の意味がわからない。何を言っているのか理解出来ない。
「私は花梨とも遊びたいですよ?それとも吉田家と九条家などということを気にされているのですか?」
「あっ、あにょ……?」
どんどん近づいてくる九条様に花梨の思考が定まらない。九条様が何を言っておられるのかもわからないし、自分がどうすれば良いのかもわからない。そして何故こんなに、触れ合いそうなほどに近づいて来られているのかもわからなかった。
「やはり……、普通の女の子同士の遊びといえば……、こうしてキャッキャウフフすることですよね?ね?そういうことなのでしょう?これが……、これが普通の女の子同士の遊び!素晴らしいです!」
「え?きゃぁっ!?」
突然ガバッ!と抱き付いてきた九条様に花梨の思考は完全に停止した。何が起こっているのか理解出来ない。九条様が先ほどから何を言われているのか意味がわからない。ただ一つわかることは……、今こうして自分は九条様に抱き締められているということだけだ。
「うふふっ!こうして皆さんで距離感も近く、遠慮なく過ごすことが普通の女の子同士のお友達なのですよね?私だって知っていますよ!ほら!こういう写真のようにするのですよね?」
そう言って九条様が見せられたスマートフォンの画面には、女子学生達が抱き合って、顔を寄せ合って写っている楽しそうな写真が映し出されていた。
「私も……、私にもついにこういう普通の女の子同士の遊びが……。ふふっ、うふふっ!さぁ!花梨!私と写真を撮りましょう!」
「あっ!ちょっ!九条様!だっ、駄目です!そこはぁっ!あぁ~~~っ!」
「うわぁ……」
「……ん。凄い……」
咲耶は花梨に抱き付き、スマートフォンで写真を撮っていた。かなりくっつき、際どい所をお互いに寄せ合う。花梨の腕に咲耶の膨らみが押し付けられ、その感触をモロに感じてしまう。咲耶が腰に手を回してきて抱き合うように寄せられてしまう。
鬼灯と鈴蘭は『咲耶の物に悪戯する』という幸福を味わうことは出来た。だが花梨は違う。花梨は『咲耶の物』ではなく『咲耶そのもの』と触れ合い、抱き合い、お互いに刺激し合っている。
いくらいつも使っているベッドに潜り込もうと、使用済みの下着を堪能しようとも、その中身である本人と戯れることと比べられるはずもない。
結局の所……、悪さをせずに大人しく待っていた花梨は一番おいしい思いが出来た。だが自分達があんな犯罪行為をしてしまった二人は、花梨を羨ましいと思いながらも強く抗議することは出来ないままその日はお開きとなったのだった。




