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第四百七十六話「柾の気持ち」


 お盆の最終日。伊吹は上機嫌で九条邸へ向かう車に揺られていた。


 テスト結果発表の時は少し失敗してしまった。あの場ですぐに訂正するなり謝るなりすればよかったのだろうが、咲耶や西園寺が自分よりも成績が良かったことのショックもあって、ついその場から逃げ出してしまった。


 そのことで咲耶とまたギクシャクしてしまうかと思ったが、咲耶も特にいつもと変わった様子もなく平然としていた。どうやら特に問題はなかったようだと解釈した伊吹は何の憂いもなく今日のパーティーを咲耶と楽しめると上機嫌だったのだ。


『伊吹坊ちゃま、間もなく九条邸に到着いたします』


「おう!」


 助手席からインターホンによって聞こえた言葉に伊吹は大仰に頷いた。組織の長としてしっかりしろと咲耶に言われてから暫く接触を減らしていたが、パーティーの間は接触してしまうのも止むを得ない。誰にも文句を言われることなく咲耶と一緒に居られる。


「おう!咲耶!」


「御機嫌よう、近衛様」


 九条邸の門を越えて屋敷の前のロータリーにやってくるとすでに咲耶は表で待っていた。もちろんそれはいつものことだが、それでも妻が自分の帰りを表で待っていたらうれしくなるだろう。伊吹はそれと同じ気になって良い気分で浮かれる。


「そのドレス似合っているぞ!」


「ありがとうございます」


 頭を上げてフワリと可愛い笑顔でそう応えてくれる。それだけで伊吹は幸せな気持ちになった。この可愛い笑顔は自分だけに向けられているものだ。咲耶は自分のものだ。奥ゆかしく、可愛く、美しい。自分にだけ見せてくれる特別な笑顔。それが向けられるだけで伊吹はもうメロメロで腰砕けになっていた。


「よし!乗れ!」


「はい」


 手を差し出すとその上に手を乗せてくる。何とも可愛らしい手だ。サテングローブの上からでもわかるほどにゴツゴツとしている。


(……ん?ゴツゴツ?)


「……何か?」


「ああ、いや……。何でもない!乗れ!」


「はい」


 咲耶の手を取ってリードしてやると車に乗り込んだ。まだパーティーまではかなり早い時間だというのに咲耶はもう準備して待ってくれていた。きっと咲耶も自分と一緒にパーティーに出るのを楽しみにしてくれていたに違いない。伊吹は一人で勝手にそう盛り上がって車の中でもずっとしゃべり続けていたのだった。




  ~~~~~~~




 いくら主催者である伊吹はまだ準備があるとはいえあまりに早すぎる迎えにも咲耶は完璧に応えた。そもそも伊吹はいつも迎えに来るのが早いのでそれを見越して準備していただけだが……。


 案の定会場に着いてもまだ早すぎ、ただ待っているにしても時間を持て余しすぎる。そんな咲耶の下へ近衛靖子が近づいてきた。


「いらっしゃい咲耶ちゃん」


「御機嫌よう、近衛様」


「ごめんなさいね、こんな早くに……。伊吹ったら馬鹿だから……。女が準備に時間がかかることも、長時間放っておけないことも理解出来ていないのよ」


「いえ、いつものことですので」


 靖子の言葉に咲耶も笑っていない笑顔で応える。これは少々お嬢様はお冠のようだと思いながらも靖子も折れるつもりはない。


 女性は着替えやメイクに時間がかかる。さらに長時間同じドレスを着ていてはシワになったり、表面が傷んだりする。メイクも一度すれば終わりというものではなく、長時間放っておくと崩れてしまう。定期的にメイク直しをしなければならず、しかも長時間のメイクはお肌にも悪い。


 ある程度早めに連れてきて、多少時間が長くなってしまうのは止むを得ない。だが必要以上に早く準備をさせて、長時間待機させるなど女性に対しての配慮が足りないと言わざるを得ない。伊吹は母靖子にそう言われても聞かず、結局咲耶に負担になることばかりしている。これでどうやって好かれようというのか靖子にも呆れられていた。


「それよりも折角早く来てくれたんだから少し山吹と遊んでいてもらえないかしら?少し私も離れなければならないのよ。ね?お願い」


「…………わかりました」


 靖子が離れなければならないのが本当だったとしても、日ごろから母親がいない間の面倒を見ている者はいくらでもいるだろう。わざわざ咲耶に頼む必要などないはずだ。だが靖子はあえて咲耶に頼んだ。咲耶の方も無下に断ることも出来ない。


 山吹の所に案内された咲耶だがこれといってすることはない。泣いたからといってあやす必要もないし、おしめを換えることもない。ただスヤスヤ眠っている赤ん坊の顔を見ているだけしかすることがない。時々泣いたらメイド達がミルクを与えたり、おしめを換えたりするのをじっと見守る。


 そうして時間を潰している間にようやくパーティーの時間が近づいてきた。すでに長い時間が経っているので咲耶も一度下がってドレスや化粧を直す。こんなことならこのくらいの時間に到着するように迎えに来てくれればその方が良いのだが、伊吹がそのことを理解することは恐らく一生ないだろう。


「咲耶!そろそろ出迎えに出るぞ!」


「はい」


 衣装と化粧を直した咲耶を連れて伊吹は会場の前に出た。招待客達を出迎えて挨拶を受ける。ほとんどは近衛家や伊吹に対する社交辞令的な挨拶をする者がほとんどだが、一部咲耶の取り巻き達は咲耶と楽しそうに話していた。それを見ると伊吹は若干イライラする。


 だが所詮この者達は咲耶の取り巻きだ。その取り巻きに寛容になるのも咲耶を娶る主人たる自分の懐の広さを示すことにもなるだろう。そう思って適当に聞き流しつつ我慢していた。そんな所へ今回初めてパーティーに招待された二人の男がやってきた。


「ふん、逃げずに来たか」


「お招きいただきましたからね。出席すると答えておいて当日にキャンセルするような真似はしませんよ」


 伊吹と柾の間で視線がバチバチと火花を散らす。柾の横で石榴は困ったような顔をして小さくなっていた。だが二人の掛け合いもそこまでだった。


「近衛様、折角来ていただいたお客様にかける言葉があるのではありませんか?」


「「「――ッ!!!」」」


 伊吹の隣から発せられる恐ろしいまでの威圧。その威圧に伊吹も柾も石榴も一瞬にして凍りついた。伊吹と柾はともかく石榴は歯がガチガチと鳴ってしまうのを止められない。あまりに恐ろしくいっそ失神してしまえればどれほど楽かと思えるほどだった。


「あっ、あぁ……、よく来たな!押小路柾!それから……、速水石榴?」


「本日はお招きいただきありがとうございます」


「あっ、ありがとうございます」


 咲耶があまりに迫力があるので三人ともとりあえず辛うじてそれらしく挨拶して別れた。あのままあそこに立っていられるほど柾も石榴も馬鹿ではない。あそこに居たら気だけで死んでしまうかもしれない。とりあえずあの場は逃げ出すしかなかった柾は伊吹と咲耶の後姿を見ながら会場へと入ったのだった。




  ~~~~~~~




 堂上家など上位の家が集まる会場ではなく、地下家など下位の家が集まる会場に入った柾と石榴はその規模に圧倒されていた。


「さっ、さすがは近衛家だね……」


「そうですね……」


 石榴の言葉に柾も素直に認めるしかなかった。二つある会場のうちの片方だけでもこの規模だ。地下家最上位クラスである押小路家でもこの一つの会場分のパーティーを用意するのも大変だろう。それを倍以上なのだから近衛家の権勢と財力がどれほどであるのかまさに思い知らされる。


「何か俺達注目されてないかい?」


「そうですね」


 周りから何だか注目されている気がして柾と石榴は少し移動した。しかしやはり移動しても視線もヒソヒソ話もついてくる。間違いなく二人は注目されている。


 そもそもいくら大規模でかなり多数の家が呼ばれているとはいえ、近衛家のパーティーに外部生が呼ばれること自体がかなり珍しい。しかも今回は地下家の中でも最上位クラスである押小路家の嫡男が来ているのだ。こちらの会場ではかなり話題になってもおかしくはない。


 少し居心地が悪い思いをしながらも待っていると、会場の巨大スクリーンに近衛夫人が映し出され挨拶が始まった。その後近衛伊吹などの挨拶もありようやくパーティーがスタートしたが、柾はスクリーンの隅に映っていた人物が気になって仕方がなかった。


 近衛伊吹の許婚候補最有力などと言われているのだ。それに出迎えにも一緒に出ていた。近衛家と九条家の家格を考えれば何もおかしくはない。だが……、スクリーンの隅で伊吹の横にひっそりと控えていた咲耶が映るたびに柾はモヤモヤと何だか嫌な気持ちになっていた。


 これが一体何なのか。それを柾は認めたくない。わかっているがわかりたくない。認めたくない。違うはずだ。


「こっちの挨拶は近衛伊吹君と九条咲耶さんが受けるそうだよ。俺達も並ぼう。特に押小路君は最初だろ?」


「えっ!?ええ……、そうですね」


 もう一つの会場では近衛夫妻が挨拶を受けている。こちらの会場には伊吹と咲耶が挨拶を受けにくるらしい。それを聞いて柾はますますモヤモヤした気持ちになった。だがこちらの会場では序列が高い自分がさっさと行動しないと後がつかえる。自分の気持ちを振り切って伊吹と咲耶に挨拶に向かった。


「よう」


「……このような素晴らしいパーティーにお招きいただきありがとうございます」


「ああ、精々楽しんでいってくれ」


「…………」


「…………」


 柾と伊吹は険悪なまま視線で火花を散らす。しかし隣の美しい女性がハァッと溜息を吐いたので二人ともフンッと視線を逸らした。


「押小路様は……、思ったよりも子供らしい方のようですね」


「なっ!?」


 やれやれとばかりにそう言った咲耶に柾はカッとなって睨んだ。しかし咲耶にはどこ吹く風で効かない。


「近衛様も近衛様ですが、押小路様も押小路様です。争いは同レベル同士でしか起こらないと言われていますが……、お二方はとても良く似ておられるようです」


「「俺のどこがこいつと同レベルなんだ!あっ……」」


 二人は同時に同じことを言い、それに気付いて気まずそうに視線を逸らした。


「ふふっ。そっくりではありませんか」


「「……」」


 そう言って柔らかく微笑んだ咲耶の笑顔に二人して見惚れる。そのままいつまでも見ていたかったが、後がつかえるということで早々に次と交代させられた柾はしばらくぼーっとしたまま挨拶を受けている伊吹と咲耶を見ていたのだった。




  ~~~~~~~




 主催者への挨拶も終わり、皆がそれぞれパーティーを楽しみ始めた。柾と石榴は壁の花になって会場を眺める。


「近衛家は凄いなぁ」


「そう思わせるためのパーティーです。まんまと乗せられてるじゃありませんか、会長」


「そうは言うけど事実だろう?俺の家じゃ破産したってこんなパーティー開けないぞ」


 数々の料理、豪華な飾りつけ、呼ばれている面々も錚々たるメンバーであり、速水家どころか押小路家であってもこれだけのパーティーを開き、これだけの面々を呼ぶことは出来はしない。


「それはまぁ……。ん?あれは……?」


 確かにその通りだと思いつつ何気なく会場を見ているととても目を引く一団がこちらの会場をウロウロしていた。煌びやかなドレスを身に纏ったご令嬢の団体だ。本来ならばこちらの会場に来るようなレベルのご令嬢の衣装ではない。


「あの子達は?」


「ん~?」


 その煌びやかな一団、九条咲耶とその取り巻き達は地下家がほとんどのこちらの会場で、見るからに地下家風の年下の女の子達と合流して楽しそうにしていた。


 明らかに不釣合い。明らかに不自然。鬼の九条咲耶とその取り巻き達ならば、地下家の下級生など路傍の石ほどにも扱わないだろう。それなのに随分親しげに話し、一緒に行動している。それが理解出来ずに柾はその様子を注視していた。


「あ~……。何か九条さん達は地下家の下級生達と随分親しいらしいね。俺も噂でしか聞いてなかったし、いくら内部生とはいえ地下家の子が九条家のご令嬢に可愛がってもらえるなんて思ってなかったけど……、どうやら噂は本当だったらしい」


「…………九条咲耶は、何故……」


 柾には理解出来ない。九条咲耶は悪の権化のような者だと思っていた。そう思いたかった。それなのに、地下家の後輩達に優しく微笑んでいるあの美しい少女は一体誰なのか。自分が思っていた学園生活がガラガラと音を立てて崩れていく。


 柾は昔から曲がったことが大嫌いだった。将来は正義の味方になるのだと思っていた。そんな柾にとっては藤花学園は家格を笠に着て横暴に振舞う内部生と圧政に苦しめられる外部生の争いの場だと思っていた。それなのに蓋を開けてみればどうだ。


 押小路家よりも家格が下の地下家や一般の下級生達に向かって優しく微笑んでいるあの少女のどこが悪の権化だというのか。自分は勝手な思い込みで人を悪者に仕立て上げていただけではないのか。


「九条……、咲耶……」


 会場の向こうの方にいる少女を見詰める柾の目は……、隣に立っていた石榴からは愛しい人を見つめる熱い視線に見えたのだった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 伊吹、成長というより退化してない? 娶るとか、妻とか、咲耶が可哀想だ笑笑 [一言] 咲耶も罪な女ですね。
[一言] oh...面白過ぎてめちゃんこお腹痛いです。どうしてくれるんだ(大激怒 一言:伊吹が気持ち悪い(今更な事失礼しまぁす
[一言] 流石に手でブロックや瓦を砕いてたらゴツゴツするか( ˘ω˘ ) そういえば咲耶ちゃんがラムネの瓶を開けようとしたら修行の成果でA玉が抜ける前に下の瓶が弾けたりしそうだよね。
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