第四百七十五話「夏休み前半」
終業式直後に山合宿に連れていかれるとは思っていなかったけど、それ以降の予定は概ね予定通りに進んだ。蕾萌会の夏期講習と百地流の修行。時々皆で集まってのコンサートに向けての練習と、その前後などに勉強会だ。
演奏の練習や勉強会には常に毎回全員が揃っているとは限らない。皆それぞれ予定もあるし、全員が揃う日を待っていたら何ヶ月に一回とかの頻度になってしまう。だから皆が集まるのは日を決めておき、その日に来れる子だけが集まる形式になっている。
コンサートの練習なら別に全員が揃っていなくてもどうにかなるけど、勉強会に関しては教える方としてはあの三人が揃ってくれている方がありがたい。バラバラだったら三人にそれぞれ一回ずつ、三回も同じ説明をしなければならない羽目になる。勉強会に関しては強制参加の三人が揃っている時はまず勉強会優先で進めた。
これまで一学期の復習をしてきたけど、やっぱり今のうちに勉強をやり直しさせておいてよかったと思える。今ならまだ初等科の勉強を少しやり直すだけで何となく理解が追いつくけど、もし高等科までいってしまっていたら、わからない所まで戻ってやり直すだけでも膨大な時間がかかってしまっていたことだろう。
三人も元々頭が悪いわけじゃなくて、勉強をしてなかったとか、勉強の仕方がわからなかったというだけで、決して勉強が出来ないというわけじゃない。今までの人生で勉強よりも教養を身につけろと周囲に言われて育っていれば、本人が望んでいなくともああなってしまうのは止むを得ない。
夏休みを使ってこれまでの復習をして、理解の足りていない所を重点的に克服していけばすぐに成績も良くなるはずだ。というか最低限の成績くらいは取ってもらわないと困る。俺達とつるんでいるから成績が悪いんだなんて言われたら大変だからな。まぁ各家のご両親はそんなこと気にしてないだろうけど……。
両親や藤花学園がそれで良いと言ったとしても、外部生などに『内部生はエスカレーター式で安泰だから』とか『あのグループは成績の悪い者の集まりだ』みたいなことを言われてしまう。うちのグループの子達にはそんな風に言われる子が出て欲しくない。少なくとも外部生が納得するくらいの成績はキープしてもらう。
「咲耶お姉ちゃん!そろそろ練習しよ?」
「え?あぁ……、そうですね……。それでは休憩は終わりにして演奏の練習を再開しましょうか」
「咲耶様……、私達はまったく休憩していませんけど……」
「そうだよー……」
「もうクタクタです……」
俺的補習の強制参加者の三人は演奏の休憩中も勉強会をさせている。こんなことを言っているけどちゃんと勉強はしているし、理解が深まっているのははっきりしている。小テストをしても良い点数を取っているし、次の内容に進んでも前の内容を覚えているからスムーズに理解が進んでいる。
ただこうして休憩時間も勉強させていたら三人とも疲れるようだ。三人以外の同級生グループも休憩時間の勉強会に参加しているけど疲れたなんて一度も言ったことがないけどね。
「仕方ありませんね。それでは皆さんは少し休んでいてください。向こうは私がいれば大丈夫なので」
演奏の休憩時間を勉強時間にあてると休む時間がないか……。演奏の休憩中に勉強して、勉強の休憩中に演奏をすれば一石二鳥かと思ったけどそれは無理だったようだ。俺なら師匠にそういう修行をさせられているから当たり前だと思っていたけど、世間的にはそれは変なのかな?
「それではいきますね。ワン、ツー、スリー……」
演奏の練習は俺がピアノを担当すれば四年生達の練習はどうにかなる。……でも、そういえば四年生達も勉強している様子がないけど成績は大丈夫なんだろうか?将来薊ちゃん達のように苦しむことになるくらいなら、今のうちから少しずつでも勉強をしておいた方がいいんじゃないかな?
「咲耶、気が入っておらんな」
「ヒェッ!?ちゃっ、ちゃんとします!」
考え事をしながらピアノを弾いていたら師匠にギロリと睨まれた。師匠は誤魔化せないので素直に謝って気を入れて演奏に集中する。
下級生達の勉強についても追々考えておいた方がいいのかもしれないけど、とりあえず今は演奏の練習を頑張ろう。
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八月に入って少ししてから家族旅行に出かける。世間様よりは少し早い盆休みだけど、俺達はお盆の終わりに近衛家のパーティーに参加しなければならない。このパーティーがなければお盆明けまで少し長めに休みが確保出来る。それなら長い休みに海外にでも行けるというのに、近衛家のパーティーがお盆休みをぶった切ってしまうために長い休みが確保しにくい。
「本当に近衛家のパーティーは人の都合を考えない日程ですね」
「まぁまぁ。そうは言っても咲耶だって近衛家のパーティーを楽しんでいるだろう?」
「お兄様……。私は一度たりとも近衛家のパーティーを楽しいと思ったことなどありませんよ」
俺がそう言っているのに兄はニヤニヤと笑っているだけだった。本当に理解しているのだろうか?俺は冗談とか強がりで言ってるんじゃないぞ?本当に本気で近衛家のパーティーなんて楽しんだことは一度もない。
近衛家のパーティーで会ったグループの皆との会話などは確かに楽しんでいる。それは場所がどことか、何のための集まりかではなく、グループの皆とのおしゃべりだから楽しいのであって、近衛家のパーティーを楽しいと思ったというのとは意味が違う。
例えば年末年始の休みが十二月二十日から一月三日まで休みですと言えば『それはおかしいだろう』と言われるだろう。でも十二月二十五日から一月八日まで休みですと言えば『少し長い休みなんですね』と言われるだけで済む。
前後に数日ずつ日数を伸ばすことは出来るけど、前や後にかためて日数を伸ばすと他との兼ね合いがうまくいかなくなる。他の会社が二十八日まで仕事だったとしても、うちの会社は二十五日から休みですと言っても通じるけど、二十日から休みですと言えば他の取引のある会社は迷惑するだろう。
近衛家のパーティーもこれと同じで、いくら盆休みを前倒しで早く取るとしても限度がある。あまりに前から休みすぎると他の会社との兼ね合いで不具合が出る。だから前に伸ばせるのは数日程度だ。それに加えて終わりも数日伸ばせばかなり長い休みを確保出来るというのに、その終わりの所で近衛家のパーティーがあるとパーティーに出なければならなくなる。
「近衛家のパーティーがなければゆっくり家族で海外旅行にも行けますのに……」
「おお、咲耶はパパと一緒に海外旅行に行きたいんだねぇ!それじゃ今度はパパと一緒に海外旅行に行こうか!」
「あなた……、不用意な約束はしないでください」
「あっ、はい……。すみません……」
親父よ……、弱すぎないか?それとも母が強すぎるのか?ニッコニコで海外旅行の約束をしようとした父は母に怒られてあっさり引き下がった。やっぱりうちのヒエラルキーで一番上はお母様か……。
「海外旅行も悪くないけど僕は別荘も好きだよ。咲耶はうちの別荘は嫌いかい?」
「いえ……、そのようなことはありませんが……」
今年も避暑地の別荘へ短い国内旅行だ。これまでも海外旅行なんて何度も行っている。別にどうしても海外に行きたいわけじゃない。国内だってまだまだ見たい場所も知らない場所もたくさんある。だけど近衛家のパーティーのせいでこちらの行動が制限されているというのはストレスだ。
近衛家がパーティーをするのは勝手だけど、うちがパーティーに出席するのはうちの自由だろう。今年も母の一声によってパーティーに出て伊吹とペアを組むことは決まっている。俺としてはパーティーに出るより家族旅行にでも行く方が良いと思っているけど……、金持ちだからって自由でも思いのままに生きられるわけでもない。
金持ちには金持ちなりのしがらみや悩みがある。貧乏でお金がないという悩みよりは良いのかもしれないけど、金持ちなりの悩みというのもそれはそれで厄介なものだ。前世ではわからなかったけど今生ではそれもよくわかる……。
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「咲耶様、そのままでは日焼けしてしまいます。日焼け止めを塗るのでこちらにいらしてください」
「え~……。これくらい大丈夫でしょう?」
「駄目です!早く来てください!」
「は~ぃ……」
避暑地の別荘で、空調の効いた屋内プールに入る。これもうわかんねぇな。
折角の避暑地なのに空調を効かせた屋内にいて、わざわざ屋内プールに入る。普通なら沢や川に行って遊ぶものじゃないのか?何故こんな所まできて屋内プールに入るのか……。屋内プールなら都内でも良いじゃないかと思うのは俺だけか?
「それではこちらに寝転んでください」
「はい」
椛に言われた通りにプールサイドでうつぶせに寝転がる。
「そっ、それでは……、塗らせていただきます」
「ふぁい。……んっ」
冷たい液体が背中にかかって声が出てしまった。そしてすぐにひんやりと少し冷たい椛の手が俺の背中に日焼け止めを塗り広げていく。
「ハァ……、ハァ……、咲耶様……、咲耶様っ!」
「んっ……。椛……、少し強いです……」
息が荒くなるほど椛にとっては大変な動作なのだろうか?まぁ手で日焼け止めを塗り広げるんだから、雑巾がけで床を拭いているようなものなのかもしれない。腕も疲れるだろうし、多少は呼吸も弾むだろう。
「咲耶様の……、咲耶様のお肌が……、咲耶様のお背中が……」
「椛?」
何かブツブツと言ったままこちらの言葉に反応しない。チラリと首を曲げて後ろを見てみるけど椛の顔はよく見えなかった。
「咲耶様っ!もうっ!もう辛抱堪りません!」
「ちょっ!椛!?そこは腋でっ、あははっ!くっ、くすぐったい!やっ!そこは胸っ!」
「咲耶様!ここですか?ここがいいんですね!ここもですね!」
「やぁっ!ちょっ!あふっ!」
椛が背中だけではなく脇腹や腋、お尻の近くや太腿、前に回って胸の辺りまで日焼け止めを塗ってくる。ぬるぬるとひんやりした日焼け止めを塗られてどうしても声が出てしまう。
「椛師匠!椛師匠!私も!私にも塗らせてください!」
「柚!貴女にはまだ早いです!ここは私が!」
「ちょおっ!ふっ、二人でなんて……、あぁっ!」
それまで近くで見ていただけの柚まで参加して椛の逆側に来ると一緒になって日焼け止めを塗り始めた。手の数が倍になった上に、二人が別々に動き回るから予想外の場所を急に刺激されて体がビクビクと反応してしまう。
「咲耶様の可愛い膨らみ!咲耶様のさくらんぼ!」
「咲耶お嬢様の桃!咲耶お嬢様のうなじ!」
「あっ!あっ!あっ!ああぁ~~~っ!」
全身くまなく日焼け止めを塗られた俺はピンと足が伸び暫く動けなかった。その波が引いたかと思うと途端に体に力が入らなくなり、くったりしたままハァハァと荒い呼吸を繰り返す。
「こっ……、こんな状態ではもう泳げません……」
「この手の感触……、もう一生忘れません!」
「咲耶お嬢様に日焼け止めを塗れるなんて……、咲耶お嬢様付きになれてよかった!」
二人は妙にテカテカしているけど俺はそれどころじゃなかった。
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久しぶりの避暑地にある別荘での時間もあっという間に終わってしまった。都内の屋敷へと戻る車の中から外の景色を眺める。
「何だか物憂げだね?」
「え?えぇ……、まぁ……」
兄の言葉にも適当に答える。そりゃそうだろう。帰ったら間もなく近衛家のパーティーがある。正直に言えば行きたくない。グループの子がたくさん顔を出すからまだ辛抱出来ているけど、もし皆がいなかったら俺は絶対に参加しないだろう。近衛家のパーティーは規模が大きすぎてというか、人が多すぎて面倒臭い。
その点鷹司家のパーティーも嫌は嫌だけど人数が少ないからまだ気が楽というのはある。挨拶もすぐに終わるし面子も大体同じだからもう慣れているといえば慣れている。それに比べて近衛家のパーティーは面倒ばかりで楽しくない。
「そもそも私が挨拶を受けるのがおかしいのです。ペアのパートナーと言っても近衛家とは赤の他人なのですから私が挨拶を受ける必要はないのでは?」
「それは……、まぁ……、パーティーのペアっていうのはそういうものだからね」
それはわかっている。本来ならばパートナーは妻か婚約者など、家族かそれに準ずる者が引き受ける。だからまだ結婚していないとしても将来妻になる予定である婚約者などが一緒に挨拶を受けることで、将来の妻はこの人ですよと知らしめる意味もある。
でも俺は別に伊吹の婚約者でも何でもないんだから、他の人に対して近衛家の関係者かのようにアピールする必要はない。むしろ本当は婚約者でもないのに、あたかも婚約者かのようにそういう場にいる方が不適切だろう。
まぁ……、俺が一人でこうやって愚痴を言っていても意味はないわけで、パーティーのペアというのはそういうものだと決められている以上はその通りにするしかない。せめてあの挨拶の長蛇の列でもなければまだマシだと思えたかもしれないけど……。
「はぁ……」
憂鬱な気分を晴らそうと流れていく景色を見ていたけど、やっぱりいくら景色を見ても気分は晴れなかった。




