第四百二十八話「目指せ中デ!」
朝練を終えて、今日の予定は蕾萌会の長期休暇集中講座だ。春期講習にやってきた俺はロビーで菖蒲先生を見つけたから声をかけた。
「御機嫌よう、菖蒲先生」
「ああ、咲耶ちゃん。おはよう」
返事を返してくれた菖蒲先生だけど何だか元気がない。何かあったんだろうか?
「菖蒲先生、どうかされましたか?」
「う~ん……。席で話すわ」
「はぁ?」
そう言うと菖蒲先生はテキパキと準備を整えていつもの席へと向かって行った。俺もそれに付いて席へと向かう。
「まずは初等科卒業おめでとう」
「ありがとうございます」
席に着くとすぐに菖蒲先生はお祝いの言葉をくれた。エスカレーター式でそのまま繰り上がるだけだからほとんど何も変わらないのは、卒業生である菖蒲先生も理解しているだろう。それでもそう言うのは所謂お約束というやつだ。
「まぁ藤花学園だと初等科を卒業してもそのまま中等科に上がるだけだし、実感としてほとんど何も変わったように思えないでしょうけど……」
「あははっ……。経験者の方がそう言われたら説得力抜群ですね」
やっぱり菖蒲先生もそう思っていたか……。俺もそう思っていたよ……。だから俺は卒業式で泣いていた子達の気持ちがいまいちわからない。どうせ春休みが明けて中等科に入学すればほとんど代わり映えしない面子のままなのにと思ってしまう。一部違うのは外部生が増えることくらいだ。
「それでね……。咲耶ちゃんはこれからどうするのかしら?」
「え?どう……、とは?」
何か言いにくいことを言うように視線を逸らしてそう言う菖蒲先生の言葉の意味がわからない。俺が何をどうするというのか。それがさっぱりわからないことには答えようすらない。
「咲耶ちゃんは……、もう高校三年の分まで勉強が終わってしまったでしょう?だから今年からどうするのかと思って……」
「あっ……、あ~……」
そこまで言われてようやく理解した。俺は中高の六年分の勉強をこの初等科の六年の間にやってきた。そして先日一通り終わった所だ。まさか俺が来年度から中等科だからといって、今更また中等科の勉強からやり直しというのはあり得ない。
学校の勉強というのは連続している。昔の部分で躓いていたらその先も理解出来ないままどんどん勉強についていけなくなるものだ。もちろん全てがそうとは言えない。まったく別の内容に進むこともあるから、昔に躓いて理解出来ていない所があっても何とか次に進めばついていける場合もある。でもそうじゃない部分も多い。
だからこそ勉強はわからない所をわからないままに残してはいけないし、先に進む前に前の所をきちんと理解していなければならない。理解していないのに無理に先に進んでも余計に理解出来ずに無駄な時間を浪費して身に付かないだけになってしまう。そうなると勉強が苦痛になり、嫌になって投げ出してしまう。
そのため俺は六年もかけて中学校の勉強からやり直していた。時間が余るからというのもあったけど、やり直してみれば案外忘れていた部分も結構あった。内容が連続していて理解が深いところや、日ごろよく使うようなものならば覚えていたけど、受験勉強でしか使わないような知識や内容は忘れてしまっていた部分もある。
それで中高六年分のやり直しが終わってしまったわけだけど、これから俺が中等科、高等科と六年間ある中で、またこの中高六年分を復習し直すのかと言えばそれは無駄でしかない。いくら何でも先日までやっていた勉強をまた一からやり直しましょうというのは無駄すぎる。
でもじゃあこれから何をするのかと言えば難しい。これから六年間も大学の受験勉強に絞って繰り返しやりましょうというのは無理があるだろう。そんなにやってたら嫌になるだろうし、それはもう勉強というより丸暗記の繰り返しも同然だと思う。
そもそも俺が蕾萌会に通うことにした理由は何だったのか?そこを忘れては目的を見失ってしまう。
俺が蕾萌会に通って大学受験に向けて準備を進めようと思った理由は、ゲームの『恋に咲く花』では咲耶お嬢様は高等科卒業間近で破滅させられ、家は没落し、学園も追い出されて悲惨な末路を歩むことになるからだ。
それを回避するために、奨学金などを貰える成績で、国公立などの費用が安く高偏差値で将来の仕事が選べて安定しているであろう大学に進学するためだった。ぶっちゃけこの目的はすでに達成されていると思う。
模擬試験などでは最高偏差値の大学でも合格圏になっている。今すぐ飛び級で受験すればほぼ間違いなくどこでも好きな所に入学出来るだろう。だからこの学力さえ維持出来ていれば蕾萌会に通おうと思っていた目的は達成されている。
そして何よりも……、今の俺はゲームの咲耶お嬢様とは状況がかなり違う。まだ絶対大丈夫だなんて油断して良い状況じゃないけど、少なくとも今の自分の状況を冷静に見て、破滅させられて学園から追放されるようには思えない。備えておく必要はあるけど、意識が覚醒した当初の焦っていた時から考えれば随分状況は変わっているように思う。
「正直もう蕾萌会じゃ咲耶ちゃんに教えられることが何もないの……」
「それはまぁ……、そうですね……」
これは俺もうっかりだった。この先のことを何も考えていなかった。
「え~……、あっ!それではこういうのはどうでしょうか?授業頻度は今までよりも下げて、授業内容は大学受験の過去問など受験向けの内容で……」
「これから六年間も受験勉強や過去問ばかり繰り返すの?」
「まぁ……、飛び級をするつもりはありませんので、今の成績を維持するためにはそれしかありませんし……」
別に俺だって蕾萌会を辞めたいわけでも、辞めたくないわけでもない。菖蒲先生との接点が減ってしまうのは困るけど、塾で会えなくともプライベートで会えば良いし、今後一切会えなくなるというわけじゃない。
ただ最低でも今の成績を維持しつつ、遊びすぎて成績が落ちないようにしなければならない。もしかしたら破滅させられなくて藤花学園の大学に行けるかもしれないけど、楽観しすぎて手を抜くのも良くない。
「飛び級する気がないのなら確かに今の成績を維持する勉強は続けなければならないものね……。わかったわ。それじゃ授業を減らして、あとは過去問を解いたり、間違えた箇所や苦手な部分の復習を中心にしていきましょう」
「はい……。お手数をおかけします……」
授業や内容を考えてくれているのは菖蒲先生だ。俺だけ変なカリキュラムでやっていれば、それらの授業の準備をしてくれているのは全て菖蒲先生ということだ。俺はこんな所でも人様に迷惑をかけている。どうやら勉強のやり直しが早すぎたようだ。小学生の勉強からやり直すのは無理があったとはいえ、ちょっとばかり困ったものだな……。
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蕾萌会の春期講習の予定は、菖蒲先生が俺の今後の授業プランを考える時間に変わってしまった。ぶっちゃけ元々あまりすることがなかったから止むを得ないけど、何か今のスタイルは味気ない。出されたテキストや過去問を解いてる間ずっと菖蒲先生は授業プラン作成をしているだけだからね……。
まぁそんなわけで春期講習は少し余裕が出来てきたけど、それ以外の生活はほぼ全て百地流の修行とマナー講習に費やされている。今日は授業時間を減らすことになった春期講習の予定だったから少し暇になった。
「咲耶様、新生活に向けて少しイメージチェンジなどされてみてはいかがでしょうか?」
「イメージチェンジ?」
暇になったから久しぶりに家で寛いでいたら椛が急にそんなことを言い出した。
「わぁ!それはいいですね!咲耶お嬢様ならどんな風にしてもきっと全てお似合いですよ!」
「柚……」
柚の言葉はそれはそれでどうなんだ?普通なら結果も見てないのに『貴女ならきっと何でも似合いますよ』みたいなことを言われてもうれしくないと思うぞ。
「まずイメージチェンジと言っても何をどうするというのですか?」
「中等科に入学された後はこちらのドレスでご登校されてはいかがでしょうか?」
「わぁ!可愛いです!ロリータファッションですね!」
椛が出してきたのはロリータファッションだった。俺はあまりこっち系のファッションはよくわからないけど、ゴスロリも甘ロリも色々出してきている。椛は昔からこういうタイプのファッションが好きっぽいとは思ったけど、どちらもいける両刀使いだったらしい。
「椛……、学園は指定の制服でしょう?」
「九条家の力を使えば制服を変えさせることなど造作もありません!」
いや……、だからそんなことで学園と揉めてどうするんだよ……。折角俺が校長達に笑顔を振り撒いて媚を売ってきたというのに、俺が制服以外の格好で登校したいからと学園と揉めたら今までの苦労が台無しになってしまう。
しかも俺だけこんな目立つ格好をして登校していたら注目の的だろう。学園で悪目立ちするのは間違いないし、きっとヒソヒソと陰口を叩かれたり、笑われたりするに違いない。
「却下です……。私一人だけこのような格好で登校していては良い笑い者になってしまいます」
「それでは髪の色を変えましょう!咲耶様ならキンキラの金髪とか、銀髪とか、左右違う色のカラーコンタクトをしてオッドアイというのも似合うと思います!」
「わぁっ!素敵ですね!」
待てぇいっ!何だその厨二病丸出しのチョイスは!?俺がイタい人と思われるだけじゃないのか!?しかもカラコンして色を変えておきながら、片方は眼帯で隠すんですね?わかりませんっ!!!
「椛……、学園で染髪、脱色は校則違反でしょう?」
「九条家の力を使えば染髪、脱色を認めさせるなど造作もありません!」
だからさぁ……、何で学園のルールを破ったり変えさせたりする方向で検討するんだよ!せめて考えるなら違反しない範囲で考えようという気はないのか?
俺だって思ってたよ?ゲーム『恋に咲く花』の時は皆色とりどりの髪の色をしていた。パッケージのキャラ達はそれはもう現実ではあり得ないような色だったさ。でも今藤花学園に通ってる子は皆黒髪だよ。この国の人間の普通の髪色そのままだよ。あんな原色テカテカみたいな髪の色の人間がいてたまるか!
「せめて校則違反しない方法で考えてください」
「それでは髪型を変えましょう!」
「それは反対です!咲耶お嬢様の美しい御髪を切ってしまうなんて賛成出来ません!」
「そうですね!咲耶様の御髪を切るわけにはいきませんね!」
いや……、椛が言い出したんだろう?それなのに柚と一緒になって『切るなんて!』なんて言う立場じゃないだろう……。
まぁでも俺もこの髪は気に入っている。長く艶のあるストレートの黒髪は美しい。前世日本人である俺の感性ではこれはとても美しく感じる。ちなみにさっき椛が俺に金髪や銀髪と言っていたけど、そんな髪色が似合うような顔立ちじゃない。俺はこの国の人らしい顔立ちなので今の黒髪の方がよほどしっくりくる。
「ですが何も切るばかりが髪型を変える方法ではないのですよ!というわけで咲耶様!今から御髪をセットさせていただきます!さぁこちらへ!」
「切らないのなら良いですね!物は試しと思って!さぁ!咲耶お嬢様!」
「…………はぁ。抵抗しても無駄なのでしょうね……」
この二人が結託しているということは、ここで俺が多少抵抗しても結局無駄に終わるんだろう。それなら二人がさっさと納得するように任せた方が早く終われる。
「さぁさぁ、それでは……」
「私はこちらをお手伝いしますね~」
「もう好きにしてください……」
諦めた俺は二人に任せて椅子に座った。テキパキと手を動かす二人によってまず出来たのは……。
「これはどうかと思いますが……」
「え~?お似合いですよ?」
盛りまくった盛り髪だった。でも俺は真っ黒な髪だから何だか重くてもっさりしているように見える。黒髪でこの髪型はどうなんだ……。人や盛り方によってはありなんだろうけど、俺がすると下手すると日本髪みたいになってしまうんじゃないだろうか……。
「それでは次に行きます!」
「はいはい……」
その後椛と柚がいくつか髪型を変えて見せてくれたけどどれもいまいちだった。そして最後に時間をかけて髪を巻いて出来たのは……。
「こっ、これは……」
「咲耶様お似合いですよ!」
「これは咲耶お嬢様にぴったりな気がします!」
いやいやいや!君らの感性はどうなってるんだ?俺に言わせれば絶対にあり得ないだろって髪型なんですけど?
「黒髪で縦ロールはないでしょう……」
「そんなことはありません!咲耶様のイメージにぴったりです!」
「ですよね!ですよね!咲耶様がされているとまさに『コレだ!』って感じがします!これで金髪とかだったら完璧です!」
だからさぁ……、君達の中での俺はどんな風に思われてるわけ?あり得ないだろ……。
俺は脱悪役令嬢を目指してるんだよ!それなのに金髪縦ロールが似合うとか言われても、それってテンプレ悪役令嬢だろ!どうしても俺を悪役令嬢にしたいのか!?それともこれが世界の強制力なのか!?
「咲耶様、中等科からはこの髪型で……」
「絶対にお断りです」
「「は~~~い……」」
二人は何かシュンと落ち込んでるけど断固お断りだ。形から入るだけでも悪役令嬢に近づいたら俺の破滅が近づいてしまうかもしれない。それに俺は和風な顔立ちだって言ってるだろ!金髪縦ロールとか似合う顔じゃないんだよ!
……結局、俺が黒髪でも金髪でも縦ロールお断りなのは……、そういうのが似合う顔立ちじゃないからなのかな……。もしこれで似合う顔立ちだったら……、案外受け入れていたかもしれない。鏡に写る縦ロールの自分を見ながら、髪型そのものは別に嫌いじゃないなと、ふと思ったのだった。




