第四百二十五話「卒業に向けて」
卒業旅行も終わり新しい月曜日がやってきた。今週にはもう卒業式だ。思い返せばこの六年間色々なことがあった。辛いことも悲しいことも、腹立たしいことも、うれしいことも、楽しいことも……。良いことも悪いこともたくさんあったけど、前世の人生よりもずっと充実した六年間を歩めたと思う。
ゲームの『恋に咲く花』の主人公が藤花学園に入学してくるまであと三年だ。泣いても笑ってもあと三年経てば主人公が入学してきて、本格的に『恋に咲く花』が始まってしまう。
この三年……。この三年が重要だ。まだ出揃っていない登場人物達と出会うことになる中等科での過ごし方が、今後の九条家と咲耶お嬢様の運命を決定付けるだろう。
初等科で俺はうまく出来ただろうか?九条家と咲耶お嬢様の破滅の未来を回避出来ただろうか?
ゲームの咲耶お嬢様は初等科の頃からずっと伊吹の許婚を自称し、周囲も両家の家格から考えてさもありなんと理解していた。伊吹は伊吹で言い寄ってくる女達の防波堤とするために咲耶お嬢様を利用し、中等科までは伊吹と咲耶お嬢様は本当に婚約しているかのように振る舞い、周囲もそれを信じていた……。主人公と出会うその時までは……。
主人公に出会って惹かれていった伊吹が、婚約者面をしている咲耶お嬢様が邪魔になり排除していくことになるけど、少なくともこちらでは俺は伊吹を追っかけてもいないし婚約者面もしていない。そもそもまだこちらの伊吹は女性人気がなく、俺を防波堤にしなくても女子生徒達に迫られている様子もない。
つまり伊吹にとっては俺を婚約者に仕立て上げる必要もなければ、それほどの親密な関係だと周囲にも思われていないはずだ。ゲームの咲耶お嬢様は昔から伊吹の追っかけをしていて、周囲もそれを承知していた。だから両者の仲が疑われることはなかったわけだけど、こちらじゃ俺と伊吹が仲良しなんて思われていないはずだからな。
伊吹と深く関わることで対立していくことになる槐とも、そもそも伊吹とあまり接触していないからほとんど無関係の他人、精々顔見知り程度だし、もしかして俺ってかなりうまくやってきたんじゃないだろうか?このまま順調に行けば九条家と咲耶お嬢様の破滅フラグは余裕で回避出来そうな気がする。いや、すでに達成しているかもしれない。
「咲耶お嬢様……、そろそろお時間が……」
「柚……、今行きます」
少し考え事をしすぎたらしい。まだ初等科も今日卒業というわけじゃない。それにまだ中等科の三年間が残っている。この三年をうまく乗り切るかが重要だと自分でも言ったばかりじゃないか。
油断するのは良くない。伊吹や槐をうまくかわしているとは思うけど、いつ何時どんな落とし穴があるかわからないのが乙女ゲーの世界だ。主人公と伊吹達攻略対象が出会い、俺のことは忘れてくれるまで油断するのは良くない。あとは俺がうまくフェードアウトすれば良いだけだ。
何だか卒業が近づいてきて気持ちが変に昂ぶっている。残りも油断せずにいこう!
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「おはようございます咲耶様!」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
「咲耶ちゃん、おはようございます」
「おはよー!」
「御機嫌よう、皆さん」
予想通り学園に来ると皆すでに教室に集合していた。大体何かあった後の日というのは皆登校してくるのが早い。俺は百地流の修行があるから毎日変わらないけど、皆は時間を示し合わせているのか早くに来ている。
「卒業旅行楽しかったですね!」
「そうですね」
「また行きたいねー!」
「譲葉ちゃんは気が早すぎですね」
「「「あははっ!」」」
皆で卒業旅行の思い出を語る。つい先日のことだし、初等科の子が見ても面白いと思えるようなものがあったかも疑問だけど……、それでも皆卒業旅行の思い出話に花を咲かせていた。
「そっか……。もう卒業か……」
「「「…………」」」
今まで楽しそうに卒業旅行の話をしていた皆が、ふっと静かになった。その表情は何とも言えないものだ。寂しいような、悲しいような、新しい門出を祝うというよりは、なんだかしんみりした雰囲気になっている。
「卒業とは言っても全員繰り上がるだけではありませんか」
「そっ、そうですね!」
「そうだよー!」
「あはは……」
口ではそう言っていても何とも言えない雰囲気はなくならない。中等科へ上がることの期待や楽しみよりも、不安や恐怖の方が先にきているのかもしれない。前世の俺は入学、卒業で特に泣いたこともないし、不安も期待も抱いた覚えはない。ただ漠然と入学して、漠然と卒業していた。そんな感性の俺では皆の気持ちはわからない。わからないけどこれから一緒に感じることは出来る。
「確かに初等科は卒業します。中等科になれば全て今までと同じとはいかないでしょう。ですが初等科の六年間で悲しいことや辛いことがあったのと同じくらい、楽しいことも、うれしいこともあったはずでしょう?中等科の三年間でも、きっとままならないことや、辛いこと、悲しいことがあると思います。でもそれと同じくらい良いこともあるはずですよ」
「咲耶様……」
「咲耶ちゃん……」
しんみりした空気だったのが何だか少し和らいだ気がする。俺はあまりそういう気持ちはわからなかったけど、少しでも皆の気持ちが楽になったなら良いな。
「あっ!そうでした!中等科でクラス分けを命令、じゃなくて、脅迫、でもなくて、お願いに行かなければなりませんね!」
「まぁ!薊ちゃんったら!ふふっ」
きっと薊ちゃんはこの場を和ませようと思って冗談を言ったんだろう。本当に薊ちゃんはお茶目なんだから。
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どうしてこうなった……。
「理事長も、校長方も、お分かりですよね?」
「「「ヒィッ!」」」
薊ちゃんの言葉に大の大人が震え上がっている。二人は良く知る人物だ。藤花学園の理事長と初等科の校長。この二人は六年間の間に何度も会ったり話をしたりする機会があった。そしてもう一人……、こちらはあまり接点のなかった人物、中等科の校長が俺達の前に座っている。
事の発端は何だったのか……。月曜日に学園に来て、皆と卒業旅行の思い出話に花を咲かせて……、そして気が付くと何故か放課後に理事長と、初等科校長、中等科校長の三人の前に座っている。何だこれは?どうしてこんなことになった?
向こうには三人が座り、こちらには俺の左右に薊ちゃんと皐月ちゃんが座って、残りの同級生メンバー達は俺達の後ろに立っている。これじゃまるで俺達が威圧しているように思われないか?
「咲耶様と咲耶様の派閥である私達を、中等科で全員同じクラスにしなさい。いいですか。これは『命令』です」
「「「ヒィィッ!」」」
薊ちゃんの『命令』に理事長と校長達が震え上がる。そんな言い方をしたらまるで俺達が脅してるみたいに思われるじゃないか……。それにしても理事長も校長も、初等科六年生の女の子に凄まれたくらいでこんなに縮み上がるなんて……。
「まぁまぁ薊ちゃん……、それではまるで私達が脅しているようではありませんか。ねぇ?理事長先生」
「ひゃいっ!いいえ!違います!脅されてなどおりません!」
俺が少し表情を緩めてフレンドリーに笑顔で理事長に話を振ると、理事長もそう言って応じてくれた。俺の思いが伝わったらしい。ここで俺達が無理やり学園に圧力をかけてクラス編成に口を出したなんて噂になったら大変だ。俺達は無理に学園のことに口出しなんてしていない。ただ出来れば事情は汲み取って欲しいところだけど、それを強要したら脅迫だ。俺達はそんなことはしていない。
「理事長先生がこのようにおっしゃられているのです。皆さん、おわかりですよね?」
なるべくフレンドリーに、笑顔で、今後三年間お世話になる中等科校長にも良い心証を持ってもらおうと努めて気さくに振舞う。
「別にこれは……、九条家や、徳大寺家や、西園寺家、ましてや五北会からの『お願い』というわけではないのですよ。ですが……」
そこで俺は口元に当てていた扇子をパチンッ!と一際大きく鳴らした。理事長や校長達が真剣な表情でこちらを見てくれた。こういう時は大事なことを言う時に注目を集めるのは効果的だ。
「クラス編成というのは非常にデリケートなものです。あまり下手なクラス編成を行い、あまりに立場が違いすぎれば、クラスメイト同士もぎくしゃくしてしまうかもしれません。健全な学園運営を行う上でも各クラス内が平穏であることは重要なことと存じます。どうか理事長先生、校長先生方におかれましては、その点、努々お忘れなきようよろしくお願い致します」
よし!これはかなりうまく言えたんじゃないだろうか。別に九条家とか徳大寺家とか、ましてや五北会を使って圧力をかけようとしているんじゃないですよとアピールしておく。その上でクラス編成の重要性を説き、変な軋轢を生まないように、うまくいっている家同士を集めた方が良いですよとアピールした。
もしクラス編成で仲の悪い家同士を同じクラスにしてしまったら、年中その両家が衝突する雰囲気の悪いクラスになるかもしれない。そうなれば他のクラスメイト達も空気が悪くなってしまうだろうし、問題のクラスが出来れば理事長や校長達の仕事も増える。
それに比べて今仲の良い家同士を纏めておけば、無駄な衝突や争いが発生する可能性を下げられる。クラスが良い雰囲気になれば問題を起こすこともなくなり、結果的には理事長も、校長も、担任も仕事が減る。これは皆がウィンウィンだ。
「ははははいっ!了解いたしました!必ずや九条様とその派閥の方々におかれましては、同じクラスになるように取り計らいます!」
「あばばばっ……」
「りっ、理事長!中等科校長が!」
「しっかりしろ中等科校長!もうすぐお孫さんが産まれるんだろう!こんな所で死ぬな!」
何か向かいの席が大変なことになっている。理事長は『任せろ!』と引き受けてくれたようだけど、何故か中等科校長が発作でも起こしたように泡を吹いて痙攣している。このまま放っておいて大丈夫なんだろうか?
でもしばらく理事長が中等科校長を揺すってビンタをしていると、白目を剥いていた目が戻り動き出した。普通なら発作を起こした者をあんな風に扱ってはいけない。安静にして救急車なりを呼ぶべきだろう。まぁ俺は中等科校長のことはほとんど何も知らないから、昔からの付き合いがあるであろう理事長がそうしたのならそれでいいのかもしれないけど……。
「どうやら中等科の校長先生も意識が戻られたようですね。それではそろそろ私達はお暇させていただきます。……ああ、そうそう。理事長先生は今後も引き続き、そして中等科の校長先生はこれからよろしくお願いいたしますね。それでは失礼いたします」
ニッコリと愛想を振り撒いておく。笑顔一つで良好な人間関係が結べるのなら安いものだ。そして人間は暴力や権力ではなく言葉と笑顔で平和的に問題を解決することが出来る。こちらには害意はありませんよとアピールしつつ、軽く愛想を振り撒き媚を売っておく。中等科の三年間を平穏に暮らすためには、校長に媚を売るくらいは必要だろう。
「――ッ!――ッ!」
「アガガガッ!」
理事長はガクガクと大袈裟なくらいに頷いていた。そして中等科校長も再び発作でも起こったのかと思うほどにガクガクしていた。痙攣でも起こしているのかと思うほど動きは何だか奇妙だったけど、これが彼らなりの頷き方なのかもしれない。あまり初等科校長室に長居しても悪いのでそのまま立ち上がって部屋を出る。
「りじちょーーーう!中等科こうちょーーーう!しっかりーーーっ!」
校長室を出た俺達の後ろから初等科校長の叫び声が聞こえていた。あっ!そういえばもう俺達も卒業だし最後にお礼くらい言っておいた方が良いかな?初等科校長にも随分お世話になったしな。
まだ全員が部屋から出たわけではなく、俺を先頭にゾロゾロと校長室を出ている最中だったので、俺は再び校長室を覗き込んで初等科校長に声をかけた。
「何度もすみません。初等科の校長先生、六年間色々とお世話になりました。卒業しても校長先生にお世話になったことは忘れません。今までありがとうございました。今後も何かあれば当家をお頼りください。必ずお力になります。私は恩を忘れません」
「ヒュッ……」
校長室の扉に戻ってそう言うと、先ほどまで理事長と中等科校長に手をかけていた初等科校長まで、ガクガクとオーバーなくらいに体を揺すっていた。あの三人にとってはあれが頷くポーズなのかな?変わったやり方だけど三人ともああなんだし、あの三人の中ではあれが流行りなのかもしれない。
「それでは失礼いたします。……いきましょうか」
「うわぁ……」
「咲耶様……」
「止めまで刺されるとは……」
「容赦ないねー」
皆がヒソヒソと何か言っているけどよく聞き取れなかった。まぁ皆も初等科校長にお世話になったからお礼でも言いたかったのかもしれない。俺が代表して言ってしまったから直接言えなくなったのかな。
卒業式はまだ少し先だけど、六年間色々とお世話になった校長に直接お礼が言えてよかった。




