第四百二十話「ホワイトデーの約束事」
三月もそれなりに日が流れ、次第に俺達も卒業というものを意識するようになってきた。クラスでも五北会でも六年生はもう卒業だという空気が流れている。でもここに卒業というか、引継ぎについて何も考えていないんじゃないかと思う馬鹿がいる。もういい加減言わないとこいつはわからないだろう。
「近衛様、少しよろしいでしょうか?」
放課後のサロンで伊吹に声をかける。こいつは未だに会長の引継ぎを行っていない。ただ引退して次の者を指名すれば終わりじゃないんだ。仕事の引継ぎやある程度自分がいる間に実務について説明しておかないと、後を継いだ者や来年度の運営で何かと苦労することになる。それなのに伊吹はそんなことをまったく考えていない。
「さっ、咲耶が俺様に……。ついに俺と婚約する気になったんだな!?」
「なっ!?」
「咲耶お姉様っ!?」
伊吹が大きな声でそう言うと、隣に座っていた槐と、結構遠くに座っていた桜が慌てて立ち上がっていた。でも俺はそんなことは一言も言っていない。というかどこからそんな発想が出てきたのか俺にはまったく理解不能だ。出来ればどんな理論の飛躍があればそんな話になるのか問い詰めたいような気もするけど、この馬鹿を相手にしゃべっても時間の無駄だろう。
「違います。誰もそのようなことは言っておりません。…………本当は裏でこっそりお伝えしようかと思いましたが、ここまで注目されてしまっては仕方がありません……」
本当は伊吹だけこっそり連れ出して、さっさと会長職を交代して後進に譲れと言おうと思っていたけど、伊吹が騒いだせいでサロン中から注目されている。ここで伊吹だけ連れ出したらあることないこと、いや、ないことないこと噂される可能性が高い。俺ももうそういう目に何度も遭っているからいい加減学んだ。
こんな場で俺が伊吹にとやかく言うのも角が立つけど、本当は俺はこっそり伝えたかったのに伊吹が騒いだのが原因なんだからもう俺の知ったこっちゃない。他の人の目や耳がある場で、間違えようのない状況で伝えよう。
「近衛様……、いい加減五北会会長の職を辞し次期会長に譲るべきです。すでに六年生は卒業間近になっており、仕事の引継ぎや説明に要する時間を考えれば遅すぎるくらいです」
「なんだそんな話か……」
伊吹はつまらないという顔をしてそんなことを言った。でも『そんな話』とはなんだ、『そんな話』とは……。
「卒業して今後の運営に関係がなくなる近衛様にとっては『そんな話』かもしれません。ですが残され、今後引き継いでいかなければならない下級生達にとってはこれからの自分達に関わる重要な話です。相手の立場も考えず、自分勝手な振る舞いしかされない今の近衛様の態度は会を預かる者として最低です。そしてそのご自覚すら持ち合わせておられないご様子……。そんな者に誰がついてくるのでしょうか?」
「なっ!?」
俺が『はんっ』と鼻で笑って小馬鹿にしたように見下ろしてやると伊吹が顔を真っ赤にさせていた。プライドだけはいっちょ前にあるのに中身が伴わない典型のような奴だ。
少なくとも……、ゲーム『恋に咲く花』の『俺様王子』近衛伊吹は、確かに傍若無人、唯我独尊のまさに『俺様王子』だったけど、それだけ全て自分で仕事もこなしていた。あらゆることに突出し、何でも出来るし何でもしていた。だからこそ『俺様』が許されていた。でもこの『残念王子』、いや、もはやただの『馬鹿王子』はどうだ?
周囲に迷惑をかけても当たり前。自分のことですら自分でしない。その癖プライドだけは一人前、いや、人一倍高く誰かに頼んだり頭を下げたりなど絶対にしない。周囲が気を利かせてやってくれているからどうにか取り繕えているだけで、もし誰もが見捨てたらただの道化以下にしかならないだろう。
俺がどうしてこの世界の伊吹にこれほどまでにイラつくのかわかった。こいつが本当に最低だからだ。
ゲームの『俺様王子』だって性格は大嫌いだし、事ある毎に咲耶お嬢様を破滅させてくるし、今でも嫌いは嫌いだけど認めている部分もある。『俺様王子』は人に弱味を見せない。孤高の一匹狼で全て自分のすべきことはするし、責任も全て自分で負っていた。能力が高すぎ、誰もついてこれないからこその『孤高』の『俺様王子』だった。
この目の前にいる『馬鹿王子』はその『俺様王子』から能力と責任感だけなくしたような奴だ。それがどれほど最低かは考えるまでもないだろう。己では何もせず、全て人にやらせ、自らは何の努力もせず能力もないにも関わらず偉そうに踏ん反り返っている。
何もせず人に丸投げしているのに、丸投げされた人のやることには文句をつけ、失敗すれば責め立てる。自分で何も考えず、周囲への迷惑も気にも留めない。やるべきこともせずそのしわ寄せが周囲に圧し掛かっても気付いてすらいない。男女や恋愛というだけでなく、人間としてこんな奴を誰が好きになるというのか。近衛家という看板と後ろ盾がなければ誰にも相手にされないだろう。
「近衛様……、会長職というのはただ偉そうに椅子に踏ん反り返るのが仕事ではありません。最高意思決定権者として、全ての責任を負って決断を下すのが会長職の職務であり職責です。ただ役職に就いて周囲にチヤホヤされたいのでしたら、実権を伴わない名誉職に就いてください。でなければ他の者の迷惑になります」
「おっ、俺だってちゃんと仕事をしている!」
立ち上がった伊吹は俺の前までやってきてその手を振り上げた。でもそこで手を振り下ろせずに止まる。
「家に帰ってから、ご自身でご両親と近衛様自身をよ~く比べてみてください。近衛財閥の会長や社長職をされているご両親と……。それでもまだ『自分はちゃんと仕事をしている』と思えるのでしたら、また後日お伺いいたしましょう」
「――ッ!」
俯いてプルプルしていた伊吹は……、そのまま手を下ろしてサロンから駆け出していった。
「伊吹っ!待ってよ伊吹!」
出て行った伊吹を槐が追いかけていく。槐も、もし本当に二人が本当の意味での親友だというのなら、伊吹の横暴をただ黙って見逃すのではなく、きちんと言うべきことは言うべきだ。でなければこの二人の友情も所詮は上辺だけの浅く取り繕っただけのものだと言わざるを得ない。
サロンではその後少し凍りついたような空気が流れていた。俺が居ては他のサロンメンバーも気が休まらないと思い、その日は間もなくサロンから出て帰ることにしたのだった。
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俺が伊吹に注意してからすぐに会長職の引継ぎが行われ桜が五北会の会長として就任した。伊吹が会長になって以来長らく会長交代がなかったけど、これでようやく久しぶりに会長交代というわけだ。
会長交代があったからといって特別何か式典とかが開かれるわけじゃない。そういうものは前例に倣ってきちんと処理されているから、前会長の伊吹が馬鹿で無能でも滞りなく処理が済む。卒業までの残り期間も短いことから急いで引継ぎが行われているけど、まぁこのペースなら何とか間に合うだろう。
「はぁ……」
あれから何日も経っているのに溜息しか出ない。あんな大勢の前で伊吹に恥を掻かせたんだ。このまま何事もなく済むとは思えない。少なくとも表向き俺に復讐出来ないとしても、伊吹の心に俺への復讐心とかが溜まればやがて破滅フラグに繋がる可能性もある。
どうしてあそこまでしてしまったのかな……。
伊吹にさっさと会長を辞めて桜と交代するようにと言うだけならばもっと簡単に済んだはずだ。それなら伊吹も多少反発はしても黙って言うことを聞いたかもしれない。でも俺があそこまで言ってしまったから……、あれ以来伊吹は五北会にも顔を出していない。
学園には来ているけど俺と顔を合わせることもないし、五北会にも顔を出さない。伊吹がそういうボイコットをするのは前からよくあったけど……、何もわざわざ事を荒立ててまであんなことを言う必要はなかったよなぁ……。
どうして俺はあの時あそこまでイラ立っていたんだろう……。『俺様王子』だろうが、『残念王子』だろうが、伊吹が嫌いということに変わりはない。でも今の『残念王子』なんて適当にあしらって放っておけば良いだけだ。下手に絡んで恨みを買って破滅させられるよりも、適当に距離を置いて放っておけば良いはずなのに……。
「大丈夫ですか?咲耶様……」
「咲耶ちゃん……、まだ五北会でのことを気にされてるんでしょうか?」
「あっ……。ごめんなさい。大丈夫ですよ」
そういえば今は食堂で食事中だった。俺が溜息ばかり吐いていたら周囲も気が滅入って食事もますますおいしくなくなってしまうだろう。
「そうそう!それよりも、もうすぐホワイトデーですよね。ホワイトデーで少しお伝えしておきたいことがあったのです」
何か別の話題はないかと思って、そういえばと思い出したことを皆に話す。
「ホワイトデー……」
「何でしょうか?」
皆お互いに顔を見合わせていた。でもこれは大事なことだから言っておきたい。でないと後で大変なことになる。
「バレンタインデーは私に内緒で皆さんで話し合われていたようですが、ホワイトデーはそれでは困ると思いまして……。もしホワイトデーにお返しをいただけるのであれば手作りではなく市販品でお願いします。チョコレートは多少多めに食べられますが、飴を毎日何個も食べるのは難しいので、きちんと日持ちのする市販品でないと困ってしまいます」
「「「「「あぁ~~~……」」」」」
皆『なるほど』という顔で頷いてくれていた。そもそもホワイトデーのお返しなんてするつもりもなかったかもしれない。まるで催促したようにも聞こえたかもしれない。でも伝えておかないと大変なことになる。
今言った通り、チョコレートなら頑張れば一日で小さい物なら一箱くらい食べられるかもしれない。でも飴を一日で一袋も食べられるだろうか?それも十日以上も毎日一袋ずつなんて食べられるか?俺には無理だ。
さらに言えばホワイトデーは必ずしも飴とは限らない。ローカルルールで何を返したらどういう意味とかいうマイナールールもあるみたいだけど、そういったルールも全国的に普及しているわけじゃない。だからマシュマロやギモーヴ、バウムクーヘンなんかのお返しもくるかもしれない。
日持ちのしない物とか、大量の飴とか、賞味期限が短くなるであろう手作りなどは困る。市販の飴で梱包されていればそれなりに日持ちするだろうけど、飴だって手作りならどれほど持つか……。
「私達は咲耶ちゃんと交換するだけですけど、咲耶ちゃんは私達全員分が集まりますもんねぇ……」
「秋桐も咲耶お姉ちゃんにお返しするよ~!」
「まぁ!それは楽しみですね」
三年生達はバレンタインに用意していなかったから、ホワイトデーで揃って返してくれることになっている。三年生達のほとんどはバレンタインに贈って、ホワイトデーにお返ししてもらうだけだ。でも同級生達はバレンタインにお互い贈って、ホワイトデーにお互いにお返しする。ちょっと大変なイベントだな……。こんなものを流行らせた奴は誰だ……。
「それではホワイトデーは日持ちのする市販品ということにしましょう」
「そうだねー!また手作りとかになったらどうしようかと思ったよー!」
「チョコレートは失敗してしまいました……」
「あっ!私も!何で溶かして型に流すだけなのにあんなにまずくなったのかしら?買ったチョコが悪かったのかなぁ?」
皆がワイワイと話し始めた。俺のせいで空気が悪くなりかけたかと思ったけどどうにかなってよかった。それとチョコを失敗したことは自覚しているのに、どうして失敗したかはわかっていない誰かさんもいるようだ。今後のためにも説明しておいてあげるか……。
「薊ちゃん、あれは溶かし方が悪かったのだと思いますよ。チョコレートを溶かす時に直火で溶かしたり、温度が高すぎたりすると味や風味が飛んでしまい、歯ざわり、口当たりも悪くなるのです。ですからきちんと適温でじっくり時間をかけて湯煎して溶かさなければならないのですよ」
「そうだったんですか……。私は鍋に直接入れて火にかけていました……」
「私もー!中々溶けないから鍋に放り込んじゃったー!あははー!」
まぁそうだろうね……。皆のチョコは大体同じ失敗の仕方だった。というか他に失敗する要素はほとんどない。タネは買ってきた物だろうし、溶かして型に流し込むだけなら他に失敗する部分がないし……。
「皆……、ですからちゃんとレシピを守りなさいって何度も言ってるでしょう!どうして守ってくれないんですか?」
「さっ、皐月ちゃん……、落ち着いて……」
皆に料理を教えている皐月ちゃんも大変だな……。失敗する原因は大体レシピを守らないからだ。手順や調理工程、分量や時間を守らないから失敗する。でもそれがわかっていても何度も同じ失敗をしてしまう。こればっかりは本人達の問題だからどうしようもない。
「さぁ咲耶ちゃん、あ~ん」
「茅さん……」
周囲がギャアギャアと騒ぎになっていても茅さんだけはマイペースが崩れない。この神経の図太さだけは少し羨ましい……。




