第四百十五話「チャ~ンス」
柚の変な妄想を聞いているうちに学園に到着してしまった。今日は昨日と違って俺の出待ちをしている女子生徒はいないようだ。まぁバレンタインデーは終わっているのに何日もあんなに並ばれたら困る。
「御機嫌よう」
「御機嫌よう九条様」
「九条様、おはようございます」
教室に入るとこちらも今日はいつも通り、朝来ている顔ぶれも普段通りに戻っていた。グループの子も芹ちゃんと皐月ちゃんしかいない。
「御機嫌よう、皐月ちゃん、芹ちゃん」
「おはようございます咲耶ちゃん」
「御機嫌よう咲耶ちゃん」
席に向かっていつも通りに過ごす。皐月ちゃんと芹ちゃんは俺の席までやってきて昨日は凄い行列だったとか、昨日俺が渡したチョコレートのお礼を言ってくれた。俺も貰ったからお互い様だし、ホワイトデーにはまたお返しをすることになると思うけど、こういうのはコミュニケーションの基本なのだろう。
俺は女の子のアレコレというのはあまりわからないけど、こういう会話こそが女の子なりのコミュニケーションの取り方なのかもしれない。
その後は話しているうちに皆がチラホラと登校してきて、いつも通りの学園生活が戻ってきていたのだった。
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放課後までは何の問題もなかった。昨日の騒ぎが嘘のように今日は平穏だったし、多少学園中が浮ついた雰囲気ではあったけど、それは所謂お祭りの後みたいなものだと思う。お祭りが終わった後も暫く浮ついた雰囲気があるだろう。今日の学園もそんな感じだっただけだと思う。
あるいは昨日愛の告白をして、今日はその返事待ちだったり、新しく付き合い始めた子達の浮ついた空気があったのかもしれない。
でもそんな平穏な生活だったのは放課後までだ。日中も食堂でも俺達は平穏に過ごしていたというのに……、サロンにやってきたら全てが騒がしくなってしまった。どうしてこんなことになったのか……。
「咲耶!どういうことだ!何故俺にチョコレートがないんだ!」
「九条さん……、昨日一日連絡が来るのを待っていたんだけどね……」
「咲耶お姉様!どうして桜にはいただけないんですか?汚らしい他の男なんてどうでもいいですけど、桜にはありますよね?昨日は忘れられただけですよね?」
「はぁ……」
サロンに入った途端に伊吹と槐と桜に囲まれてずっとこの繰り返しだ。薊ちゃんと皐月ちゃんはさっさと自分の派閥に行ってしまい、伊吹達が俺に迫っているから誰も俺達に近づこうともしてこない。
「何だと!桜てめぇ!俺様の分はあってもお前なんかにあるわけないだろ!」
「確かに桜君の言葉は聞き捨てならないね。誰が汚らしいって?」
「本当のことじゃないですか。家格や年齢が上だからって本当のことまで捻じ曲げて嘘を言えとでも言われるんですか?」
「このっ!」
「むむむっ」
「ぐぬぬっ!」
人の目の前で騒ぐのは止めて欲しい。喧嘩するのならどこかへ行って三人で勝手にやってろと言いたい。まぁ九条家のお嬢様ともあろう者がそんなことを言うわけにもいかないから我慢してるけど……。
「忘れたわけではなく貴方がたに渡すバレンタインチョコはないので渡さなかったのです」
「何……、だと……?」
「九条さん……、嘘でしょう?」
「そんな……」
ワイワイと目の前で喧嘩していた三人に事実を突きつけるとその場に崩れ落ちていた。そんな大袈裟なことじゃないだろう?俺だって前世では男だったけど、バレンタインチョコを貰えなかったからってそんなに落ち込んだ覚えもない。
三人はこの世の終わりのような顔をして崩れ落ちたままなので、ようやく解放された俺は三人を避けていつもの席へと向かった。この席に座るのもあともう少しかと思うと感慨深い。
というか、よくよく考えてみれば伊吹は一体いつまで五北会の会長をしているつもりだろうか?もう二月の中頃なんだから、普通ならとっくに会長を交代していても良い時期だと思う。
兄が卒業して、俺達が二年生になる前に兄から伊吹に五北会会長が譲られてから今まで会長の交代は一切なかった。これだけ長い間会長の交代がないと会長交代のタイミングや式典的なものが忘れ去られているんじゃないだろうか?
まぁ公家というのはそういうものを伝承するのが仕事だ。蹴鞠で遊んだり、楽器を嗜んだり、歌を詠めば良いというものじゃない。各家にはそういった資料や歴史が記され伝承されており、何かがあった際にはそういった前例を調べてどう対応すれば良いかを伝えるのが公家の役割だ。
ある家系の長者と呼ばれる家はその資料などを伝承し閲覧する権利を有する者であり、だからこそ公家にとっては家の長者は重要となってくる。九条家と一条家が長者を争い、お互いに自分の家こそが長者であると主張していたのもそのためだ。
五北会はそういう者達の集まりなんだから、俺達が忘れてしまっていても五北会の歴史や前例は全てどこかに記録されているだろう。だからそういう心配はないんだけど、それにしても会長である伊吹自身が会長交代のことを忘れてしまっているんじゃないかと不安になる。
最悪の場合は……、三月になってもまだ伊吹に特に動きがなければ注意の一言でも言っておいた方がいいかもしれないな……。
「お疲れ様です咲耶お姉様」
「まったく不毛な争いですぅ」
「御機嫌よう、竜胆ちゃん、睡蓮ちゃん」
いつもなら俺が自分の定位置に座ってからやってくる二人だけど、今日は俺が入り口近くであの三馬鹿に足止めされている間にすでに席に着いていたようだ。
来年は桜が会長、再来年はまだ五年生だけど竜胆が会長だろう。竜胆は五年生で引き継ぐから二年会長を務めることになる。その後はどうなるだろう?何か小粒な家の子が多い気がする。俺達の前後の年は超当たり年だけど、竜胆より下はあまり有力な家の子がいない気がする。
まぁそれはその時の者達が考えれば良い話であって俺には関係ない。俺は俺の世代のことを考えれば良い話だ。さすがにそんな下の世代についてまで口出しするのはよくないだろう。心配した所でもう生まれている子供は決まってるわけで今更どうにもならないし……。
「咲耶ちゃん!ようやくあの腐れメイドから解放されたのね!今日はお祝いしましょう!帰りにうちへ寄っていって頂戴!」
「茅さん……、御機嫌よう……」
ドカドカとやってきた茅さんにいきなりそんなことを言われた。まだ通路の途中で崩れ落ちている三馬鹿の姿があったけど、茅さんは気に留めることもなくその横を通り過ぎてきたようだ。というか若干蹴っていたような気がする。茅さんのこの逞しさは少し羨ましくもある。
「え~……、今日は習い事がありますので……」
「それじゃこんなどうでも良いサロンなんて放っておいて今から行きましょう!それなら習い事まで少しは時間が取れるでしょう?」
「それは……」
グイグイくる茅さんに俺の方が困惑してしまう。『腐れメイドから解放された』というのは椛のことだと思うけど、どうしてもう茅さんが知っているんだろうか?もしかして茅さんと椛は連絡を取り合っている?
それから茅さんだって高等科五北会のメンバーなんだから、五北会のサロンをどうでも良いと言っちゃいけないと思うんだ……。皆目を点にして見ているぞ。
「あの腐れメイドがいない間に咲耶ちゃんを監き……、じゃなくて、わからせ……、でもなくて、咲耶ちゃんと親しくなっておきたいのよ!ね?いいでしょう?」
「いや……、その……」
何か不穏な言葉を言いかけていた気がする。昔一度茅さんに本当に拉致監禁されたことがある身としては茅さんの言葉が冗談に聞こえない。普段はとても良いお姉さんなのに、茅さんも時々おかしくなってしまう。一体何が茅さんをそうしてしまうのかわからないけど……、こういう時の茅さんに関わったら大抵碌なことがない。
「正親町三条様!咲耶お姉様に何をしようとしているんですか!」
「そうですぅ!茅お姉ちゃんと九条様の二人っきりなんて許せませぇんっ!私も行きますぅ!」
「あっ!だったら私も一緒に行きます!」
「あの……、ちょっと……」
ちょっと俺の話を聞いて欲しい。俺は茅さんの家に行くなんて言ってない。出来れば行かずに済むようにしようと思っているのに、竜胆と睡蓮が勝手に行く方向に話を持っていってしまっている。これはまずい流れだ。
「…………まぁいいわ。それなら四人で行きましょう」
「私はまだ行くとは……」
「さぁ咲耶お姉様!行きましょう!」
「九条様!茅お姉ちゃんに変なことをしたら許しませんよぉ!」
駄目だ……。誰も話を聞いてくれない。最早強制連行同然にサロンから連れ出されそうになっている。どうすればいいんだ?
「咲耶様?どちらへ行かれるのですか?」
「咲耶ちゃん!」
おおっ!天の助けか。茅さんと竜胆と睡蓮に連れ出されそうになっている俺を見つけて、薊ちゃんと皐月ちゃんがやってきてくれた。二人ならきっと止めてくれるはずだ。
「咲耶お姉様と一緒に正親町三条様の家に行ってきます!」
「九条様を茅お姉ちゃんと二人っきりにしたら何をするかわからないので、しっかり監視しておきますぅ」
「あ~~~っ!いいなぁ!私も行きたい!でも私はサロンが終わった後に用事があるから……、すみません咲耶様。ご一緒出来ません」
「まぁ……、竜胆と睡蓮がいるのなら正親町三条様といえども『そういうこと』はしないでしょう……。でも咲耶ちゃん……。咲耶ちゃんは押しに弱いですから気をつけてくださいね?私も同行出来ませんからくれぐれも押し倒されたりしないように……」
薊ちゃんは止めてくれず、そして皐月ちゃん……、君もか?君もそんなことを言うのか?
俺は!中身は、精神は男であり!男らしい男の中の男だ!俺こそが女の子を押して押して押し倒しまくる側であり、決して俺が押し倒される方じゃない!
「わかりました……。茅さん、お言葉に甘えてお邪魔させていただきます」
「咲耶ちゃん!やっとその気になってくれたのね!お姉さんうれしいわ!今はあの腐れメイドもいないし……、今のうちに咲耶ちゃんと……、うふふっ!」
もう頭きた。皆俺が押しに弱いだの、押し倒されやすいだの、一体俺を何だと思っているんだ!
これから俺は正親町三条家にお邪魔して、茅さんや竜胆や睡蓮と一緒に過ごして、俺がいかに男らしい男の中の男であるのか証明してやる!
「全員正親町三条家の車に乗って頂戴。お家にはこちらから連絡しておくわ。まだ時間が早いからお迎えの車もまだ来ていないでしょう?」
「「はーい!」」
「それではお邪魔します」
竜胆と睡蓮はこんな時は仲良く声を揃えて、乗り込んだ車でも一緒に隣に座っておしゃべりしていた。やっぱり何だかんだ言っても仲良しなんだな。学年も、身分も、立場も超えて仲良しだなんて何か良いなぁ……。この二人のカップリングもそれはそれで……。
「何か寒気がしますぅ……」
「咲耶お姉様……、何か変なことを考えておられませんか?」
「いいえ?まったく?」
睡蓮と竜胆がちょっと自分の体を抱くようにしながら眉尻を下げてそんなことを言い出した。でも俺は別に変なことなんて考えていない。ただ仲睦まじい二人の様子に心温まっていただけだ。ロリ×ロリというのも良いものだろう。
「あの腐れメイドがいないなんてこんなチャンス二度とないわ……。今日は……、今日こそは咲耶ちゃんと……。ふふっ……、ふふふっ!うふふふっ!」
「茅さん?」
何か茅さんが少しブツブツ言っている気がする。茅さんは元々そういう所があるタイプだから平常運転と言えばそうなのかもしれないけど……。
「あの……、咲耶お姉様」
「はい?どうかしましたか?竜胆ちゃん」
リムジンの向かいのシートに座っている竜胆が少しモジモジしながら鞄を開けていた。声をかけられたから何事かと思ってみていると鞄から包みを取り出してこちらに差し出してきた。これは……。
「昨日は用意するのを忘れてしまっていました!すみません!一日遅れになってしまいましたがバレンタインチョコです!受け取ってください!」
顔を真っ赤にしながら竜胆が可愛い包みのバレンタインチョコを渡してきた。竜胆くらいの年齢だとバレンタインとかあまり関係がない。下級生達からはほとんどチョコを貰っていないし、竜胆だけが特別忘れていたわけじゃない。
でも竜胆は自分が人から貰う可能性と、自分も用意しておなかければならないことを失念していたんだろう。そんな自分の失敗を恥じて赤くなっているに違いない。昨日は自分が貰って喜んでいたけど、家に帰って冷静に考えてみれば、自分の方は相手に用意してなかったと気付いて慌てたんだろうな。何て可愛らしいんだ。
「ありがとう竜胆ちゃん」
「あぁ~~~っ!ずるいですぅ!睡蓮は……、睡蓮はホワイトデーにお返しすれば良いと思ってバレンタインチョコは用意してませぇん!」
俺が竜胆からチョコのお返しを貰ったのを見て睡蓮がそんなことを言い出した。どうやら睡蓮は昨日のお返しをホワイトデーに返せば良いと考えていたようだ。まぁ別にそれは間違いじゃないし、実際にそうしても問題はない。ただ同じ立場だった竜胆はこの場でチョコを返したのに、睡蓮の方は用意していなかったとなれば面目が潰れたというのはあるかもしれない。
「ふっふ~ん!用意してない方が悪いのよ!」
「むぅっ!」
さっきまでは真っ赤になってチョコを差し出していた竜胆は、睡蓮に向かって得意気な顔になって胸を反らせていた。睡蓮は自分だけチョコを貰っておきながら、お返しをしていない立場になってしまったので頬を膨らませている。自分の失敗であって竜胆にとやかく言うことではないと思うけど、一種の裏切りのように感じてしまっても無理はない。
「まぁまぁ二人とも……。お返しというのならホワイトデーにお返しするだけでも十分ですよ。そういうイベントではないですか」
「「は~い……」」
何か少し納得していない顔をしているけど、一応二人もそれでこの話題はおしまいにしたようだった。




