第四百十四話「メイドチェンジ」
色々と大変だったバレンタインデーから一夜明けて、モソモソとベッドから出ながら考える。昨日あれから椛は大丈夫だっただろうか?
昨晩、一番最後に椛にチョコレートを渡したら、椛は立ったまま気を失っていた。そんなにショックを受けるほど嫌だったんだろうか……。何故椛が突然意識を失ったのかはわからないけど、まさかそのままにしておくわけにもいかず、他の家人を呼んで椛を連れていってもらった。
俺が慌てて他のメイドさんや家人を呼ぶと『はいはい、またですか』みたいな感じでやってきたメイドさんが、椛を引き摺りながら連れていったけど……、あんな扱いでよかったんだろうか?
もしかしたら何か大変な病気なのかもしれないのに、ズルズルと引き摺って連れていかれる椛は何だか妙にシュールだった。ちょっと可愛くて吹いてしまったのは内緒だ。一応椛の部屋にバレンタインチョコを置いておいてもらうように言ったけど、もし俺からチョコレートを贈られたのが嫌だったならもう捨てられているかもしれない。
「咲耶様!咲耶様っ!!!」
「はぁ……。椛……、もう少し落ち着いて……」
いつも通り俺が朝早くに起きて準備をしていると、椛も起きてきたのかバーンッ!と扉を物凄い勢いで開け放って押し入ってきた。今俺は服を脱いでいなかったから良かったけど、もしかしたら俺が着替えている真っ最中だったかもしれないんだから、扉を開ける前にノックで確認して、開けた扉はすぐに閉めて欲しい。
どこのメイドが主人の部屋をあんな乱暴に開け放ち、朝の準備をしているタイミングで扉も閉めずに室内に押し入ってくるというのか。最低でも扉はきちんと閉めてもらいたい。
「これが落ち着いていられますか!?」
「ふ~……。一体どうしたというのです?」
椛が歳の割りに落ち着きがないのはわかっていたけど、最近は前よりも悪化している気がする。昔は無口で落ち着いたお姉さんかと思っていたけど……、ここの所まったくそんなことはないよな。
確かに静かに俺の後ろに控えている時もあるんだけど、日ごろのこういう行動を見ているとあれこそが猫を被っているだけで本性はこちらなんだということがよくわかる。黙って静かにしていたら素敵なお姉さんなのに、こうして本性を出していると何とも残念メイドだ。
「これは昨晩咲耶様がくださったバレンタインチョコですよね!?」
そう言いながら椛が包みを前に押し出して見せてきた。確かにこれは昨晩俺が椛に贈ったバレンタインチョコだ。中身はそう変わらないんだけど、流した型やデコレーションが違ったり、誰の分かわかるように包みなどがそれぞれ若干違う。名前をつけていたり、それぞれにカードが入っているので違う人に渡したら大変だからね。
「確かにそちらは昨晩私が椛に贈ったバレンタインチョコですが……」
「やっぱり!ということは昨日のアレも夢じゃなかったってことですよね!さぁ!続きをしましょう!昨晩の続きを!」
「ちょっ!?椛っ!?何事ですか!?」
いきなり目をハートマークにした椛が襲い掛かってきた。折角さっき出たばかりのベッドに押し戻されて圧し掛かられる。椛は一体どうしてしまったのか。昨晩の続きとは何のことなのか?
昨晩は椛にバレンタインチョコを贈ったら気を失ってしまった。続きというのはそこからのことだろうか?でも続きって言われても一体何をどうするのかさっぱりわからない。
「さぁ!咲耶様!私の体に塗ったチョコを舐め取ってください!さぁ!さぁっ!!!さぁぁぁぁぁっ!!!!!」
「椛、落ち着いてっ!?」
ベッドに押し倒された俺は何が何やらわからないうちに椛に抱き締められていた。昨晩気を失ったために椛に何かあったのだろうか?何故突然椛がこんな風になったのかわからない。わからないから対処の仕方もわからない。
「咲耶お嬢様っ!?一体何の音ですか?」
「「あっ……」」
椛が凄まじい音で開け放った扉の音を聞きつけたのか、何人かのメイドさんと家人がやってきた。開け放たれたままの扉から覗き込んできたメイドさん達と目が合う。こんな場面を見られたら何かあらぬ誤解を招くのではないだろうか?
突然椛がどうしてこんなことになったのかはわからないけど、この状況だけを見たらまるで俺と椛がにゃんにゃんしようとしている場面に見えるかもしれない。あるいは椛が俺を襲っている風にも見えるだろう。こんな場面を他のメイドさん達に見られたら大変なことに……。
「はぁ……。椛さん……、またですか?もういい加減にしてください……」
「椛さんをお連れしましょう……」
「「はい」」
「……え?」
俺の想像では今の俺達の状況を見られて、あらぬ誤解が広まって、あれこれと問題になったり両親に追及されたりするのかと思っていた。それなのにメイドさん達も家人達も、皆平然とした顔のまま『失礼します』と言いながら当たり前のように部屋に入ってきてテキパキと行動し始めた。
「放しなさい!咲耶様!あぁっ!咲耶様ぁぁぁぁ~~~~~っ!!!咲耶様と私のめくるめく快楽の世界がぁぁぁぁ~~~っ!!!」
俺から引っぺがされた椛はメイドや家人達に引き摺られて廊下の向こうへと消えていった。最後にメイド長がペコリと頭を下げて『失礼いたしました』と言って扉を閉める。俺だけ何が起こったのかもわからないまま取り残されていた。
「え~…………、着替えますか……」
椛はいなくなったけど、どうせいつも着替えなんて一人でしている。前世が一般人だった俺は普段の着替えくらいは自分でしている。さすがにドレスは一人で着れない物もあるし、化粧なんてほとんど出来ないからメイクも任せていることが多いけど、制服に着替えるくらいなら出来て当然だ。
嵐のように去っていった椛のことはなかったことにして、俺は一人でいつもの準備を進めたのだった。
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今朝は少し思わぬ事態が発生したけど、椛のこと以外は特に変わりもなくいつも通りの朝が流れていく。
俺が朝の準備をしている間に椛への取調べが行われたそうで、こんな朝早くからわざわざ出てきた母に椛の処分について簡単な説明を受けた。俺は百地流の朝練に行くから、母とは朝会ったり会わなかったりだけど、今朝の騒ぎのために今日は母も出てきたようだ。
「椛の主張は『昨晩のことは夢ではなかった。だからその続きをしようと思った』と説明しているそうです。咲耶、貴女はその『昨晩のこと』とやらに思い当たる節はあるのですか?」
ちょっとジロリと怖い視線で母に睨まれた。これはあれか……。俺と椛が昨晩いかがわしいことをしていたのではないかという疑いをかけられているということだろうか?
「いえ……。昨晩はご報告した通り、椛にチョコレートを渡すとその場で気を失ってしまい、他の者に椛を部屋に連れ帰ってもらいました。それ以外には椛とは特に何もありませんでした」
本当のことを言ってるだけだけど何か変にドキドキしてしまう。あまり挙動不審になっていると俺が嘘を吐いているように思われるかもしれない。でもどうしてもソワソワしてしまう。
「…………」
「……」
母がじーっとこちらを見ている。あまり母に視線を向けられない。こういう時に相手の目を真っ直ぐ見て平然としていられる人がうらやましい。俺は自分が何もやましいことがないのにオドオド、キョロキョロしてしまう。そういう所が余計に疑われる原因になるとわかっているけど、わかっていてもどうにも出来ない。
「はぁ……。まぁそうでしょうね。いつもの椛の病気でしょう……。暫く椛は咲耶付きから外し謹慎……、いえ、病気療養させます。いつ解除するかは私が判断しますのでそれまでは他のメイドに仕事を任せなさい」
「はぃ……」
母はふっと視線からも肩からも力を抜いてそう言った。別に俺が怒られているわけじゃないのに何か俺が怒られているような気がしてシュンとしてしまう。
それにしても……、椛と暫く離れ離れか……。あんなことがあった直後だから正直少しほっとしている部分もあるけど、やっぱり椛が傍にいないと言われると寂しいし何か物足りない気がしてしまう。
母がいつ椛を戻してくれるのかまったく予想もつかない。出来れば……、またすぐに椛と一緒に過ごしたい。今朝の出来事はまるで俺が椛に襲われたみたいになってしまったけど、椛にだってきっと何か事情か理由があったはずだ。あるいは本当に母が言うように何かの病気なんだろうか?
昨晩も突然意識を失ったわけだし……、心配だな……。
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今朝からは他のメイドを付けてもらって百地流の朝練に向かい、いつも通りに学園へと向かった。でも今日初めて俺の朝の行動に同行したメイドさんは勝手がわからず、椛よりも手間取っていた。椛なら百地流の朝練が終わったらすぐにシャワーと着替えの段取りをしてくれる。体も拭いてくれるし髪も乾かしてくれるんだけど、今日初め一緒になったメイドさんでは手順がわからなくとも仕方が無い。
せめて椛が日ごろ行っていた仕事の引継ぎや説明をしていたのならもっとスムーズだっただろうけど、今朝突然謹慎……、じゃなくて病気療養になった椛の代わりをしろと言われて同じように出来るはずもない。
「そう落ち込まないでください、柚。貴女のせいではありませんよ」
「申し訳ありません、咲耶お嬢様……」
俺がそう言っても後部座席に一緒に座っているメイドさん、長谷川柚はシュンとしていた。百地流での手際が悪かったために車でも一緒に後部座席に座って今も学園へ向かいながら俺の身支度の真っ最中だ。まぁ椛と一緒だったとしても椛も一緒に後部座席に座って、学園に付くまでずっと身支度をしているけどね。
柚の家である長谷川家は九条諸大夫の地下家だ。諸大夫とは元々は朝廷の公卿に次ぐ身分の官人達を指した呼称だった。それが時代によって次第に呼ぶ対象の範囲が変わったり、役割が変わったりして、さらに摂家の家司や家礼として私的に任用され職名となった。
長谷川家は昔に一度絶家しており、その際に過去の記録や書類は散逸してしまっている。だから昔の本来の長谷川家については詳しいことはわからず不詳となっている。柚の長谷川家は後に九条家の分家筋から再興された別の家であり、かつての長谷川家とはほぼ関係がなく実質的には別の家とも言えるかもしれない。
五北家に仕えているようなメイドや家人達のほとんどはそういった地下家か、場合によっては堂上家の子女達が仕えていることがほとんどだ。まったくの部外者の一般人を雇っているケースはほとんどない。元々貴族であり、そういう家系の者が代々仕えてくれている。
柚は俺とも比較的年齢が近くまだ若い。今日急に言って俺に付けられそうな歳の近いメイドさんが他にいなかったから、急遽椛の代わりに柚が俺付きということになった。でもだからって仕事が出来ないとか厄介払いされて俺付きを押し付けられたわけじゃなくて、俺付きになれるメイドさんはちゃんと仕事が出来る者しか選ばれない。
俺が直接の雇い主のご主人様というわけじゃないけど、それでもご主人様の家族であり、貴族としては重要な娘なんだからちゃんとしたメイドを付けるのは当たり前だろう。俺が外で色々やらかしてしまったら家の名前に傷が付くし、政略結婚もうまくいかないかもしれないからな。娘に付けるメイドは家の中でも選ばれた者になるのは当然だろう。
まぁ……、うちの場合はその『選ばれしメイド』が椛で良いのか?という話になるわけだけど……。
椛だってメイドさんとしてはとても腕が良いし、家からは認められていないとしても一条家の娘だ。本来ならメイドをするどころか大勢のメイドさんに囲まれているような人物であり、そのような人物をメイドとして連れているというのは九条家の娘として箔がつくというのはあったんだろう。
今では椛も家族同然であり、両親も兄もメイドと主人というよりも本当の家族のように接している。だから内情はそういうわけじゃないけど、外から見れば九条家が一条家の娘をメイドとして使っている、という両家の立場を示すために利用されているようにも見えるだろう。
「それで咲耶お嬢様!椛さんとはどこまで進んだんですか?もうバージンは捧げちゃったんですか?きゃーーーっ!!!」
「柚……、貴女……」
俺の身支度をしていた柚は手を止めて、顔を赤くして頬に両手を当てクネクネとしながらそんなことを言い出した。柚は俺の九つ年上で二十一歳だ。藤花学園の大学に行っていればまだ学生のように思えるけど、柚は短大卒で去年からうちで働いている。
年頃の若い娘さんが恋愛に興味を持つのは自然なことだと思うけど、柚は一体何を勘違いしているんだろうか……。俺と椛は健全な主従であって別にそんな関係じゃない。もちろん椛のことだから俺が体を差し出せと言えば差し出してくれるかもしれないけど、そんな命令で無理やりなんて俺は望んでいない。
俺はもっとこう……、二人で甘い夜を過ごすような……、そういうのがいい。立場を利用して無理やり椛に迫るようなことはしたくない。
「何を馬鹿なことを言っているのですか。私が立場を利用して椛のしょ……、初めてを無理やり奪うとでも思っているのですか?」
「いえ、奪われるのは咲耶お嬢様ですよね?あの野獣である椛さんが未だに咲耶お嬢様に何もしていないはずがありません。咲耶お嬢様は押しに弱いですし、泣いて頼まれたら断れないでしょう?咲耶お嬢様は将来男達に頼まれたら簡単に体を許してしまいそうで心配です」
「なっ!?」
絶句して何も言えない……。俺が男達に頼まれたら簡単に体を許す?あり得ない!断じてあり得ない!そもそも俺が押しに弱いってどういう意味だよ!こんな男らしく、押しが強い俺が!押しに弱い?そんなチョロインみたなことあるはずがない!




