第四百十話「今日は二月十四日」
鷹司家はあれ以来何も言ってくることはなく、師匠の病気もただの腰痛だとわかってからさらに暫くが経った。今日は二月十三日。そう!今日は二月十三日だ!そして明日は二月十四日になる!
去年の俺は今頃のほほんといつも通りに過ごしていた。でも今年は違う。去年は突然のことで驚かされたけど、今年はちゃんと覚えていたから準備は怠っていない。
何しろ……、明日はバレンタインデーなのだから!
一昨年まではバレンタインデーなんて何の関係もなかった。皆だって知らん顔をしていたし、俺だって気が向いた時に蕾萌会にお店で売っているチョコを持っていって、菖蒲先生とちょっと食べたりしていた程度だった。でも去年は突然皆が俺にチョコレートをくれるという大事件が発生してしまった。
何も用意していなかった俺は、急遽椛に頼んでチョコレートフォンデュを用意してもらったのはご存知の通りだ。去年皆が急にバレンタインチョコをくれたのも、俺が知らない皆だけのグループチャットで情報をやり取りしていたからだろう。それならそうと俺にも事前に教えておいて欲しかったけど……。
ともかく今年は俺もちゃんと覚えている……、というと語弊がある。去年までだってバレンタインデー自体はちゃんとわかっていた。ただ皆で交換したり配ったりするとは思っていなかったから用意していなかった。でも今年はちゃんと皆の分を用意してある!いや……、今から作る!
「ふんふふ~ん♪ふんふふ~ん♪」
ボウルに入れたチョコレートを湯煎で溶かす。手作りチョコレートを配りたいんだけど、配る対象であるグループの人数が多すぎて凝った物を全員分用意するのは難しい。そこで俺は単純に買ってきたチョコを溶かして型に流して、形やデコレーションを整えるだけにすることにした。
それだけでもこの人数分を用意するのはかなり時間がかかる。一番面倒なのが湯煎で溶かさなければならないことだ。
小中学生くらいの頃、手作りのバレンタインチョコなどを貰った時に、妙においしくないチョコを貰った経験はないだろうか?そもそも手作りチョコを貰ったことがない?それは知らん。
別にチョコレートの配合から手作りしているわけでもないのに、何故買ってきたチョコを溶かして型に流し込むだけであれほど味が変わってしまうのか。それはこの湯煎で失敗しているからだ。
横着な小学生くらいの頃は『チョコレートなんて溶かして型に流し込めば良いだけ』と思いがちの子もいるだろう。でも何度も言うように料理、特にお菓子作りは手順とレシピを絶対に遵守しなければならない。一種の化学反応でもある料理というのは、手順や分量を間違えるだけでちゃんと出来ないからだ。
鍋に直にチョコレートを入れて熱して、とにかく溶かせば良いというようなやり方をすると、手作りチョコは失敗してしまう。適切な温度で、直火にかけずに湯煎でじっくり溶かさなければ、味も風味も歯ざわりも全てが損なわれてしまうのだ。
小学生の頃に初めて貰った手作りのチョコレートが、硬く、パキパキで、味も香りもほとんどしないまずいチョコレートだった、というのはよくある話だろう。それらは横着をして湯煎しなかったか、湯煎をしたとしても温度が高すぎたりして適切ではなかったからだ。
適切な温度でじっくり溶かし、きちんとレシピ通りに作らないと、パキパキ、パサパサで、味も香りもしないまずいチョコレートになってしまう。この手間を惜しむと簡単なはずのチョコレートを溶かすだけの作業でも失敗してしまう。
もちろん俺は徹底的に温度管理までして慎重に溶かしている。そう大きな失敗はしていないだろう。だけど如何せん量が多すぎて中々終わらない。ひたすら溶かしては型に流し込み、皆の分を用意していく。これは思ったよりも重労働だ。
最初は有名店のチョコレートでも買っていこうかと思っていた。でもそれだと少し味気ない気がしてしまった。皆は毎日俺のお弁当を作ってきてくれているのに、俺はバレンタインデーのチョコレートをお店で買って渡すだけなのか?と考えた時、それは駄目だろうと思ってしまったからだ。
素人の手作りよりも、有名なプロによる良い物の方が良かったかもしれない。そういう考えもあった。でも皆は『良いお弁当を買ってきてくれる』のではなく、自分達の腕が拙いなりに毎日頑張って手作りしてくれている。だったら俺もお返しは手作りするべきだろう。それが日ごろお弁当を手作りしてくれている皆へのお返しとして良いはずだ。
でもあの人数分を用意するのに凝ったものにするのは難しい。いくら何でも二十何人分も凝った物を用意するなんてまさにプロの仕事になってしまう。じゃあ何をどうやってお返ししようかとかなり悩んだものだ。
ガトー・オ・ショコラやフォンダン・オ・ショコラ、ザッハトルテのようなものを用意して、ある程度カットして渡せば数人分ずつ纏めて作れる。そういうものでも良いかと思ったけど、カットされたケーキが一切れとかだったらどう思うだろうか?しかも皆同じ物だ。ケチ臭いとか思われないだろうか?
そういったチョコレートケーキを贈るにしても、一ホールずつ贈るのならともかく、一切れずつというのはどうかと思ってしまった。かといって人数分もホールで用意するのは余計手間がかかる。だから今回は申し訳ないけど買ってきた手作り用のチョコを溶かして、型に流して固めるだけで済ませてもらうことにしたというわけだ。
先輩、後輩、同級生を含めてグループの皆の分だけでも二十人以上、さらに父や兄とか、家族やお世話になった人にも用意しようと思ったら、下手をすれば三十人くらいになってしまう。というわけで男性やお世話になった人に渡す分は、父と、兄と、師匠と、秋桐とは別に幸徳井家で一まとめにして一つということにしよう。これなら何とか二十五人分で済む。
二十五人分も用意するってぶっちゃけ仕事と変わらないよな……。でも去年俺はやらかしてしまったから今年はこれくらいはちゃんとしなければな!
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翌、二月十四日、バレンタインデー……。今日は勝負の一日だ!
普通の学校ならいくらバレンタインデーとはいってもチョコレートを持ってきていたら怒られるかもしれない。でもこの藤花学園では日ごろからお菓子などを持ってきてもまず怒られることはない。まぁさすがに教室でボリボリ食ってたら怒られるけど、お茶とお茶請けを嗜むのも教養のうちだから、きちんとそれらしくしていたら注意されることはない。
さらにバレンタインデーともなれば人気の男子はたくさんの女子生徒からチョコレートを贈られるもので、そういう活動も良家の子女の嗜みだから怒られることもなく、むしろ推奨されているくらいだ。
「いってまいります!」
「いってらっしゃいませ」
椛に見送られて車を降りた瞬間……。
「きゃーーーっ!九条様ーーーっ!」
「九条様!私の気持ちです!受け取ってください!」
「ちょっ!ちょっ!ちょっ!」
俺は周りにいた女の子達に一瞬で囲まれてしまった。
今朝はいつも見かけない子達がロータリーの周りにいるなぁとは思っていた。でも俺が降りた瞬間に急に駆け寄ってくるとは思ってもみなかった。これでは俺が進めない。今日は皆にバレンタインチョコを贈るという使命があるのに……。
「貴女達、ここへ並びなさい。順番を守らない者の分は咲耶様はお受け取りになりませんよ」
俺が女子生徒達に囲まれて困っていると、椛が俺の周りを囲んでいる女子生徒達を誘導し始めた。そしていつの間にかアイドルの握手会のような状況が出来上がっていた。
生徒達は列に並び、俺の前までくると俺にチョコレートを渡して一言二言言葉を交わす。受け取った俺はすぐ後ろに待機している家人達に受け取った物を渡して、それらはすぐに袋に仕舞われて車に乗せられる。車が一杯になると発車し、次の車がまた俺の後ろに停まる。
何か去年も似たようなことがあった気がするけど今年は去年よりも手際が良い。去年は玄関ロビーで長蛇の列が出来て、俺が受け取った物を黒服達に渡すとそれを持って車まで走っていた。今年は俺が外で受け取っているから車までの距離がすぐそこだ。
手際良く次々に受け取っていくけど、俺にバレンタインの贈り物をする女子生徒は途切れることはなく、結局俺は椛が朝の時間一杯になったから一時終了だと言うまで玄関口から動けなかったのだった。
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「咲耶ちゃんすごい人気でしたね」
「ははっ……」
教室に着いたのは授業が始まる直前ギリギリで、皆との挨拶もそこそこに席に座ることしか出来なかった。そして教室に入っても何かクラス中の女子からギラギラした目で見られている気がしてならない。
もちろんそんなものは俺の自意識過剰であり、別に女子生徒の全員が全員俺にバレンタインの贈り物をしてくれるわけでもないだろう。でもそう思ってしまうほどに人が次から次に殺到してくる。
グループの皆とお話をしたり、手作りチョコレートを渡したいと思っていたけど、結局そんな時間もなく、教室に着いてからすぐに授業が始まってしまった。
授業が終わると今度こそは俺が皆に……、と言いたい所だったけど、授業が終わると同時に椛達がやってきて、椛や黒服達に誘導された女子生徒達がまた俺の前に長蛇の列を作る。休み時間一杯一杯までバレンタインの贈り物受け取りリレーが続けられ、休み時間が終わると皆散らばり授業が始まる。
午前中の休み時間全て同じことの繰り返しで、結局グループの皆と話をすることすら出来なかった。ようやく皆と少しは話せたのはお昼休みになってからだ。
「咲耶ちゃん、今年は去年よりさらに大人気ですね!」
「どうしてでしょうね……」
去年はもっと他の生徒達とも積極的に交流しようと思ったり、コンサートがウケたり、色々あったかもしれない。でも今年が去年よりも盛り上がる要素なんてあっただろうか?
普通に考えたら去年より勢いが落ちていたり、去年は物珍しがって贈り物をしてくれていた子達も、今年は飽きてやめていると思うだろう。それなのにむしろ今年は去年よりさらに持ってきてくれる子が増えている。どうしてこんなことになっているのかわからない。
前世では家族以外からバレンタインチョコなんてほとんど貰ったこともない俺が、今生では何百個もバレンタインチョコを贈られるなんて未だに信じられないことだ。
お昼休みは俺が昼食を食べるまではチョコレートを渡すのは禁止となっている。でなければ俺は放課後までずっと皆からの贈り物攻勢で身動き一つ取れない状況になってしまうからだ。俺が皆にチョコレートを渡せるタイミングはここを逃すと次は放課後になってしまう。ここにいるメンバーには今のうちに渡してしまおう。
「皆さん、バタバタして申し訳ありませんが、今年もこのような状況ですので、私から皆さんへのバレンタインチョコはこの場で渡させていただきますね」
「えっ!?」
「咲耶ちゃんが私たちに!?」
何か皆が物凄く驚いている。でも俺だって皆にチョコレートくらい贈るだろう……。去年俺だけ用意してなくてあんなことになってしまったのに、今年も俺だけ用意してませんでしたなんて失敗を繰り返すわけにはいかない。
「え~……、渡す順番も出てきた順番なので他意はありません。どうか気にせず受け取ってくださいね」
ここまで持ってきていた袋から手作りのチョコレートを取り出して、出てきた順番に渡していく。本当なら渡す順番とかも考えた方が良いのかもしれないけど、状況が状況だけにそこまで注意しておけない。しかも早くチョコを渡して、昼食も済ませて、また受け取りリレーを再開しなければ今日いつまで経っても帰れないし……。
「これは……、椿ちゃん」
「はいっ!ありがとうございます!」
「こちらは……、薊ちゃん」
「ありがとうございます!咲耶様!」
「これは……、空木ちゃん」
「ありがとうございます、咲耶お姉ちゃん」
中身はそう変わらないんだけど、デコレーションというか、形というか、飾りというか、まぁ微妙に一人ずつ違うからそれぞれ一人ずつ渡していく。
学園で会える子の分は全て持って来ているからこの場にいない子の分もあるけど、それについてはまた後で渡そうと避けておく。ここにいるのは同級生グループと、下級生達と……。
「咲耶ちゃん!お姉さんは?お姉さんの分は?」
「茅さん……、もちろん茅さんの分もありますよ。少し待ってくださいね」
とにかく数が多いし、先に出して段取りをつける暇もない。とにかく出てきた分から渡していかなければ処理しきれない。
「これは射干ちゃん」
「えっ!?わっ、私もいただけるんですか!?」
「それはそうでしょう?」
何か驚いた顔をしている射干達だけどそりゃそうだろう。ここで射干や真弓や薺だけないとしたら俺はどんだけ嫌な奴なんだよ。そんな仲間はずれみたいなことが出来るはずもない。
「これは……、茅さんですね」
「ああっ!ありがとう咲耶ちゃん!一生飾っておくわね!」
「いえ……、食べ物なので食べてくださいね……」
飾っておかれたらチョコレートが可哀想だ。食べるために用意された物はちゃんと食べられるべきだろう。そんなことをしている間に、お昼に会える子達の分は一先ず全員分配り終えたのだった。




