表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
410/1418

第四百九話「師匠の病気は」


 鷹司家のパーティーが終わってしばらくが経ち、すでに二月に入っている。それなのに未だに槐から何の脅しも要求もない。こちらは毎日毎日いつ何を言われるかと思って気を張っているというのに、いつもいやらしい笑みを浮かべてニヤニヤしているだけではっきり要求を言ってこない。こういう状況が一番精神的に堪える。


 何か要求があるのならはっきり言われた方がまだすっきりするというものだ。いつまでもネチネチ、ネチネチとはっきり要求を言わずにこちらを疲弊させようというのだろう。さすが『腹黒王子』……。どこぞの残念王子と違ってやることがネチッこい。でもそれがわかっていてもこちらも対処のしようがないというのが辛い所だ。


「はぁ……」


「何か考え事か?」


「えっ!?はい……」


 百地流の修行中だというのについ溜息を吐いてしまった。いつもなら師匠に『集中できとらん!』とか『気合が足りん!』とか怒られている所だろうけど、ここ最近は何か師匠もしょんぼりしていてあまり元気がない。もしかして師匠も何か悩みが?それとももしかして病気が深刻だとか……?


 一瞬師匠に鷹司家の動向を調べてもらおうかとも思ったけど、よくよく考えたら師匠は病気を患い辛い状況のはずだ。いつも元気に振舞っているから忘れがちだけど、もしかしたら今だって物凄い痛みを耐えながら俺の修行をつけてくれているのかもしれない。


「ふむ……。こうして咲耶の修行をつけるようになってもう六年か」


「そう……、ですね」


 何か遠い目をしながら師匠がそんなことを言う。一年生に上がる前から師匠に弟子入りして修行をつけてもらっているから、現時点ですでに六年は経っているだろう。普通の習い事なら六年も通っていれば相当な腕前になっていると自信を持って言えるかもしれない。でも百地流は未だにその深淵が見えず、俺はまるで極めてなどいない。


「子供の成長とは早いものじゃのぉ」


「師匠……」


 顎鬚を触りながら師匠がそんなことを言う。何か……、それって……。


 いや、いやいや!違う!そんなはずなはい!まさか……、師匠の病気がもうかなり深刻な所まで来ているかもしれないなんて……、そんな嫌な想像をするな!


「素直に何でも相談してくれた咲耶も今や思春期となり、この師にも話せぬ悩みを抱える歳になったか……」


「師匠!何を弱気になっておられるのですか!私は師匠に秘密にしていることなどありません!全て師匠に相談しております!」


 …………まぁ自分で言っていても嘘だとは思ってるけどね。


 俺の生活の全てを師匠に相談しているわけじゃない。それは確かに師匠の言う通りだ。でもそれは師匠に秘密にしているとかじゃなくて、相談するまでもないことや、師匠の手を煩わせるほどのことではないだけに過ぎない。別に師匠に秘密にしようとか、相談しないでおこうと思ってそうしているわけじゃないんだ。


 『今月は女の子の日が来るのが少し遅いんです』とか、『友達のおっぱいの成長が気になってしまいます』なんて相談されても師匠だって困るだろう。そういうことまで逐一相談していないだけで、重要なことは全て師匠に相談して……、ないこともまぁあるけど……。


「では最近は何に悩んでおる?」


「それは……」


 どうする?師匠に相談するか?鷹司家のことを相談すれば師匠なら相談に乗ってくれるだろう。でも本当に師匠に頼るべきことなのか?


 師匠が最近元気がないのが病気のせいだったら、これ以上余計な負担をかけるべきじゃないと思う。俺は師匠に長生きしてもらいたい。でも俺が鷹司家のことを相談したら師匠は無理をしてでも無茶な潜入をしたりするんじゃないだろうか?


 師匠は確かに頼りになるけど頼りすぎるのもよくない。何より病気を抱えた老骨に鞭打つようなことをさせるのは駄目だろう。


 とはいえ……、こんな表情をされたら相談しないわけにはいかないな……。


「え~……、実はですね……。先日あった鷹司家のパーティーの迎えの車の中で、私がついうっかり迂闊な言葉を言ってしまい、もしかしたらそれを鷹司家に録音などされて記録されているかもしれないのです。ですが鷹司家は何も具体的な要求はしてこず、遠まわしにそれとなく匂わせてくるだけでどうすれば良いのか悩んでいます」


「なんじゃそんなことか。ならばわしが少し鷹司家に忍び込み、その録音されたデータを消去してから鷹司家も消去してやろう!」


 いや!『鷹司家を消去』って何だよ!?こえぇよ!本当にこのクレイジーニンジャは言うことが危険だ。


「落ち着いてください、師匠。鷹司家を消去するのは駄目です。以前近衛家の時も同じ話をしたはずですよ」


「むぅ……」


 何か師匠がまた落ち込んだような難しい顔をして唸って止まった。少し前にも近衛関係で芸能事務所にどうこうという話をした時に同じようなやり取りがあったはずだ。あの時だって近衛家を皆殺しにするとか言うから止めてくれと言ったはずなのに、どうして師匠はまた同じことをしようと言うのか。少しは世間の常識というものを学んで欲しい。


「それに師匠は病院に通われていて……、お体が……、悪いのでしょう?」


 俺は……、ついにはっきり言ってしまった。きっとここの所師匠が難しい顔をしているのも病気が思わしくないからだろう。そんな状態の師匠に無理をさせるわけにはいかない。師匠にはもっと長生きしてもらわなければ……。


「なんじゃ、知っておったのか。恥ずかしい話じゃがこればかりはどうにものぅ」


 師匠っ!なんて顔を……。やっぱり……、師匠の病気はもう相当危険なところまで来ているんだろう。師匠自身が一番それをわかっているから、せめて最後に俺のためにその命を使おうとしてくれているのか。でもそんな師匠に無理をさせるわけにはいかない。


「師匠のお気持ちはうれしく思います!ですが私は師匠に一日でも長く元気に生きていただきたいのです!ですからご無理をなさらないでください!」


「寄る年波には勝てんということかのぅ……。咲耶にまで腰の心配をされるとは……」


「そうです。師匠はもうお年なのですから体には気をつけて……、えっ?」


 『腰の心配』って何だ?


「いくら百地流で鍛えておっても腰痛には勝てん……。今は咲耶も若くそんなことはわからんじゃろうが、歳を取ってくればいずれわかるようになる」


「えっ?えっ?」


 ん?何の話をしている?師匠は……、もう取り返しがつかないような大病を患っているんじゃないのか?だから朝練や夜の修行時間を延長してまで俺に百地流を叩き込んでくれているんじゃ?


「じゃが最近は西洋医術も発達してきておるからな。塗り薬や貼り薬もよく効くわい。まだまだあと十年は現役を続けられるぞ」


「えっと……、師匠が今まで患っておられた病気は……」


「うむ。年齢による腰痛じゃ」


 なっ、なんだってーーーっ!?


「えっ?えっと……?それでは以前落とされた診察券は?」


「これか?」


 そう言って師匠が懐から出したのは整形外科専門の病院だった。もちろん整形外科専門でも色々と大変な病気もあるだろう。でも俺が考えたような癌とかそういう病気を治療している病院とは思えない。


「はっ……、ははっ……。師匠は……、大病を患っておられたわけではなかったのですね……」


 それを聞いた瞬間、俺はへなへなとその場に崩れ落ちた。腰が砕けて立ち上がれない。そして目からポロポロと汗が出てくる。これは心の汗だ。


「咲耶っ!?どうした!?どこか痛いのか?怪我をしたか?」


 突然崩れ落ちた俺に師匠が駆け寄ってきてくれた。腰が痛いと言っていたのに心配して駆け寄ってくれるなんて、申し訳ないことをしたと思いつつも師匠の気持ちをうれしく思う。


「いえ……、いえ……。師匠が……、大病を患っておられると思って……、ずっと心配で……。よかった……。よかったです……」


「咲耶……」


 駆け寄ってきて肩に手を置いてくれた師匠にしがみついて目から汗を流す。よかった。本当によかった。安心したらいつまでも目から汗が止まらず、暫くの間師匠にしがみついたままその服を濡らしてしまったのだった。




  ~~~~~~~




「落ち着いたか?」


「はい……。お見苦しいところをお見せしました」


 俺が大泣き……、じゃなくて、目から汗を大量に流してしまったので修行は中断となってしまった。暫く経って落ち着いたので上座に座る師匠と向かい合って話しをする。


「そうか……。それにしても咲耶がわしの病気を疑い心配してあそこまで大泣きするとはなぁ」


「うぅっ……」


 師匠はニヤニヤと笑みを浮かべていた。六年生にもなって師匠にしがみついて大泣きした俺を笑っているんだろう。いや、大泣きじゃなかった。目から汗が流れただけだ。


「それではここ暫く妙に遠慮があったのも?」


「はい……。大病を患っておられる師匠にご負担をおかけすまいと……」


 末期の癌とかになってくると相当痛いらしい。幸いというべきか、俺自身は前世も含めてそんな病気になったことがないからその辛さはわからないけど、親族や何らかの関係者をそういう病気で亡くしたことは何度もある。皆大変そうで苦しそうだった。だからそんな病気である師匠に負担をかけてはいけないと思っていた。


「そうか。しかしあの診察券を見ただけでそこまで心配してくれるとはのぅ」


 また何か笑いを堪えているような顔で見られた。ちゃんと確認しなかった俺が馬鹿だと思われているんだろうか。でも病気の相手に『どんな病気なんですか?』『どのくらいの余命なんですか?』なんて聞けるわけもない。早とちりしたのは俺が悪いけど、だからってズケズケ、根掘り葉掘り病気のことを聞けるわけないだろう。


「ただ、診察券だけではなく、あの後から朝練や夜の時間延長など修行を密にされましたので、もしやもう師匠にはあまり時間がないのではないかと余計に思ってしまいました」


「なるほど。しかしそれは大間違いじゃな。昔の修行と言えば内弟子となり、朝から晩まで、いや、夜寝ている間ですら修行に励み、何年も何年も一日中修行をしておったものじゃ。それが今では週に何日か、それもほんの数時間修行をするのみとなった。そんなものでは百地流の全てを伝授するまでに何十年もかかってしまうじゃろう」


「それはまぁ……」


 師匠の言っていることもわかる。昔は生活の全てをその道を極めるために使い、それでも何年も何年も修行してようやく一人前。本当に極めることなどほとんどの者は出来ず、何なら一生修行に費やさなければならないものだっただろう。それを俺のように日常生活の片手間に数時間くらい修行したからといって極められるようなものではない。


 俺も感じていた。このまま百地流の修行を続けていても、全てを習い終えるだけでもあと何年かかるだろうかと……。


 一つの道を極めるだけでも長い時間を要するというのに、そして才能がなければ一生を懸けても極めることも出来ないというのに、百地流はあまりにカバーする範囲が広すぎる。それこそ師匠が言うように何十年も一日中修行に明け暮れても全てを修めることは出来ないのではないかと思うほどだ。


「どちらにせよ咲耶の立場では全てを伝授することは出来んと思っておる。表の百地流古舞踏をある程度修めつつ、裏は最低限必要な部分までじゃろう」


「師匠……」


 そう言った師匠の表情はどことなく寂しそうにも見えた。もしかしたら本当は俺に全てを伝えたいのかもしれない。師匠は俺を最後の弟子だと言ってくれている。その最後の弟子に出来るだけ全てを伝えたいと思うのは当然の心理だろう。でも師匠は俺の立場や都合にも配慮してくれている。


 本当なら最後の弟子には、百地流の内弟子となり、毎日一日中修行に明け暮れ、全てを修めてもらいたかったはずだ。でもその最後の弟子に俺を選んでくれた。九条家のご令嬢として過ごさなければならない俺は、内弟子になることも、人生の全てを百地流に懸けることも出来ないとわかった上でだ。


 だったら俺は……、例え全てを懸けて、百地流を完全に修めることが出来ないとしても……、出来る限りは頑張らなければならない。


 師匠が大病じゃなかったのは良い知らせだ。でもそれもずっと大丈夫とは限らない。実際にいつ俺が想像したような事態になってもおかしくない年齢に差し掛かっているんだ。その師匠の最後の弟子として……、俺は出来る限り精一杯百地流の修行に励まなければならない。


 俺はどこかで、師匠との修行も楽観していた部分があった。師匠が大病かもしれないと思ってからだってまだ完全に身が入っていなかった。その自分を戒めて……、今度こそ胸を張って百地三太夫の最後の弟子だと言えるように頑張らなくては!



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 絶対孫から気を使われて嬉しくなってるおじいちゃんになってるな……( ˘ω˘ )
[良い点] おじいちゃん夜に絶対うれし泣きしてそう。
[一言] フィクションの世界には本来数十年かかる修行を一年ぐらいで終わらす天才という名の化け物とかいるけど、さすがにそうはいかないもんなぁ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ