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第四百三話「腹を割って」


 友康が倒れて入院しているということで、後日マスターに連れてもらってお見舞いに向かった。でもお見舞いに行った先で謝るよりも先に友康に怒られてしまった。言葉はやんわりしたものだったけどあれは怒っているという意思表示だろう。


 今回の件の発端は確かにマスターが迂闊だったというのもあると思う。そもそもお客の前で秋桐の演奏発表会を見せびらかそうと思ったのが間違いだった。でもそれを責めることが出来るか?まさかあんなことになるなんて誰も予測も出来ないというのに?それは酷というものだろう。


 おばあちゃんが、可愛い孫の初めての演奏発表会の映像を、ご近所さんや知り合いのママ友達に見せたいと思うのは自然な流れだ。それを営業中の喫茶店内で流してしまったのは良くなかったとはいえ、趣味で経営していて、常連客くらいしかいない店ではそれも止むを得ない。


 そこで客として集まっていたご近所さんや知り合い達と一緒に、秋桐のコンサートの映像や音楽を流して皆で聴く。そこまでだったら何の問題にもならなかった。ただマスターの想像を超えていたのはその演奏を聴いた客達が、繰り返しその映像や音楽を要求したことだった。


 まさかそんなことになるなんて誰も思わないだろう。ただちょっと初めての孫の、初めての演奏会の映像を知り合いに自慢したかった。そんなおばあちゃんの楽しみだっただけなのに……。


 ここまではマスターの失敗だ。客の反応が読めなかったのは止むを得ないとしても、マスターが迂闊だったと言えば誰も反論出来ないだろう。でもその先は違う。その先は俺が呼び込んだ災禍だ。


 精神が不安定になっていた俺が、ちょっと皆の反応が冷たかったからと勝手に『皆にハブられている』なんて思い込んで……、自暴自棄になって……、近衛家を頼ってしまった。そもそもあの時の俺がどうして近衛家なんて頼ったのかも、今冷静に考えれば自分でも理解出来ない。


 いや……、一応理由はあったよ。喫茶店で流されていた映像や音楽の権利はコンサートを主催した近衛家が持っている。その映像や音楽が利用されているのなら権利を持つ者の許可が必要だ。でもそこで何で穏便に映像や音楽を流すのをやめる方向に努力せず、『流しても合法になるようにしよう』などと考えたのか……。自分でも腹立たしいやら何やら……。


 ともかく俺が余計なことをしてしまったせいで、近衛家は引き込むわ、客達がいつ暴徒になるかもわからなかったわ、皆を近衛系列の事務所に所属させるわ、引き込んだ近衛家が幸徳井家に圧力をかけてくるわ、もう滅茶苦茶にしてしまった。


 下手をすれば秋桐や小紫や緋桐さんが暴徒と化した客達に襲われていたかもしれない。近衛家の圧力で幸徳井家の会社の方にまで迷惑がかかっていたかもしれない。一家を守る大黒柱で、会社を経営する責任者でもある友康が、そんな危険な状態にしてしまった俺に厳しいことを言うのも当然だ。とにかく俺は平謝りすることしか出来なかった。


 何とか友康に許してもらうことは出来たけど、普通に考えたら家族や会社を危機に晒した張本人なんてそうそう許せるものじゃないだろう。友康は器の大きな人に違いない。


 近衛系列の近衛病院に入院していた友康を見舞って、謝罪して許してもらってから俺は考える。マスターも……、緋桐さんも近衛母と話し合って店の経営のことなどはっきり言いたいことを言ったと言っていた。


 俺達はエスパーじゃないんだから他人が何を考え、どう思っているのかは相手が言ってくれない限りわかりようがない。でも俺はいつもそこが足りないんじゃないのか?


 緋桐さんは近衛母とも恐れずにきっちり話し合った。だから緋桐さんの考えも近衛母に伝わり、店舗や商品や経営方針に口を出されるのなら店を閉めるという覚悟まで伝えることが出来た。それに比べて俺はどうだ?


 皆に冬休み中に会えないと言われた時も、近衛母と幸徳井家の喫茶店の問題について話した時も、俺は相手に疑問に思ったことを直接聞くこともなく、勝手に思い込み、こちらの要望も意見も伝えずにきたんじゃないのか?だからこそこんな問題になってしまったんじゃないのか?


 所謂『空気を読む』という能力は前世の日本でも、この国でも必要で重要だ。何でもかんでも相手に聞くのではなく、それとなく察して行動したり遠慮したりする。そうすることで円滑な人間関係や取引が進む。それは決して間違いじゃない。でもそれだけじゃ駄目なんだ。


 言いたいことをちゃんと主張したり、相手が何を考えているかわからなければはっきり聞いたり、疑問に思ったことは話し合ったりしなければならない。相手が察してくれているだろうとか、よくわからなくても聞き流しておけばどうにかなるだろうなんていうのは碌な結果にならない。それを何度も経験してきたはずなのに、俺は今回もまたやってしまった。


 もちろん自暴自棄になっていたからどうでもいいと思っていた、というのはあるだろう。でもそれにしても今回の俺は酷すぎた。もう皆を巻き込んでしまったことはなかったことには出来ないけど、せめて休みが明けた後に皆にちゃんと謝って、出来るだけのことはしたと報告出来るようにしておかなければならない。


「近衛……、靖子様にアポイントメントを」


「かしこまりました」


 車に揺られながら椛にそう言うと、椛はすぐに近衛母とのアポを取ってくれたのだった。




  ~~~~~~~




 もう冬休みが終わる。今日が冬休みが明ける前の最後の機会となるだろう。いつもの冬休みと言えば、休み自体が短いことと、父が長期休暇を取れるのが盆暮れ正月くらいだから家族旅行に行って終わりというイメージが強かった。でも今年の冬休みは色々と問題ばかり起こって随分長かったような気すらしてくる。


「ふ~~~っ……。帰りは何時になるかわかりませんのでまた迎えが欲しい時に連絡します」


「…………いってらっしゃいませ」


 椛と運転手に見送られて近衛家へと入っていく。すると玄関ですぐに近衛母に迎えられた。


「いらっしゃい咲耶ちゃん!今日は何の用かしら?」


「御機嫌よう近衛様。本日はお時間を取っていただきありがとうございます」


「いいのよ。咲耶ちゃんならいつでも大歓迎よ。さぁ、こんな所にいないで上がって上がって」


 何だか上機嫌な近衛母に迎えられて執務室へと向かった。居間や応接室じゃなくて執務室へ通したということは、俺が今日真面目な話で来たということを察していたのかもしれない。


「まぁかけて。それで……、わざわざ咲耶ちゃんが自ら急に来るなんてどうしたのかしら?」


 少しだけ目を細めてまるでこちらの考えを見透かすかのようにそう聞いてきた。あるいは近衛母ならば本当に俺程度の小娘の考えていることなど読めているのかもしれない。まぁそれにしては随分上機嫌だし、わかっているのならわざわざ聞いてこないだろう。そういう風に感じるだけで実際に心が読めているわけではないと思う。


「はい……。失礼を承知で……、少し近衛様と腹を割ってお話をさせていただきたく……」


「腹を割って……?」


 近衛母が少し『う~ん』と顎先に右手の人差し指を添えて首を傾げた。何だかその仕草が少し可愛らしい。近衛母の性格やイメージとはあまり合わない。意外な一面を見せられているとでも言うのだろうか。


「ふふっ。いいわね。私も咲耶ちゃんのお腹の中を知りたいわ」


 でもそれも一瞬のこと。目を細めた近衛母はチロリと獲物を見る目で俺を見詰めながら舌なめずりをした。やっぱりこっちの方が近衛母らしい。


「近衛様は……、私達のバンドを近衛系列の事務所に所属させてどうなさるおつもりなのでしょうか?」


「別に……?どうもしないけど?」


「…………は?」


 またコテンと小首を傾げてそう答える近衛母に俺はきっと間の抜けた顔を返していることだろう。でもそう言わずにはいられない。『別にどうもしない』とはどういう意味だ?俺は今日は駆け引きせずお互い腹を割って話そうと言ったはずだ。それなのにはぐらかそうというのか?


「前に言った通りよ。咲耶ちゃん達が本気で芸能活動をしたいのなら応援もバックアップもするわ。でもしたくないのなら無理に何かさせるつもりはないわ。だから『こちらからは何もしない』というのは本当よ」


「そう……、ですか……」


 きっとさっきの俺の表情は読みやすかったことだろう。だから近衛母は俺の考えを読んでもう一度同じことを説明してくれたわけだ。『何も嘘は言っていない』と……。


「じゃあ今度は私からいいかしら?」


「……はい」


 近衛母の提案に目を瞑って頷く。こちらが近衛母の内心、本心を聞かせろと言ってるんだから、向こうだってこちらに同じことを要求してくるのは当然だろう。それは想定内だ。俺は別に近衛母に聞かれて困ることはない。だから全て正直に答えることに何の問題も戸惑いもない!


「伊吹のことをどう思っているのかしら?」


「え゛っ!?いっ、伊吹様ですか……?」


 何だこの質問は……?想定外も良い所だ。まさかこんな質問が来るとは思ってもみなかった……。しかも何と答えれば良いのかわからない。


 俺は今日はお互いに腹を割って話そうと言った。そしてそれを了承した近衛母にすでに質問をぶつけている。今更俺だけ中途半端にはぐらかしたり、腹を割らずに嘘やおためごかしを言うわけにもいかない。いかないんだけど……、言っていいのか?これを……。本当に?一切偽らず?


「あ~……、え~~~…………、その~……」


「いいのよ。今日は腹を割って話すんでしょう?何を言ってもここだけの話にしておくわ」


 近衛母がニッコリ笑ってそんなことを言う。ここだけの話もクソもないだろう。近衛母は当事者じゃないか……。一番聞かれたくない相手に言うんだからそれを誰かに言い触らされてももう何も困らない。とはいえ黙っているわけにもいかないか……。覚悟を決めよう。


「はっきり申し上げますと……、近衛様……、いえ、近衛伊吹様のことは嫌いです。大嫌いです」


「あははっ!そこまで言われるなんて伊吹も駄目ねぇ!あははっ!」


 何が面白いのか近衛母が腹を抱えて笑い出した。俺は生きた心地がしない。これは下手をすれば近衛家と九条家の全面戦争の引き金になりかねない爆弾発言だ。それを相手の首領に話しているんだから笑えない。


「もっと聞きたいけど……、次は咲耶ちゃんの番ね」


「あ~……、それでは……、幸徳井家の喫茶店をオフィシャルショップにしてからどうされるおつもりなのでしょうか?」


「どうもしないわよ?今まで通り好きに経営してもらえば良いわ。ただオフィシャルショップだから、将来的にはうちから出す商品も一緒に並べてもらったりはするかもしれないわね?」


 近衛母は何でもないことのようにそう言った。嘘を言っている様子はない。本気でそう思っているんだろう。まぁ近衛家が本気で円盤やグッズを売りたければ、自分の所の販売網を使った方が手っ取り早い。あの喫茶店を何かに利用しようと考える理由も必然性もないのは事実だ。


「それじゃ次は私の番ね。咲耶ちゃんは政略結婚については否定的なのかしら?やっぱり恋愛結婚に憧れているの?」


「は……?まぁ……、好きでもない相手と結婚するつもりはありません」


 さっきから近衛母の真意が理解出来ない。恐らく女傑、近衛靖子ともあろう者のことだから、こんなわけのわからない質問に聞こえても、物凄く奥が深く、俺には想像も出来ない深謀遠慮に繋がっている質問なんだろうけど……、生憎俺の頭では近衛母の狙いや考えが読めない。


「やっぱりねぇ……。それじゃ次は咲耶ちゃんね」


「はい……。もしバンドメンバーが事務所を辞めたいとなった時はどうすれば良いのでしょうか?何年契約とか、違約金とか、それまでの活動の権利などはどのように?」


「辞めたければ辞めてもらってもいいわよ。楽曲の著作権などもこちらで作曲したもの以外は取り上げるつもりはないわ。映像や音楽の販売に関してはそれまで発売されている物があれば、引き続きこちらで販売させてもらうことになるけれどね」


 近衛母の話……。これ本当に全部本当のことなのか?今日は腹を割って話すと言った。俺も全て本心で答えている。近衛母も恐らくそうだと思う。でもそれにしては契約内容や俺達の活動があまりに俺達有利すぎないか?


 俺達に活動は強要しない。喫茶店も今まで通り。そして辞めたければいつでも辞められる。そんな好条件があるか?楽曲の著作権もこちらで作曲した曲に関しては権利はこちらに残ったまま?あまりに条件が良すぎて裏を疑うレベルだ。


「次ね!咲耶ちゃんの好きな男の子のタイプはどんな子かしら?」


「はぁ……?男の子のタイプというものはありませんが……、最低限常識があって、きちんと節度を持って行動出来ることは前提でしょうか……」


 さっきから近衛母の考えがまったく理解出来ない。これが……、天才女傑の手腕なのか……。


 この後も俺と近衛母の腹を割っての話し合いが行われ、俺はとにかく聞きたかったこと、近衛母と話し合うべきことを話し合った。


 その間に俺に対して近衛母はわけのわからない質問ばかりしてきていたけど、結局その真意は掴めず……。近衛母は嘘も使わず、『腹を割って話し合う』という俺の出した条件を破ることなく、俺にその真意を悟られることなく俺から重要な情報を集めたようだった。


 やっぱりまだまだ俺は、うちの母や近衛母のような老練な手練手管を持った相手とは渡り合えないようだ。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] 元々、婚約者候補?のバランス取れてなかったけど今回で完全にバランス崩壊したのでは?近衛家が他の家よりかなり抜きんでしまったけど、近衛家パーティー休むぐらいではこの差うまらなさそうだなー…
[一言] 近所のおばちゃんみたいな さすがに失礼か?
[一言] 【でもお見舞いに行った先で謝るよりも先に友康に怒られてしまった。】ーー ーーこれって、実際は、 友康 「ちなうんです!、咲耶様!!。(緋桐に対して)冗談を言っただけなんです!!!。」 っ…
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