第四百二話「友康の入院生活」
時は少し遡り、幸徳井家の喫茶店が正式にバンドのオフィシャルショップになった頃、仕事中だった友康に小紫から緊急の連絡があった。
「一体どうした?仕事中に連絡してくるなんて……。用事なら家に帰ってから……」
『お父さん早く帰ってきて!喫茶店が大変なのよ!』
「喫茶店が?」
慌てた様子の娘、小紫の言葉に友康は首を傾げる。小紫は昔から落ち着きがなくオーバーな子だった。妻の緋桐がほとんどのことに慌てないのんびりした性格なのと対照的とも言えるほどだ。だから小紫が大変だとか慌てているというのはいつものことだが、それにしても今日はいつもと様子が違っていた。
「はぁ……。わかった。一度仕事を切り上げてそっちへ行くから待ってなさい」
『早く戻ってきて!今近衛財閥の人が来てお母さんと揉めてるのよ!』
「なっ、なにぃっ!?」
客とちょっとした揉め事でも起こっているのかな?くらいに思っていた友康だったが、小紫のその言葉を聞いて最速で飛んで家に帰ることにしたのだった。
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友康が喫茶店に入ると妻の緋桐とスーツ姿の男性数人が言い争う声がすぐに耳に飛び込んできた。
「近衛財閥の系列店になるのならこんな貧相な建物では許されませんよ。まずは建て替えか移転が前提です」
「それに何ですか?この商品は……。喫茶店と言いながらそこらのスーパーで売っている飲み物や食べ物を出すだけだなんて……。貴女は喫茶店経営を舐めているんですか?近衛財閥の喫茶店ならば一流の商品、一流の接客でなければならないんですよ」
スーツ姿の男達の言葉に友康もカチンと来る。確かにこの喫茶店で出している物はスーパーで普通に売っているような品も多い。しかしそれだけではなく妻、緋桐が一生懸命手作りした物や、色々な店に行って吟味してきた高級品なども採算度外視で出したりしている。
今までもスーパーのコーヒーやお菓子を出すとクレームを言ってくる客もいた。そういう客には料金は貰わずに出て行ってもらい、二度と来ないように出入り禁止にしてきた。
この店は金儲けや利益のためにやっている店ではない。子供も巣立って手の空いた緋桐が、ただ思いのままに好きな時間と空間を作り上げた。そしてそれを気に入った客と一緒に共有したいだけだ。そこに無関係の者がやってきて偉そうにあれこれ言われる筋合いはない。
しかし……、と友康はぐっと堪えた。普通のクレーマーの客ならば『金はいらないから出て行け』『二度と来るな』で済む。だがここで今妻に偉そうに語っているのは近衛財閥の人間だろう。近衛財閥を相手に下手なことを言えば、地下家の幸徳井家など一瞬で吹っ飛んでしまう。
どう対応したものかと友康が苦慮していると、いつもはおっとりしている緋桐がはっきりとした口調できっぱりと言い切った。
「近衛財閥の店になどなった覚えはありません。ここは私が夫に自由にして良いと言っていただいて開いている喫茶店です。他人に指図される謂れはありません」
「近衛財閥の後ろ盾を得たいと擦り寄ってくる寄生虫は多い!どうせここもその一つだろう!」
「どんな手を使ったのかは知らないが、奥様に取り入って近衛系列に加えてもらったくせに!近衛系列に入るというのならそれに相応しいようにしろと言っているんだ!」
緋桐の言葉にスーツ姿の男達が声を荒げる。友康が慌てて間に割り込んだ。
「ちょっ、ちょっと!双方落ち着いて!緋桐も落ち着きなさい!」
「あなた……。でもこれは大事なことなんです。貴方がたは何を勘違いされているのかは知りませんが、こちらから近衛系列に加えて欲しいなどと言ったことはありません。どうしても頼むと言われたから止むを得ずオフィシャルショップというのを引き受けただけです。その際にお店や経営のことについては口を出さないとお約束いただいたはずですよ」
「何だと!」
「近衛財閥に対してそのような言い様……。この店も、お前達の家族の仕事も、全て潰してやるぞ!」
「――ッ!?」
その言葉に友康は大きなショックを受けた。九条家や九条グループとの取引では今まで一度たりとも高圧的に命令されたことなどない。それに比べてこの者達はどうだ。近衛財閥というバックを笠に着て、ひたすら高圧的に命令してくる。こちらの都合も立場も何も考慮しない。
腹立たしい。本当ならさっさと帰れと言ってやりたい。しかしそれは出来ない……。
もし本当に近衛財閥と揉めて、近衛家が幸徳井家を潰すと決めたならば……、何の抵抗も出来ずに潰されてしまう。
今でこそ幸徳井家は九条グループと親しい間柄ではあるが、だからといってまだ正式に九条派閥に入っているわけではない。対外的には実質的に九条派閥と思われているだろうが、正式に宣言したわけでも、約束を交わしたわけでもない。
もし今この状況で幸徳井家と近衛家が決定的に決裂して争うことになった場合、九条家は派閥メンバーでもない幸徳井家のために近衛家と対立したりはしないだろう。そうなれば……、もし本当にそんなことになってしまえば……、幸徳井家など吹けば飛ぶような存在でしかない。
それで自分が会長を辞めたり、喫茶店を閉店せざるを得ないようになるだけなら良い。しかし会社が潰れれば従業員達が路頭に迷うことになる。それほど大きな会社ではないといってもそれなりに従業員はいる。それに直接の従業員でなくとも、幸徳井家が関わる仕事先は色々あるのだ。会社が潰れればそういった他の関係先全てにまで迷惑をかけることになる。
一体何人に迷惑をかけ、どれほどの人が路頭に迷い、人生が狂ってしまうかわからない。
これから進学しようと思っている子供を抱えた家もあるだろう。それなのに一家の大黒柱が突然無職になり収入がなくなれば、その子供の進学などにも影響してしまう。そうなればその子の人生はこれから先全て狂ってしまうのだ。
感情のままに言い返すのは容易い。しかし友康はその立場上そうするわけにはいかない。会社と喫茶店は別だと正論を言っても意味はない。相手はそれをひっくるめて一緒に脅しているのだ。
「待ってください!妻の言葉は過ぎたものだと思います。ですが少し待ってください」
「我々も暇じゃないんだ。だったらさっさと店の改装と商品の刷新。それから従業員を雇って……」
近衛から派遣されてきたスーツ姿の男達の言葉が遠くに聞こえる。男達と妻の間に入って止めていた友康は、自分の体の異変に気が付いた。しかし気が付いてもどうにも出来ない。
「うっ……、うぐぅっ!?」
腹部に激しい痛みを感じた友康はその場で蹲ってしまった。立ち上がろうにも痛くて苦しくて立ち上がれない。脂汗がびっしり浮き出てくる。
「あなた!?」
「お父さ……」
「うぅ……」
そこで一度友康の意識は途切れたのだった。
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友康がふっと気が付いて周囲を見てみれば、白を基調とした清潔そうな部屋に寝かされていた。会社の社長室や会長室よりも豪華で立派だが、雰囲気などから病院の個室であろうことはわかる。
「ここは……」
「ああ、あなた……、目が覚めたのね」
ゆっくりと上半身を起こすと自分が寝かされていたベッドの隣に妻、緋桐が座っていた。ぼんやりと思い出してくるのは面倒なことだった。
「そうか……。近衛家から来た人と揉めて……」
「ええ。あなたは眠っている間も『近衛家との関係がぁっ!』とうなされていたわよ」
「うぐぅ……」
それを聞いて思い出し再びお腹がキューッ!と痛くなった。
「大丈夫?」
「あっ、あぁ……、大丈夫だ……」
本当は大丈夫とは言い難い。とても苦しい。今までも胃痛、腹痛には散々悩まされてきたが今回はその比ではない。いつもの……、九条家のお嬢様に悩まされる程度の腹痛とは根本的に違う。
友康もこれまで会社を経営してきて、何度も経営危機で悩んだことがある。取引相手に泣かされたこともある。九条咲耶様という破天荒なご令嬢に苦労されられてきた。しかしそれらと今回のことは致命的に違いすぎた。友康の胃痛も少し痛い程度だったものが、今回は我慢出来ずに倒れてしまうほどにまでなったのだ。
「あなたが倒れている間に色々検査をして……、お医者様が言うには胃が相当荒れているらしいわ。これからはお酒や辛い物など胃に刺激の強い物は控えて……。あと、ストレスを溜めないようにですって」
「あ~……。食事はともかく……、ストレスは無理そうだな……」
「ふふっ」
「ははっ」
そう言った友康の言葉で緋桐が笑った。友康も肩を竦めて笑う。夫婦水入らずの穏やかな時間。しかしそこにノックが響いた。緋桐が迎え入れると入ってきたのは……。
「ごめんなさい。お邪魔するわね」
「こっ、近衛様っ!?」
入ってきたのは近衛靖子。あまり政財界との繋がりがない幸徳井家の面々でも知っている、この国でも三本の指に入るほどの超重要人物だ。
「この度のことは本当にごめんなさいね」
「お店の経営に口を出さないというからオフィシャルショップというのも引き受けたはずです。口を出されるのでしたらこちらとしても喫茶店を開いている意味はありません。もしこれ以上口出しされるようでしたらお店を閉めます」
「ちょっ!?おまっ!?」
頭を下げた近衛靖子に対して緋桐が毅然とそう言い放った。再び友康の胃がキリキリと痛み出した。
「そう約束したのはこちらなのに……、担当者達にも丁重に扱うように伝えたのだけど、どうやらとんでもない勘違いをしてしまったようで……、本当に今回のことはお詫びのしようもないわ。今後二度とこのようなことがないように徹底的に注意します」
さらに一度頭を上げた近衛靖子が再び深々と頭を下げた。その後ろでは喫茶店で揉めていたスーツ姿の男達が困惑した表情を浮かべている。あまりの出来事に理解が追いついていないのだろう。友康だって同じだ。何が起こっているのか理解出来ない。
「わかりました。それでは今後このようなことがないようにお願いします」
この国でも三本の指に入るような超重要人物が、一般人育ちの地下家の妻に頭を下げる。悪いことをしたら謝るというのは当たり前だと言われて育っても、現実にはそんなことはないことを知っている。立場が圧倒的に上の者は、本人が悪くとも下の者に謝ることなどない。それが世の中というものだ。
それなのにこの目の前で繰り広げられている光景は一体何なのか。
だがスーツ姿の男達や友康のことを置き去りにして、緋桐と靖子は謝罪が終わると二人で談笑し始めた。その気安さもまた理解出来ない。男達には理解出来ないまま、二人は一時間以上も談笑してから近衛の関係者達は帰っていった。
「さっきの話で聞こえてきたが……、ここは近衛家の病院なのか?」
「ええ。近衛病院です。入院費も治療費も近衛家が出してくれるので心配いりませんよ」
道理で立派すぎる個室だと思ったと友康は納得した。ここは政治家や大会社の経営者など、この国でも重要な位置を占める者だけが入れる大病院の個室だ。普通の者ではいくらお金を積もうとも入れない特別の中の特別。そんな所に寝かされていると思うとそれだけで再び友康の胃がキリキリしてきた。
「これなら行きつけの病院に行ってる方が落ち着くな……」
「そう?折角だからこの病院も堪能すればいいじゃない。売店も食事も凄いわよ」
妻は大物だ……。
友康はつくづくそう思ったのだった。
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この大病院に入院して少し経ち、ようやくこの場違いなほど高級な個室にも慣れてきた。病人食と言いながら食事はとても豪華で、友康は病院内にある売店や娯楽施設を自由に使える。売店も普通の小売店のようなものではなく、値札を見たら中小とはいえ会社の会長である友康でも買うのを躊躇うような値段の商品が並んでいる。
もちろん豪華な食事も栄養バランスやその病人それぞれに合ったようにメニューや味付けが考えられている。売店の商品の金額が高いとは言うが、友康はどれも自由にタダで持って帰っていい。近衛靖子から徹底的に指示が出ているので、病院の誰もが友康を超VIPとして接してくれている。それが居心地が良いやら悪いやら、何ともいえない気分だった。
「あなた、お見舞いに来たわよ」
「ああ、緋桐か……」
個室の扉が開いて誰かが入ってきた音が聞こえた。しかしベッドの周りのカーテンが閉められているので友康からは入ってきた人は見えない。緋桐が声をかけてきたのでやってきたのが妻であるとわかっただけだった。
「今日はお見舞いに……」
「こんな場違いに豪華な病室にいると落ち着かないよ」
緋桐が何か言いかけたが友康も同時に口を開いた。緋桐も何か言いかけたのには気付いたが、近衛靖子が来て以来家族がお見舞いに来る以外には何もない。どうせ今日も喫茶店での話などをしにきただけだろう。そう思って友康は言葉を続けた。
「今回の件も九条家のお嬢様がきっかけだったとか……。うちが頼りになりすぎて頼る気持ちもわかるが、あまり頼りにされすぎるのも困りものだな」
「…………」
ちょっとした冗談のつもりでそう言った友康だったが、カーテンの外の人の気配がピタリと止まった。いつもならすぐにベッドまできてカーテンを開けるのにと思いながら、さらに言葉を続けてしまった。
「慣れない入院生活の苦労と、仕事の遅れは困ったものだな」
そこまで言った時、カーテンの前に妻が立った。うっすら影が映っているだけだがそれが妻だということはわかる。その妻がシャーッとカーテンを開けると……。
「この度は多大なご迷惑とご心労をおかけして申し訳ありませんでした……」
カーテンが開いた先には……、ここ数年よく見る機会があるご令嬢の姿があった。そのご令嬢が深々と頭を下げている。
「くっ、九条咲耶様ぁぁぁぁああああ~~~~~っ!?いっ、いや!これは……、違うんです!そう!違っ……、うぐぅっ!痛たたっ!」
ここの所暫く収まっていた胃痛だったが、この日再びその鎌首を擡げ、友康の退院の予定日が若干伸びたのだった。




