第六話 誰にも知られず
午前の授業が終わると、魔物学の教師が教壇を軽く叩いた。
「今日はここまでだ。」
「明日までに角兎についてレポートを書いてこい。」
教室がざわつく。
「またレポートか……。」
「図書室行かなきゃ。」
教師は教室を見渡した。
「生態、習性、危険性、討伐方法。何を書いても構わん。」
「では解散。」
生徒たちは一斉に立ち上がる。
セレスはすでに教科書を閉じ、ノートをまとめ終えていた。
さすが学年首席。
動きに無駄がない。
一方。
アルトは頬杖をつきながら天井を見ていた。
「角兎ねぇ……。」
『昨日まで八体討伐しています。』
精神リンクを通して精霊の声が響く。
(そうだった。)
『解体手順も習得済みです。』
(それ、レポートに書いたら怒られるかな。)
『実体験ですので問題ありません。』
(いや、多分問題ある。)
思わず笑みがこぼれた。
その様子を見たクラスメイトが肩をすくめる。
「また変なこと考えてるぞ。」
「どうせレポートなんて白紙だろ。」
アルトは何も言い返さない。
◇◇◇
翌日。
「では提出。」
教師がレポートをめくっていく。
数人分を確認した後、アルトの紙で手が止まった。
「……アルト。」
「はい。」
「お前、この解体図は自分で描いたのか?」
「描きました。」
教室が静まり返る。
「心臓の位置。」
「魔石生成器官。」
「筋肉の付き方。」
「よくここまで調べたな。」
アルトは少し困ったように笑う。
「本で勉強しました。」
嘘ではない。
本でも勉強した。
ただ、実物も毎日見ているだけだ。
教師は感心したように頷く。
「戦闘はともかく、観察眼は大したものだ。」
「その調子で他教科も頑張れ。」
教室から小さな笑いが起こる。
アルトも苦笑した。
席へ戻る途中、セレスと目が合う。
彼女は少しだけ驚いたような顔をしていた。
その視線に気付いたアルトは肩をすくめる。
セレスは何も言わなかったが、その目には昨日までとは違う色が宿っていた。
◇◇◇
放課後。
アルトはいつものように森へ向かう……前に、街のパン屋へ立ち寄った。
「こんにちは。」
「おう、アルト坊。」
白髪混じりの店主が笑う。
「今日もかい?」
「うん。」
「売れ残りを全部ください。」
「相変わらずだなぁ。」
店主は棚を見回し、布袋へパンを詰めていく。
「少し硬くなってるが、味は変わらん。」
「十分です。」
代金を払い終えると、財布の中はほとんど空になった。
「また貯めるよ。」
「無茶はするなよ。」
店主の言葉に手を振り、アルトは店を後にした。
◇◇◇
エルピス孤児院。
夕暮れ。
アルトは門の陰から中を窺う。
子どもたちは庭で遊んでいる。
院長もセレスもまだ建物の中だ。
「今だ。」
門の脇へ布袋をそっと置く。
その上に、小さな紙を添えた。
孤児院の皆さんへ。
少しですが、お使いください。
名前は書かない。
これで十分だった。
アルトはそのまま足早に門を離れる。
その時。
「セレスお姉ちゃん!」
子どもの声。
アルトは咄嗟に近くの木陰へ身を隠した。
扉が開く。
院長とセレスが外へ出てきた。
「あら。」
院長が布袋を見つける。
「また届けてくださったのですね。」
袋を開く。
子どもたちの歓声が上がる。
「パンだ!」
「今日はいっぱいある!」
「やったー!」
セレスは紙をそっと手に取った。
優しく微笑む。
「また来てくださったんですね。」
「本当に……ありがとうございます。」
その笑顔を見て、アルトはほっと胸を撫で下ろした。
(良かった。)
それだけで十分だった。
『契約者。』
(なに?)
『正体を明かさないのですか?』
アルトは静かに首を横へ振る。
(感謝されたいからやってるわけじゃない。)
(子どもたちがお腹いっぱいなら、それでいい。)
しばらく沈黙が流れる。
やがて精霊が静かに答えた。
『……理解しました。』
その声は、いつもより少しだけ柔らかく聞こえた。
◇◇◇
夜。
倉庫。
『右腕制御回路の修復を開始します。』
「よし。」
アルトは工具箱を開いた。
そこには年季の入った小型旋盤が置かれている。
塗装は剥げ、あちこちに傷があった。
だが、手入れだけは行き届いていた。
アルトは懐かしそうにその機械へ触れる。
「これも、あの人のおかげだったな。」
数年前。
廃騎士を毎日磨いていたアルトを見かねた老整備士が、倉庫の片隅へ運んできたものだ。
『捨てる予定だったガラクタだ。』
『動くかどうかも分からん。』
『お前なら直して使うだろ。』
ぶっきらぼうに言い残して去っていった老人。
アルトは三か月かけて修理し、この旋盤を動かせるようにしたのだった。
『新品の制御部品は存在しません。』
精霊が設計図を表示する。
『製作してください。』
アルトは小さく笑った。
「やっぱりそうなるか。」
旋盤へ金属棒を固定する。
ゆっくり回転が始まる。
削る。
測る。
また削る。
一つ目。
失敗。
二つ目。
僅かに大きい。
三つ目。
慎重に最後の仕上げを行う。
部品をはめ込む。
――カチリ。
吸い込まれるように収まった。
『寸法誤差〇・〇二ミリ。』
『規定値以内です。』
アルトは思わず笑みを浮かべた。
「……作れた。」
『はい。』
『契約者の加工技術を確認しました。』
アルトは完成した小さな部品を掌に乗せる。
それは誰が見ても、ただの金属片だった。
けれど彼にとっては、父の騎士をもう一歩未来へ進める、大切な一歩だった。




