第十五話 立ち上がる日
腰部姿勢制御装置の修復を始めてから、一週間が過ぎた。
アルトの机には、何枚もの設計図が広げられている。
部品の寸法。
歯車の組み合わせ。
重心の変化。
ガンツの言葉を思い出しながら、何度も書き直した跡が残っていた。
「……これで最後。」
最後の歯車を組み込む。
噛み合わせを確認する。
父の整備メモを見返し、指先でゆっくり回してみる。
カチッ。
カチッ。
どこにも引っかかる感触はない。
『姿勢制御装置、組み立て完了。』
精霊が静かに告げた。
「長かったな。」
『修理開始から二十七日目です。』
アルトは苦笑した。
「ちゃんと数えてたのか。」
『記録は重要です。』
◇◇◇
腰部へ姿勢制御装置を戻す。
一本ずつボルトを締める。
配線をつなぎ、魔力回路を固定する。
最後に、アルトは工具を置いた。
「……よし。」
『動作試験を開始します。』
倉庫に、低く澄んだ駆動音が響く。
魔力炉がゆっくりと目を覚ます。
右腕。
右膝。
そして腰部。
修復した部位へ、魔力が順番に流れていく。
『各部、異常なし。』
『姿勢制御装置、起動。』
アルトは操縦席で深く息を吸った。
「頼む。」
◇◇◇
「右腕、接地。」
騎士が右手を床につく。
「右膝、屈曲。」
膝がゆっくり曲がる。
前回と同じ動き。
違うのは、その先だった。
「姿勢制御、起動。」
腰部から、今まで聞いたことのない静かな駆動音が響く。
ギィ……
ギギ……
ほんのわずかな音。
だが、以前のような不安定さはない。
騎士の胴体がゆっくりと持ち上がる。
肩が起きる。
胸が前を向く。
そして――
右脚が床を踏みしめた。
「……!」
アルトは息を止める。
騎士は揺れた。
一度、二度。
だが倒れない。
腰部姿勢制御装置が細かく姿勢を修正し続けている。
『姿勢安定率、四十八%。』
『補正継続。』
数秒後。
揺れが止まった。
十七メートルの騎士が、自らの力で上体を支えている。
アルトは静かに呟いた。
「立った……。」
その声は、震えていた。
◇◇◇
派手な音はない。
歓声もない。
薄暗い倉庫の中で、父の騎士はただ静かに立っている。
それだけだった。
けれど、その姿は十年間止まっていた時間が、ようやく動き出した証だった。
『自立状態を維持しています。』
『経過時間、三十秒。』
一分。
二分。
三分。
倒れない。
アルトは操縦桿から片手を離し、そっと機体の胸部モニターへ手を置いた。
「おかえり。」
自然と、その言葉が口をついて出た。
帰ってきたのは機体なのか。
父との時間なのか。
自分でも分からなかった。
◇◇◇
そのとき、倉庫の外で小さく拍手が聞こえた。
アルトが振り返る。
開きかけた扉の向こうに、ガンツが立っていた。
「……見てたんですか。」
「最後だけな。」
老人は照れくさそうに鼻を鳴らす。
「いい立ち方だ。」
「腰が踏ん張っとる。」
それだけ言うと、踵を返して歩き出す。
「ガンツさん!」
アルトが呼び止める。
老人は振り返らない。
「まだ半人前だ。」
「歩けるようになってから喜べ。」
ぶっきらぼうなその言葉に、アルトは笑みを浮かべた。
「はい!」
◇◇◇
倉庫に静寂が戻る。
精霊が穏やかな声で告げた。
『契約者。』
「ん?」
『本日は、本機にとって特別な日です。』
「どうして?」
『前契約者が最後に本機を自立させた日から、本日でちょうど十年です。』
アルトは目を見開いた。
「……そうだったのか。」
『記録に残っています。』
アルトはゆっくりと騎士を見上げる。
父が最後に立たせた日。
そして、自分が再び立たせた日。
それが同じ日だった。
偶然か、運命かは分からない。
それでもアルトは、小さく微笑んだ。
「父さん。」
「ここから先は、俺が連れていく。」
静かな倉庫で、父の騎士は何も語らない。
だがその姿は、確かに新たな主人の決意を受け止めているようだった。




