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終末セカイの正シイ終わり方  作者: 敗北猫先生


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第三章5 『優しい風』

 微かな光が細い帯を落としていた。その光がまだ寝ているスレプトの頬を撫でている。

 イドラはその隣で目を覚ましたばかりだった。


「…ほんとは無理して笑ってねぇか」


 小さくつぶやいた声は、相手の耳に届くか届かないかの距離で、そっと宙に舞う。

 昔の思い出話しに盛り上がった昨夜、イドラはそれに乗った。話している間は昔の楽しかったころに戻ったような気がした。

 けれど、スレプトの笑顔も七年の間に変わったような気がした。本当はまだ俺のことを許していないんじゃないか、あの時イドラがとった選択を。そう思って、何度も言い出しかけては、やめた。


「…その言葉、そのままそっくりお前に返すぜ、イドラ」


 寝ていたはずのスレプトが、突然口を開いた。聞かれているとは思わず、イドラは口をつぐんだ。


「俺の記憶の中のイドラは、焼け落ちた孤児院の前で泣いていたよ。…あの時のお前が俺は大好きだった。馬鹿な俺をいつも宥めてくれたよな、冷静で皮肉屋で…でも、悲しい時には泣いちまう、そんなお前のこと」


 静かな小屋の中でスレプトの言葉だけが流れる。


「――」


「変わっちまったよな。でもな、そのあとの冷たいお前でさえも嫌いになることなんてできなかった。壊れているふりをして、実際は誰よりも傷ついてて、逃げてるだけなのが、痛い程分かったから」


 ああ、変わったのはきっと自分の方だった。仮面をかぶって、心を殺して、壊れたふりをすることで自分を守った。その結果誰の痛みにも鈍感になった。


「ステラってやつがいる。まだ小さいガキだけど、俺と旅をしていたんだ」


 スレプトは黙って聞いていた。


「そいつと喧嘩した。というか、俺が怒らせちまったんだ。自分の過ちにも気づかないくらい、鈍くなっていたんだ。人の痛みを踏みつけにした、冗談みたいに無意識で。あいつを傷付けるつもりなんてなかったのに、――最悪だろ、俺」


 それでもまだペテン師のような飄々とした口調を消すことはできない。大事なものほど、壊したくないから、何重にも殻を作って本音から遠ざけてしまう。


「壊れたフリをしているうちに、ほんとに壊れてた。人の死も痛みも、何も感じなくなるなんて思ってなかった。でも、ステラが怒った時、でけぇ目に涙いっぱい貯めててさ。その顔を見て、初めて怖くなったんだよ。…もう、戻れねぇかもって」


 イドラは目を伏せた。無意識的に手のひらで顔を覆う。それに被せるようにスレプトはそっと言葉を紡いだ。


「きっとその、ステラって少年は俺と似ているんだろうな。俺に似て、すげぇいい奴なんだろうな」


 言いたいことがよくわからず、イドラは少し顔を上げる。


「ステラはお前のことを信じたかったから、怒ったんだよ。イドラは他人の痛みを踏みにじるような奴じゃないって。分かるよ、その気持ち。痛い程に」


 スレプトの声は穏やかで、でも心が痛むほどまっすぐだった。


「仮面をかぶったままじゃ、誰のことも受け入れられない。仮面を脱げ、イドラ」


イドラの被った仮面の奥で、何かが軋む音がする。それが人間らしさなのだとしたら、イドラは長い間をそれを忘れていた。


***


 薄い雲に覆われた空の下、風が吹き抜ける無人駅。朽ちた路線図の看板と光らない電光掲示板、錆びたベンチが寂し気に残されている。ステラはそこに一人、ぽつりと座ってくるはずのない電車を思い浮かべていた。

 線路の先に目を凝らすと、街の影が霞んで見える。その先にあるのは時計塔の町だった。年に一度しか鳴らない大時計が佇む場所だ。今年もその音を聞けるのだろうか。今は、何も聞こえない、静かな時だった。


 ステラは肩にかけた鞄の紐を無意識に握る。それは怒りをごまかすためでも、苛立ちを抑えるためでもない。ただ、寂しさを塞ぐためだ。


「…これからどこへ行こうか」


 呟いた声が風に流されたその時、かすかに遠くで足音が聞こえた。

 バランスの悪い靴音、まるで両足に違う靴でも嵌めているかのような妙なリズムだ。そこにいるのが誰なのか、振り返らなくてもわかった。


「…ここにいたのか、ステラ」


 背後からかけられた声にステラは肩を揺らしてゆっくりと振り返る。息を切らしながら、イドラが立っていた。その顔は妙に素直で、取り繕った様子もない。


「よく場所が分かったね」


 そういうとまたステラは線路の方へ顔を向ける。


「…思ったよりも見つけやすかったよ。線路の上をただ歩き続けるなんて逃走に適してないぜ」


 ステラは顔を背けたままだ。


「僕がどこに行こうが僕の勝手でしょ」


「そうだよな。それでも、会いに来たんだ。郵便局で、俺は酷いことを言った。お前の気持ちや、手紙を書いた人の気持ちを無視して、踏みにじった。全部、俺が壊れていたせいで」


 灰色の風が吹く中、緑色の外套を靡かせてただひたすらに、自分の本心と向き合い、それを言葉にして紡ぎだしていく。


「今だってお前は壊れてるだろ」


「でも、今はステラの怒りを、痛みを――理解したいって思ったんだ」

その声音に演技の気配はしなかった。いつもの軽薄さも、皮肉の色もない。


「ステラ、俺…スレプトに言われたんだ。“壊れたフリを続けたら、誰もお前のことを受け入れられない”って。だから、仮面はもういらない、捨てるよ」


「…そうか」


「ステラ、ごめんな。仲直り…できるかな」


 そういうとステラは肩にかけた鞄の紐をぎゅっと握りしめた。


「…勝手に来て、勝手に殻を破って、勝手に謝って。お前のそういうところ、嫌いだ」


「――」


「でも、ほんの少しだけ懐かしいとも思うよ」


そういうと、ステラは振り返ってイドラの瞳を見つめた。


「それとも、もうガイドは必要ないって?」


「…いいのか、一緒に行っても」


「仮面を捨てた世界の新参者に一人で歩かせるほど、僕は冷たくないからね」


 イドラはほんの少しの間息を止めた。ぽかんとしてステラの顔を見つめた後、やがて嬉しそうに顔をくしゃっとさせて笑った。それはなんの計算も打算もない、純粋なイドラの笑顔だった。


「行くぞ、次の目的地はここの線路をまっすぐ進んだところにあるでかい時計塔のある街だ」


「分かった、…一緒に行こう」


 二人はホームから降りると、線路沿いに歩き始める。迎えは来ないはずの、廃れた駅のホームで二人は再会した。大人びた少年と、痛みを知った青年が。


***


 小屋の中は静かだった。風が割れた窓の隙間から入り込み、カーテンを揺らす。ベッドにはやせ細った青年が一人、横たわっていた。

 スレプト。彼は目を閉じていたが、眠っているわけではなかった。呼吸は浅く、まるで風の音と同化してしまうほどに静かだった。

 イドラはもういない。二人の間に特別な別れなど必要なかった。本来だったら存在することのなかった邂逅。その不思議な運命には、普段神様を信じないスレプトでさえも何かの思惑が働いていたのではないかと疑ってしまうようだった。


「…あいつ、ちゃんと会えたかな」


 誰に聞かせるでもなく、独りごとのようにつぶやく。もちろん答えは返ってこない。

 まるで遠くの夢をなぞるように、スレプトはゆっくりと目を閉じた。

 空が泣いているような気がする。そんな幻聴に静かに耳をすませると、それはまるで自分への鎮魂歌のような 気がした。

 彼は何も恐れてはいなかった。むしろ、それをどこか望んでいた節すらあった。壊れたまま生き永らえるくらいなら、まともな人間になって終わりたい――そう願ったのはいつのことだったか。

 霞む視界の中、スレプトは頭の中で違う光景を見ていた。まだ少年だった頃、イドラと肩を並べて歩いた日々。仲間たちの笑い声。孤児院の裏庭に作った秘密基地。あの橋で見た光景。


「どれも、守ることはできなかったな」

 

 口元に自嘲にもとれるようなわずかな笑みを浮かべる。


「イドラ、俺だってちょっとは考えたんだ。壊れていない人間って何だろうってな」


 今まで病に侵され続けていた体も、やがて痛みが引いてきていた。それは快方の兆しではなく、終わりに近づく気配だった。

 

 「正義とか…希望とか…何かを無条件に信じられること、なのかな。それができるってことが、多分――人間らしいってことなんじゃないかって」

 

 窓の外から光が射しこんでくる。どこまでも青く、静かな空がじっと見つめている。


「だとしたら、俺は今…めちゃくちゃ人間らしいよ。馬鹿だし、病んでるし、死にかけだけど――それでも最期にお前を信じることができた」


 そういうと、目を閉じて満足したようにスレプトは笑う。どこまでも穏やかな笑顔だった。

 そしてそのまま、体を預けるように背もたれによりかかる。

 

 迎えは唐突だった。

 スレプトの身体が優しい光に包まれ、体の輪郭が霧のようにほどけていく。燃えるでもなく、崩れるでもなく、静かに風となり消えていく。


優しい風が再びカーテンを揺らした。小屋には静けさが戻る。そこにはもう、誰もいない。


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