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終末セカイの正シイ終わり方  作者: 敗北猫先生


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第三章4 『誓いの橋』

 その日は、珍しく空が澄んでいた。崩れた屋根の隙間から見える空は薄い青色で、風も暖かだった。久しぶりの快晴に気分も晴れやかになっていたのだろう。いつもは断るスレプトの提案を今回は採用した。


「おーい、早く来いよ!」


 スレプトが橋の欄干によじ登って手を振っている。生き残った子どもたちがそれに倣うように橋へ駆け寄った。子どもたちの笑い声が風に溶けていく。

 赤い塗料で塗装された橋は、村と外界をつなぐ架け橋だった。欄干から谷底を見下ろすと、かなりの高さがあり、かすかに川が流れているのが確認できる。

 ここのところ、あの家にはずっと張り詰めた空気が漂っていたから、今日は無理にでもみんな笑おうとしていたのかもしれない。それでも暖かな時間は確かに心をほぐしてくれた。


「ねぇイドラ、知ってる?ここはね、愛の誓いの橋って呼ばれてたんだって」


 イドラは端の入り口に立ったまま皆を見ていた。そこに、イドラより三歳年下のミイナが声をかけてきた。まだ十歳の少女で、声も背もまだ幼かったが、どこか大人びた印象を与える子供だった。


「好きな人と一緒に願い事をすると、その人たちはずっと一緒にいられるんだって」


「初めて来た村なのになんでそんなこと知ってんだよ。どうせお前の作り話だろ」


 イドラが笑いながらからかうと、ミイナは頬をぷくっと膨らませる。


「いいから、イドラもこっちきてみんなで遊ぼうよ、すごくきれいだよ」


 やや強引にイドラの腕を引っ張って、ミイナは橋の中央まで誘導する。片目にかかる銀髪を風がさらい、ふわりと視界が開けた。瞳に映った景色は息を呑むほどに美しかった。

 この村に入るときに一度通ったはずなのに、この景色を見落としていたことが信じられないくらいだった。

 視界の大部分を蒼天が埋め尽くしている。まるで蒼天へと落ちるような錯覚を抱くほど、その雄大さに心を奪われてしまう。


「何かお願いした?」


 黙り込んだイドラを不思議に思ったのか、ミイナが問いかける。


「ああ、願わずにはいられないな」


「…そっか」


 その曖昧な返事に何を想像したのかはわからなかったが、願いの内容を深く聞いてくることはなかった。


「私も願うことにしたよ」


「何を?」


「…みんなの幸せを」


 直球な答えにイドラはほんの少し目を見開く。こんなにも歯に衣着せぬ言い回しをする子だっただろうか。いつもだったら答えを焦らして人をどぎまぎさせるのが得意な子だったのに。


「お前はいい奴なんだな」


 そう言ってイドラは再び欄干にもたれかかり景色を眺める。この胸の温かさはスレプトの功績だな、と笑いながら。


***


 それから数日後のことだった。


「ミイナ、どこにいるか知らないか?」


 一番初めに気づいたのはスレプトだった。冷えた朝に焚火をつけるのは、大体早起きのスレプトかミイナの役目だった。しかしその日はミイナの姿が見えず、心配になって部屋を回っても見つからなかったそうだ。他の子どもにも思い当たる行方を聞いたが首を振るのみだった。

 手分けして捜索をすることにしたイドラは数日前にみんなで訪れた橋に来た。できればここを探す前に見つけて、何事もなかったようにいつもの日常に戻りたかった。もしかしたら、という淡い希望と、半ば絶望を込めて橋の手前で立ち止まる。

 そこには、彼女がいつも嵌めていたブレスレットが落ちていた。遺言も、何もない。ただ、それだけがここで起こった出来事を雄弁に物語っていた。

 イドラはその場に崩れ落ちる。


「…みんなの中に、お前がいなきゃ…願った意味なんてねぇだろうが」


 声は震えていた。涙は出なかった。代わりに、胸の奥が灼ける様に傷んだ。


 子どもの手で行われた葬儀の真似事は酷い出来だった。ミイナのほかにも、孤児院から脱出る途中で亡くなった子どもたち全員を弔うため、石に全員の名前を削って骨も何も埋められていない地面に無造作に突き立てる。

 そんな猿芝居にイドラは付き合うつもりもなかった。スレプトたちが土を掘っている横で、虚ろな目で残った缶詰の数を数えていた。

 弔う気持ちや、生前の仲間への想いがないわけじゃなかった。しかしそれよりも、今を生きるための食糧の残数の方がイドラには大切に思えただけの話だ。


「お前…今そんなことすんじゃねぇよ」


 その言葉にイドラは何も言い返さなかった。言葉を選ぶことすら面倒だった。


「神様は、バグにしか興味ねぇってことなのかな」


 皮肉のような独り言だった。スレプトはそんなイドラを睥睨する。


「そんな言い方やめろよ」

 

そんな視線を気にも留めず、どこか遠い空を見つめながらイドラはつづけた。


「ねぇ、スレプト。人ってどれだけ壊れていても人間なのかな」


「は?」


「空蝕でまともな人間が死んでいくんだったら、壊れた人は人間じゃないのかな」


 スレプトは口を開きかけて、言葉に詰まる。その間にもさらに言葉を続ける。


「じゃあ生きていくには壊れていなくちゃいけないってこと?ミイナの死に何も感じなくなったら、俺は見逃されるのかな」


「バカ言ってんじゃねぇよイドラ。流した涙までも偽物っていうつもりかよ」


「ごめん、冗談だよ」

 乾いた笑いが静寂に響いた。その冗談を額面通り受け取ることはもうできなかった。イドラは変わった。視線は遠く、交わらず。笑いは軽く、質量がない。


「…俺は壊れてまで生きていたくなんかねぇ」


 スレプトの声には、疲れと怒りと、ほんの少しの悲しみが滲んでいた。それはイドラに向けられた警告のような意味もあっただろう。


「じゃあ、お前はまとものまま死ねばいいさ」

 イドラは一瞬だけ、ひどく冷たい表情をした。何もかもが抜け落ちたような恐ろしい顔だった。しかし、すぐに笑いを取り戻す。軽薄そうで、どこか芝居がかった笑顔で。スレプトは直感した。この顔を張り付けて生きていくことを、目の前の男は決めたのだと。


 その日から二人は言葉を交わす回数がめっきり減った。視線も重ならなくなり、いままで執拗に絡み合っていた運命の糸は、解けるのは突然だった。

 その日の薪は燃え尽きず、灰がまだ地面に残っていた。


「…じゃあな」


 先に口を開いたのはスレプトだ。掠れた声だった。

 ここ数日、イドラが荷造りをしていることは知っていたし、それを止めなかったのはスレプト自身の選択だった。


「…ああ」


 イドラもまた、努めて短く返した。

 彼の背中が闇に溶けかけたとき、イドラはふと耳に流れてくる旋律に気が付いた。


――ポロン、ポロロ…ポロロン


 調子の外れた旋律が夜明け前の闇に溶けだしていく。それはスレプトが孤児院で大切にしていたオルゴールだった。いつか、大人達から与えられたものの中で、唯一彼が選び、守り抜いた宝物。

 壊されたときは本気で起こり、大喧嘩もした。イドラが機転を利かせてその場を収めた、孤児院時代の――象徴だった。

 その音が幻聴だったのかは、今ではもうわからない。ただその音は、独りで旅立っていくイドラに寄り添い、やがて止まった。彼の残してくれた声は、あの夜に止まったのだ。

 その別れは旧友との別れだけではない。イドラの大切にしてきた人間性との別れでもあったのだ。


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