スピンオフ3:隣の恋は、少し眩しい (番外編キース×ミア牧場編の後)
これは、実家を再訪したあと。
リナとカイが、ミアとキースのいる牧場を訪れた日の話。
誰かの幸せを見て、自分たちの距離にも少しだけ気づく、穏やかな後日談。
番外編
―隣の恋は、少し眩しい―
牧場に着いた瞬間、リナは思わず足を止めた。
広い。
目の前に広がる草地。
遠くに見える柵。
風に揺れる木々。
そして、ゆっくりと歩く馬たち。
王都の整えられた道とも、リナの実家の森とも、港町の騒がしさとも違う。
ここには、生活の匂いがあった。
土の匂い。
草の匂い。
動物の温かい気配。
「……いいところだね」
リナが呟く。
隣にいたカイは、少しだけ周囲を見回した。
「広いな」
「感想それ?」
「他に何がある」
「もっとこう、のどかだな、とか」
「のどかだな」
「言わされた感がすごい」
リナが笑うと、カイは少しだけ肩をすくめた。
そのとき、厩舎の方から声が聞こえた。
「リナ!」
振り向く前に、明るい声で分かった。
ミアだった。
やわらかいボブヘアを揺らしながら、ぱたぱたとこちらへ駆けてくる。
以前より少し日焼けしたように見える。
けれど、その表情は変わらず明るい。
「来てくれたのね!」
「うん。ミアに会いたかったし」
リナが笑う。
ミアは嬉しそうにリナの手を取った。
「遠かったでしょ?」
「少しね。でも景色が綺麗だった」
「でしょ? 私も最初に来たとき、びっくりしたの」
二人が話していると、少し遅れてキースが厩舎から出てきた。
「来たか」
相変わらず、短い。
でも、その目はちゃんと嬉しそうだった。
「久しぶり、キース」
「ああ」
キースは軽く頷き、カイを見る。
「お前も」
「……どうも」
カイも短く返す。
二人の間に、一瞬だけ妙な沈黙が落ちた。
リナはそれを見て小さく首を傾げる。
「何その空気」
「別に」
カイが言う。
「男同士って、だいたいこうなの?」
ミアが苦笑する。
「キースも大体こんな感じ」
「そうなんだ」
「いや、俺は普通だろ」
キースが言うと、カイが即座に返した。
「普通って言うやつほど普通じゃない」
「お前が言うな」
二人が淡々と言い合う。
リナとミアは顔を見合わせて、同時に笑った。
「リナさん!」
今度は家の方から声がした。
ランだった。
以前ミアに対抗心を燃やしていたとは思えないほど、にこにことした顔で走ってくる。
その後ろから、レンも静かに歩いてきた。
「来たんですね!」
「こんにちは、ラン。レンも」
「こんにちは」
レンは丁寧に頭を下げる。
その目は、すぐにカイへ向いた。
「あなたがカイさんですか」
「……ああ」
「話は聞いています」
「誰から」
「兄さんと、ミアさんと、ランからです」
「多いな」
カイが少しだけ眉を寄せる。
レンは真面目な顔のまま続けた。
「炎と浄化を使うと聞きました。あと、剣もかなり強いと」
「……誰がそんな話を」
「ミアさんです」
カイの視線がミアへ向く。
ミアはにこっと笑った。
「だって本当のことでしょ?」
「広めるな」
「いいじゃない、褒めてるんだから」
「そういう問題じゃない」
そのやり取りに、ランが目を輝かせる。
「え、じゃあ強いの? キース兄より?」
「ラン」
キースの声が低くなる。
「何?」
「比べるな」
「気になるじゃん」
「気にするな」
カイは少しだけ遠い目をした。
「……またこの流れか」
リナが横で笑いを堪える。
「実家でも似たようなことあったもんね」
「笑うな」
「笑ってない」
「顔に出てる」
そこへ、家の中からシーラが出てきた。
「まあまあ、いらっしゃい!」
一瞬で空気が明るくなる。
シーラは両手を広げる勢いで、リナとカイを迎えた。
「ミアちゃんのお友達ね。来てくれて嬉しいわ」
「はじめまして、リナ・アルセイドです」
「カイです」
「堅いわねえ」
シーラが笑う。
「ここではそんなにかしこまらなくていいのよ。たくさん食べて、たくさん休んでいきなさい」
その距離の近さに、カイがわずかに後ろへ下がる。
リナはそれを見逃さなかった。
「カイ、逃げた?」
「逃げてない」
「下がったよね」
「距離を調整しただけだ」
「言い方」
シーラは楽しそうに笑いながら、二人を中へ招いた。
家の中は賑やかだった。
テーブルには焼きたてのパン。
野菜のスープ。
果物。
香ばしい肉料理。
人数が多いせいか、空気も音も多い。
ミアはもうすっかり慣れた様子で、シーラの手伝いをしている。
皿を並べ、ランに注意し、レンに布巾を渡す。
その動きがあまりに自然で、リナは少し驚いた。
「ミア、すっかり馴染んでるね」
「そう?」
ミアが少し照れたように笑う。
「最初は大変だったのよ。ランに閉じ込められたりしたし」
「え?」
リナが目を丸くする。
ランが慌てて声を上げた。
「そ、それはもう謝ったもん!」
「何をしたんだ」
カイが静かに聞く。
「言わないで!」
ランが真っ赤になる。
キースが低くため息をついた。
「風呂場に閉じ込めた」
「キース兄!」
「事実だろ」
「うわあ……」
リナが思わず呟く。
「でも今は仲良しだもんね?」
ミアが笑ってランを見る。
ランは少しだけそっぽを向いた。
「……まあ、ちょっとだけね」
「ちょっと?」
「かなり」
レンが淡々と訂正する。
「レン!」
賑やかな声が食卓に広がる。
カイは少しだけ目を細めて、その様子を見ていた。
人の多い食卓。
誰かが話して、誰かが笑って、誰かが呆れる。
その空気に、少し前なら居場所のなさを感じていたかもしれない。
けれど今は違う。
リナが隣にいる。
それだけで、どこにいても立っていられる。
「カイ」
リナが小さく呼ぶ。
「ん」
「スープ、いる?」
「ああ」
リナが器を差し出す。
カイは自然に受け取った。
その様子を見て、ミアが少しだけ目を細める。
「……リナたちも、だいぶ自然ね」
「え?」
リナが振り向く。
「今の」
「今の?」
「何でもないみたいに、渡して受け取ってた」
ミアがにこにこしている。
リナは一瞬考えて、ようやく意味に気づいた。
「そ、そういうのじゃなくて」
「そういうのって?」
ミアがさらに笑う。
カイは何も言わず、スープを飲んだ。
ただ、耳が少しだけ赤い。
キースがそれを見て、ぼそりと言う。
「お前も大変だな」
「お前もな」
カイが返す。
二人は一瞬だけ目を合わせ、それから同時に視線を逸らした。
午後。
一行は牧場を案内してもらうことになった。
先頭はキース。
その隣にミア。
ミアは歩きながら、時々キースの袖を軽く引く。
「あれ、この前の子馬?」
「ああ。だいぶ足がしっかりしてきた」
「かわいい」
「近づきすぎるなよ」
「分かってる」
そう言いながら、ミアは少し前へ出る。
キースは当然のように、その背に手を添えた。
落ちないように。
驚かせないように。
ただ、それだけの動き。
けれど、あまりにも自然だった。
リナは思わず足を止めかける。
「……なんか、すごいね」
小声で言う。
カイが横を見る。
「何が」
「距離」
「近いな」
「カイも見てたんだ」
「見るだろ、あれは」
「そうだよね」
二人は少しの間、前を歩くミアとキースを見る。
ミアが草の上で少しつまずく。
キースがすぐに支える。
ミアが笑う。
キースが何か短く言う。
ミアがその腕を軽く叩く。
何気ない。
でも、甘い。
リナは少しだけ頬を赤くした。
「……ああいうの、キースってするんだね」
「意外だな」
カイが言う。
「カイはしないよね」
「何を」
「さりげなく支えたり」
「必要ならする」
「必要って?」
「転びそうなら」
「転ばなかったら?」
「しない」
「……そう」
リナは少しだけむくれる。
カイはその顔を見て、眉を寄せた。
「何だ」
「別に」
「別にって顔じゃない」
「カイに言われたくない」
カイは黙った。
少し離れたところで、ミアがこちらを振り返る。
「リナ、こっち! 子馬、近くで見られるって!」
「うん!」
リナは返事をして、歩き出そうとした。
その瞬間、足元の小石に少しだけ躓く。
「わっ」
腕を掴まれた。
カイだった。
引き寄せる力は強い。
でも、痛くない。
「……転びそうだったな」
低く言う。
リナは一瞬だけ目を瞬かせた。
「……今の、必要だった?」
「必要だった」
「ほんと?」
「本当だ」
リナは少しだけ笑った。
「じゃあ、ありがとう」
カイは視線を逸らす。
「気をつけろ」
「うん」
でも、掴まれた腕はすぐには離れなかった。
リナも、あえて何も言わない。
そのまま、二人は少し遅れて皆に追いついた。
夕方。
牧場は、柔らかい光に包まれていた。
空が橙に染まり、草の上に長い影が伸びる。
馬たちの鳴き声も、昼間より少し穏やかに聞こえる。
ランとレンは家の方へ戻り、シーラは夕食の支度。
アレンは厩舎の奥で何かを見ている。
自然と、四人だけが牧場の外れに残った。
ミアとキースは少し離れた場所で、柵にもたれて話している。
キースがミアの髪に絡んだ小さな草を取った。
ミアが驚いて見上げる。
キースが何か言う。
ミアが笑う。
その空気が、あまりにも穏やかで。
リナはぼんやりと見てしまった。
「……幸せそう」
「そうだな」
カイが隣で答える。
「いいね」
「ああ」
「私たちも、そう見えるのかな」
何気なく言った言葉だった。
けれど、言ってからリナは少しだけ慌てた。
「今のは、その、別に深い意味じゃ――」
「見えたら困るのか」
カイが言う。
リナは言葉を止めた。
横を見る。
カイは前を向いたまま。
けれど、その耳が少しだけ赤い。
「……困らない」
リナは小さく答える。
「そうか」
「カイは?」
「困らない」
短い返事。
でも、それで十分だった。
夕方の風が、二人の間を通り抜ける。
少しの沈黙。
そのとき、カイがふとリナの方へ手を伸ばした。
リナの髪に触れる。
指先が、耳のそばをかすめた。
「……草、ついてる」
低い声。
リナは動きを止める。
「本当?」
「ああ」
カイの指が、髪を少しだけ梳く。
けれど、何も取れない。
リナは目を細めた。
「……ついてないでしょ」
カイの手が止まる。
「ついてた」
「今、何も取ってない」
「落ちた」
「嘘つき」
リナが小さく言う。
カイはしばらく黙っていた。
それから、ほんの少しだけ口元を緩める。
「今さらだろ」
その声が、思ったより近かった。
リナが返事をする前に、カイが少しだけ身をかがめる。
唇が、軽く触れた。
短く。
本当に短く。
風が一度通り抜けるくらいの時間。
離れたとき、リナは完全に固まっていた。
「……」
カイは視線を逸らす。
「何だよ」
「……今」
「草が」
「もうその言い訳は無理」
リナの顔が、一気に赤くなる。
カイも、珍しく言葉に詰まった。
「……嫌だったか」
小さく聞く。
リナは少しだけ目を伏せる。
それから、繋いでいない方の手で、カイの袖を掴んだ。
「嫌じゃない」
声は小さい。
でも、ちゃんと届いた。
カイは一瞬だけ目を細める。
そして、何も言わずにリナの手を握った。
少し離れた場所で。
ミアが、ばっちり見ていた。
「……見ちゃった」
にこにこと呟く。
キースがすぐにミアの目を片手で覆う。
「見るな」
「もう見た」
「見るな」
「キースだって、さっき髪触ってたでしょ」
「あれは草がついてた」
「本当に?」
「本当に」
ミアは目を覆われたまま、くすくす笑う。
「じゃあ、私たちも同じね」
「……うるせえ」
キースの耳が赤くなっている。
その様子に気づいたリナが、さらに顔を赤くした。
「見てた!?」
ミアはキースの手をどかしながら、満面の笑顔で手を振った。
「ちょっとだけ!」
「ちょっとじゃない!」
カイは小さく舌打ちする。
「……帰るか」
「逃げようとしてる?」
リナが聞く。
「戦略的撤退だ」
「それ逃げてるよ」
ミアが笑い、キースがため息をつく。
遠くでランが「何してるのー?」と声を上げ、レンが「見ない方がいいと思う」と真面目に止めている。
牧場に、夕方の笑い声が広がった。
リナは赤い顔のまま、カイの手を握り直す。
カイも、今度は離さない。
隣の恋は、少し眩しい。
でも、その眩しさに照らされて、自分たちの距離も少しだけ見えた気がした。
風が吹く。
草が揺れる。
遠くでも、近くでも。
ちゃんと繋がっているものがある。
リナは隣を見る。
カイも、少しだけこちらを見た。
言葉はない。
それでも、二人の間にはもう、十分すぎる答えがあった。
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