スピンオフ④:実家 ―再訪―
これは、卒業後に再会したリナとカイが、一年ペアを組んだあとの話。
長い旅と戦いを越えた二人が、リナの実家を訪れる。
失った過去ではなく、これから帰る場所を見つけるための、穏やかな後日談。
朝の森は、昔よりも静かに感じた。
それはきっと、二人のせいだ。
リナは歩きながら、軽く伸びをする。
高い枝の隙間から、朝の光が細く落ちていた。
湿った土の匂い。
葉が風に揺れる音。
遠くで鳴く鳥の声。
何も変わっていない。
昔からずっとそこにあった景色が、同じ顔で二人を迎えている。
「……空気、変わらないね」
「変わってたら困るだろ」
カイは淡々と返す。
でも、その視線はずっとリナの方を向いていた。
ほんの少しだけ、距離が近い。
肩が触れそうで触れないくらい。
歩幅も、いつの間にか自然に揃っている。
一年前なら、たぶんこうは歩かなかった。
隣にいることを意識しすぎて、少し離れたり、逆に変に黙ったりしていたかもしれない。
けれど今は、何も言わなくても隣にいる。
それが、当たり前になっていた。
「ねえ」
リナが小さく声を落とす。
「今日、ちょっと緊張してる?」
「してない」
「嘘」
「してないって言ってるだろ」
言いながら、カイは視線を逸らした。
その横顔が、少しだけ硬い。
リナはくすっと笑う。
「ほら、してる」
「してない」
「じゃあ、なんでさっきから同じ木を三回も見てるの?」
「……確認だ」
「何の?」
「道」
「ここ、私の実家の森なんだけど」
「分かってる」
「意味分からない」
リナが笑うと、カイは少しだけ眉を寄せた。
それでも怒ってはいない。
むしろ、どう返せばいいか分からない顔だった。
「……あの家だぞ」
ぽつりと、カイが続ける。
「実家ってやつ」
「それが?」
「別に」
言葉を切る。
けれど、リナには分かっていた。
あの人がいる。
それだけで、十分だった。
リナの父。
強くて、不器用で、言葉が少なくて、目が怖い。
そして、リナのことになると妙に鋭い。
カイが緊張する理由としては、たしかに十分すぎる。
リナはその沈黙を見抜いて、少しだけ笑った。
「カイでもそういうのあるんだ」
「俺をなんだと思ってるんだ」
「無敵?」
「違う」
「じゃあ?」
カイは少しだけ間を置く。
「……普通」
その言葉に、リナは少し驚いたように目を瞬かせた。
「ふつう?」
「そういう顔すんな」
「意外だっただけ」
「失礼だな」
「だって、カイって昔から何でも平気そうな顔してたから」
「平気な顔をしてただけだ」
カイは小さく言う。
リナはその言葉を聞いて、歩幅を少し緩めた。
自然に、カイの手を軽く握る。
指先が触れて、少しだけ絡む。
「大丈夫だよ」
小さく。
それだけ。
カイは一瞬だけ止まった。
でも、振り払わない。
むしろ、少し遅れて指に力が返ってきた。
「……知ってる」
それだけ返す。
声が少しだけ柔らかかった。
家は、変わっていなかった。
木の匂い。
土の香り。
軒先に吊るされた乾いた草束。
手入れされた庭。
静かすぎる空気。
リナは少しだけ立ち止まり、懐かしそうに目を細めた。
「ただいま〜」
扉を開ける。
中から、優しい声が返ってきた。
「おかえりなさい」
母だった。
変わらない。
そのまま時間が止まっていたような声。
リナの表情が、一瞬だけ緩む。
「……元気そう」
「ええ」
母はリナの頬に手を添えた。
指先が少しだけ冷たい。
でも、優しい。
「ちゃんと強くなったわね」
「まだまだだけど」
「そういうところは昔のまま」
母はふっと笑う。
それから、視線がカイへ向いた。
「久しぶりね」
「……どうも」
カイは軽く頭を下げる。
礼儀はある。
でも距離は測っている。
その瞬間だった。
「遅い」
低い声。
父が奥から出てくる。
空気が一段階変わる。
リナが思わず背筋を伸ばした。
カイも、ほんのわずかに姿勢を正す。
「……相変わらずだな」
カイは小さく息を吐く。
リナが父を見る。
「顔、怖いんだけど」
「事実を見ているだけだ」
「何の事実?」
「帰ってきた娘と、その隣にいる男だ」
「言い方」
リナが少し顔を赤くする。
母は口元に手を当てて、楽しそうに笑っていた。
カイは何か言おうとして、結局黙った。
下手に返せば余計なことになると判断したらしい。
父はカイを上から下まで見る。
「少しはましになったな」
「……それ、褒めてるのか?」
「評価だ」
「この家、評価しかしないのかよ」
カイがぼそっと言うと、リナは思わず笑った。
その笑い声に、家の空気が少しだけ柔らかくなる。
朝。
まだ空気が冷たい時間。
リナは外で水を汲んでいた。
井戸の縁に手をかけると、冷たさが指先に染みる。
「……いつもこうなのか?」
背後から声がした。
父だった。
「なにが?」
「帰省しても、すぐ外に出る」
「落ち着かないのよ」
リナは肩をすくめる。
「昔と変わらないな」
「それ褒めてる?」
「さてな」
短い沈黙。
そして。
「少し、見せろ」
「え?」
返事を待たずに、父は歩き出す。
「カイを」
リナは一瞬だけ目を丸くした。
「……やっぱりそうなるんだ」
父は振り返らない。
「確認だ」
「だから何の確認なの」
「見れば分かる」
「それ一番困るやつ」
そう言いながらも、リナは父の後を追った。
森の奥。
昔から使っていた訓練場。
地面は踏み固められ、周囲の木々には古い傷跡がいくつも残っている。
そこにカイがいた。
木に寄りかかって、空を見ている。
父を見ると、少しだけ眉を上げた。
「朝から呼び出しって珍しいな」
「少し確認したいだけだ」
父は剣を抜く。
空気が変わる。
リナは少し離れた場所で、思わず息を呑んだ。
「……そういうやつ?」
カイが聞く。
「そういうやつだ」
父が答える。
カイは小さく笑った。
「分かった」
立ち上がる。
その動きに無駄はない。
ただ“強い”ではなく、“完成されている”動き。
旅を重ね、影と向き合い、レヴァンと対峙し、何度も選んできた時間が、体に染みついている。
カイは少しだけ息を吐く。
「手加減してくれよ?」
「する理由がない」
即答。
「怖えな」
言いながら、カイも剣を構えた。
次の瞬間。
父が踏み込む。
音が遅れて聞こえた。
空間が割れるような圧。
カイは横に滑る。
だが、剣圧が追う。
重い。
カイは手を軽く開いた。
炎。
小さな炎が指先に灯る。
瞬間、爆ぜるように広がった。
炎が“盾”になる。
剣が触れた瞬間、火が弾け、圧を受け流すように散った。
「……ほう」
父の目が細くなる。
今度は横薙ぎ。
風ごと裂く一撃。
カイは一歩下がった。
空気が歪む。
その歪みに、浄化を流し込む。
白い光が薄く走り、乱れた空気が“整う”。
攻撃が一瞬だけ鈍った。
「相変わらず厄介だな」
父が呟く。
「それ褒めてる?」
「評価だ」
「やっぱりか」
数合、剣と剣が固い金属音を立てて軋む。
速さではない。
読み合い。
崩し合い。
カイは炎で距離を作り、浄化で父の圧を整える。
父はそれを力で割り、技で崩し、また踏み込む。
リナは二人を見ていた。
カイの動きは、昔よりずっと柔らかくなった。
ただ斬るだけではない。
相手を見て、場を見て、次の動きを選んでいる。
父の動きは、相変わらず重い。
大地そのものが動いているみたいだった。
そして。
一瞬。
父の視線が、少し離れた場所のリナに向いた。
ほんのわずかな隙。
カイの炎が届く。
剣の軌道を逸らす。
同時に、浄化で“呼吸の間”を奪う。
父の動きが止まる。
だが――次の瞬間。
地面がギシギシと悲鳴をあげた。
父の剣が“地面を持ち上げた”。
土が割れ、衝撃が周囲へ勢いよく広がる。
カイは吹き飛ばされ、木に当たる寸前で炎を使って体勢を止めた。
足元の土が抉れる。
沈黙。
カイは少しだけ肩で息をして、それから笑った。
「……今のは本気だったろ」
「まだ半分だ」
父は静かに返す。
カイは本気で呆れたように笑う。
「怖えよ、この人」
リナは思わず吹き出した。
父は表情を変えない。
「まだ見られるな」
「まだやる気か?」
「当然だ」
「父さん」
リナが少しだけ声を低くする。
「朝ごはん、冷める」
その一言で、父はぴたりと止まった。
カイが小さく笑う。
「効くんだな、それ」
「母さんが怒る」
父は短く言った。
その言葉に、リナもカイも同時に納得した。
夜。
台所には、灯りがひとつだけ。
鍋の音が静かに鳴っている。
湯気がゆっくりと上がる。
その向こうで、母が動いていた。
無駄のない手つき。
でも、どこか柔らかい。
カイは水の入った器を運びながら、少しだけ居心地悪そうに立っていた。
「あなた、昔より静かね」
母が言う。
「そうか?」
「ええ」
母は鍋をかき混ぜる。
「昔はもっと“隠してた”わ」
カイの手が止まる。
「今もだろ」
「いいえ」
一拍。
「今は、“隠しきれてない”」
カイは小さく息を吐いた。
「嫌な母親だな」
「褒め言葉として受け取るわ」
母は少しだけ笑う。
鍋のコトコトという音だけが、部屋に響く。
「リナのこと」
母がぽつりと聞いた。
カイは即答しない。
少しだけ間を置く。
「……一緒にいる」
「それは答えじゃないわ」
「十分だろ」
「いいえ」
母は静かに続けた。
「あなたは昔、“誰かを巻き込まないようにする人”だったわ」
カイの目が細くなる。
「今は違うの?」
「違わない」
一拍。
「ただ、“一緒にいることを選んだ人”がいるだけだ」
母はそれ以上、聞かなかった。
ただ、鍋を火から下ろす。
「いいわね」
小さく。
「それ」
カイは何も言わなかった。
けれど、否定もしなかった。
その夜。
月が細くなって、空から地上へ優しい光を届けていた。
風が静かに通り抜けていく。
家の明かりが、遠くに揺れている。
その中で、リナとカイは並んで座っていた。
少しの沈黙。
でも、それは気まずさではない。
長い時間を一緒に過ごしてきたからこそ生まれる、静かな空白。
リナが、ふと肩を寄せる。
カイは避けない。
むしろ、少しだけその重さを受け入れるように息を吐いた。
どちらともなく、指先が触れる。
そのまま、自然に絡む。
手をつなぐ、というより――そこに落ち着くみたいに。
「ねえ」
リナが言う。
「今日、父さんと戦ってた時」
「見てたのかよ」
「見えるでしょ、普通に」
「……まあな」
少しだけ沈黙。
「どうだった?」
「何が」
リナはまっすぐ見つめる。
「強かった?」
カイは横目でリナを見る。
それから、少しだけ笑った。
「そっちが言う?」
「ちゃんと答えて」
少しだけ間が空く。
「……強いよ」
それは、軽くない言葉だった。
リナの目が少しだけ揺れる。
「じゃあさ」
一拍。
「一緒にいてよかった?」
カイは即答しない。
でも、視線を上げて、まっすぐ前を向いた。
「今さら聞くな」
その一言で十分だった。
リナは小さく笑う。
「じゃあ決まりね」
「何が」
リナは、少しだけ間を置いてから言う。
「選んだの、私がカイを」
カイが一瞬だけ目を細めた。
「知ってる」
静かに、当たり前みたいに返す。
その声に、少しだけ熱が混ざっていた。
リナの呼吸が、ほんの少し止まる。
「最初からな」
その言葉のあと。
森の音だけが戻ってくる。
風が葉を揺らす音。
遠くの虫の声。
家の中から聞こえる、かすかな話し声。
でも、二人の間だけは不思議と静かで。
もう、どちらも離れようとはしなかった。
夜の森。
家の明かりが遠くに揺れている。
リナは、その明かりを見つめた。
帰る場所。
昔は、当たり前にそこにあったもの。
でも、カイにはなかったもの。
失った家は戻らない。
失った人も戻らない。
けれど、今ここにある温かさを、選ぶことはできる。
リナはそっと、繋いだ手に力を込めた。
カイも、少しだけ握り返す。
「……カイ」
「ん」
「おかえり」
カイが、ほんの少しだけ動きを止めた。
夜風が、二人の間を通り抜ける。
長い沈黙。
それから。
「……ただいま」
小さく、低く。
でも、確かに返ってきた。
リナは笑った。
何も言わずに、ただ肩を預ける。
カイも何も言わない。
ただ、その場所にいた。
もう誰も迷っていない。
ただ、隣にいることが“答え”になっていた。
完
これにてスピンオフ含めて完結しました。
ミア×キース番外編は別に投稿していますので、良かったら覗いてみてください。
いつも読んでいただきありがとうございます。
よろしければ、感想いただけたら作者喜びます。
ブックマークマークも良かったらしていってください。




