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忘れたはずの彼が、気になってしまう。 ―琥珀の瞳が、嘘をつく―  作者: HANABI
王都北編

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番外編2:境界に立つもの(レヴァン視点)8.9.10話伏線回収

これは、森で交わされた約束が消えかけた日の裏側。


カイが迷い、リナが忘れ、エマの想いが結晶に残ったあの日。

すべてを観察していたレヴァンが、初めて“切り捨てきれないもの”に触れた記録です。

これは、エマ編の裏側で起きていたこと。


カイとリナが森の奥でエマと出会い、影に飲まれた約束を終わらせるまで。

そのすべてを、遠くから見ていた者の記録。



森は、嘘をつかない。


風の流れ。

音の減り方。

気配の歪み。


すべてが“内側の変化”を、そのまま外に滲ませる。


だからこそ分かる。


「……増えているな」


レヴァンは森の外縁に立ち、静かに目を細めた。


影の濃度が上がっている。

自然発生にしては早い。

偏りもある。


原因は一つではない。


だが――


「……あの男か」


結論には、迷いはなかった。


その男は、かつて研究者だった。


影の発生。

記憶の侵食。

個体の特性。


組織の中でも、比較的深い領域にいた人間。


だが、途中で消えた。


「逃げた人間は、例外なく歪む」


レヴァンは淡々と呟く。


理由は単純だ。


知ってしまったからだ。


影が“外から来るものではない”と。

人の内側――記憶と感情から生まれるものだと。


それを知ったまま、日常に戻れる人間は少ない。


まして、家族を持っていたなら。


守りたいものがある人間ほど、影に近づく。

恐れるほど、縛られる。

縛られるほど、内側に濃いものを溜め込む。


その果てがどうなるかを、レヴァンは知っていた。


最初にカイを送り込んだのは、偶然ではない。


「……近いからな」


距離的にも。


そして“質”としても。


カイは影に引き寄せられる側の個体だった。

観測にも、排除にも適している。


影の核を見抜く。

記憶を切る。

不要なものを断つ。


それは、組織にとって都合のいい力だった。


「……都合がいい」


感情ではなく、評価として。


ただそれだけで配置した。


最初の報告は、静かだった。


農地に定期的に出入り。

敵性反応なし。

対象との接触あり。

異常な変化は見られず。


問題はないように見えた。


だが。


「……長いな」


滞在が長い。


必要以上に関わっている。


レヴァンは、その時点で気づいていた。


「……関係を持ったか」


予測通りだった。


現地を確認したとき、違和感ははっきりと形を持っていた。


畑は整っている。

土はよく耕され、野菜は規則正しく並んでいる。


だが、その周囲だけ空気が重い。


見えない圧が、ゆっくりと溜まっている。


「……内側からだな」


外部要因ではない。


人間側の問題。


そして、その中心にいるのが、あの男だった。


初めて対面したとき。


男は一瞬で悟った。


「……あんたは、そっち側か」


穏やかな顔の奥に、明確な警戒があった。


レヴァンは答えない。


ただ、観察する。


視線。

呼吸。

言葉の選び方。

手の位置。

逃げ道の確認。


「……研究者上がりにしては、まだ保っているな」


小さく言う。


男はわずかに顔を歪めた。


「……やっぱりな」


確信に変わった顔。


「カイは、何者だ」


核心を突く。


レヴァンは少しだけ間を置いた。


「回収対象だ」


簡潔に答える。


嘘ではない。

だが、すべてでもない。


男の視線が、少し離れたところにいるカイに向く。


その目に浮かんだのは――理解と、恐怖だった。


「……なるほど」


男は静かに息を吐いた。


「普通の子供じゃないな」


言葉は穏やかだが、距離が変わった。


その瞬間から、関係性は“終わり”に向かい始めていた。


時間が経つにつれて、森の圧は増していった。


原因は明確だった。


男の“内側”。


恐怖。

後悔。

怒り。

そして――喪失。


妻を失った痛み。

逃げ続ける疲労。

娘を守りたいという執着。

組織への憎しみ。


それらが混ざり、沈み、少しずつ形を持ち始めている。


「……抑えきれていない」


レヴァンは遠くからそれを見ていた。


干渉はしない。


観察を優先する。


それが組織の方針だった。

そして、レヴァン自身の選択でもあった。


影が発生するなら、発生した後に処理する。

異常が進むなら、その過程を記録する。


冷たい判断だ。


だが、そうすることでしか見えないものがある。


そう考えていた。


転機は、リナが関わった時だった。


「……余計な因子が入ったな」


少女。


明るい。

感情の揺れが大きい。

他人の想いに引っ張られやすい。


影を刺激する要素としては十分すぎる。


だが同時に――


「……繋ぎ止める側でもあるか」


レヴァンは、わずかに評価を変えた。


リナ・アルセイド。


カイと接触した少女。

一度は記憶を切られたはずの相手。

にもかかわらず、完全には途切れていない。


琥珀に反応する。

感情の残滓に触れる。

影を敵ではなく、“誰かの人生”として感じ取る。


危険だ。


だが、興味深い。


そして、崩壊は起きた。


予想通り。


いや、少しだけ早い。


森に入ったとき、すでに終盤だった。


空気は歪みきり、音が死んでいる。


「……限界だな」


急ぐ必要はない。


結果はほぼ決まっている。


現場。


影はすでに展開していた。


完全体ではない。

だが、核は安定している。


中心にあるのは――


「……“守りたい”か」


珍しい構造だった。


攻撃性よりも執着が強い。

だからこそ、長く持った。


娘を守りたい。

妻の死を無駄にしたくない。

逃げた意味を失いたくない。

もう誰も奪われたくない。


そういう想いが、影を形作っている。


守りたいという願いが、喰うものへ変わる。


それは、珍しくはない。

だが、何度見ても効率が悪い。


人間は、守るために壊す。

抱えるために歪む。

忘れないために、記憶に喰われる。


カイが動く。


予想より遅い判断。


だが、悪くない。


「……迷っているな」


排除だけなら、もっと早く終わる。


だが、そうしていない。


“見ている”。


関わっている。


影の核だけではなく、その中に残ったものを見ようとしている。


その変化は――


「……影響を受けている」


リナの存在。


ほぼ確定だった。


戦闘は終わった。


核は消えた。


だが。


「……残ったな」


完全ではない。


感情の断片が、場に滞留している。


レヴァンはそれを回収する。


小さな結晶に、淡い光が宿る。


その瞬間。


微かな声がした。


「……いっしょに……」


子供の声。


エマのものだった。


みんなと一緒にいたい。

ひとりになりたくない。

置いていかれたくない。


それだけの願い。


記録。

分類。

保存。


すべて手順通り。


問題は、その直後だった。


カイが言った。


「……やめろ」


珍しい。


初めてに近い拒否。


レヴァンは止まらない。


「却下だ」


それだけで終わらせる。


だが、その一瞬で確信した。


「……変わったな」


回収後、現場を離れる。


だが、もう一つの処理が残っていた。


少女。


リナ。


あのままでは、繋がりが残る。


「……不要だ」


関係はノイズになる。


カイの管理にとっても、影の研究にとっても。

そして何より、カイ自身の安定にとっても。


そう判断した。


判断は早い。


森の中。


再び接触する。


カイと、少女。


想定通りの位置。

想定通りの距離。


「迎えに来た」


余計な言葉は使わない。


カイの表情が変わる。


わずかに。

だが、はっきりと。


拒絶。


戦闘は短時間で終わる。


力量差は明確だった。


だが、カイは粘る。


「……感情が邪魔をしている」


それでも立つ。


その理由は一つ。


少女。


リナ・アルセイド。


カイは彼女の前で、倒れまいとしていた。


結論は変わらない。


回収を優先する。


レヴァンは剣を向ける。

カイの力を封じる。

動きを潰す。


そのたびに、カイは立ち上がろうとした。


合理的ではない。

効率も悪い。

勝率も低い。


それでも、立つ。


レヴァンはそれを見下ろしながら、どこかで別の光景を思い出していた。


炎の中で立っていた男。

カイの父。


守るために、最後まで退かなかった男。


人間は、同じことを繰り返す。


そう思った。


カイが、少女を見る。


その視線に、迷いはない。


そして。


「……ごめん」


その一言。


次の瞬間。


空気が歪む。


記憶の流れが断ち切られる。


干渉。

直接操作。


カイの能力が、リナの記憶に触れた。


「……成功か」


レヴァンは静かに確認する。


少女の表情が変わる。


繋がりが消える。


完全ではないが、十分。


記憶は切れた。

だが、感情の残留までは完全には消えない。


それは能力の限界か。

あるいは、少女の特性か。


記録する価値はある。


回収は完了した。


カイは意識を失う。


レヴァンはその体を担ぎ上げた。


軽い。


まだ子供だ。


森を出る直前。


レヴァンは一度だけ振り返る。


少女が立っている。


何かを失った顔で。


記憶を切られたはずなのに。

何を失ったのかも分からないはずなのに。


それでも、空いた場所だけは残っている。


「……問題ない」


そう判断する。


だが。


胸の奥に、わずかな違和感が残った。


理由は分からない。


ただ――結晶の中の光が、消えていない。


エマの残滓。


いっしょに、と願った声。


それが、まだ淡く灯っている。


「……非効率だな」


小さく呟く。


捨てればいい。

記録だけ残せば十分だ。


だが、それを捨てることはしなかった。


境界に立つ者は、どちらにも属さない。


回収する側でありながら。

残るものを、完全には切り捨てない。


それが矛盾だと、レヴァンは知っている。


知っていてなお、捨てられないものがある。


森の奥で、少女は何かを失ったまま立っていた。

腕の中では、カイが意識を失っている。

小さな結晶の中では、消えかけた約束がまだ光っていた。


レヴァンは歩き出す。


振り返らない。


ただ、その光だけは持ったまま。


森は、嘘をつかない。


だからきっと、この違和感もいつか形になる。


そう思いながら。


レヴァンは、まだ夜の来ない森を抜けていった。

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