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忘れたはずの彼が、気になってしまう。 ―琥珀の瞳が、嘘をつく―  作者: HANABI
王都北編

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番外編3:境界に立つもの(レヴァン過去編)

これは、カイがすべてを失った夜の記録。

レヴァンが、カイの父と対峙した日。

そして彼が“殺した側”であり、“拾った側”になった始まりの話。

境界に立つもの

―レヴァン過去編・完全回収―


これは、カイの家が炎に包まれた日の記憶。


カイの父とレヴァンが対峙し、カイがすべてを失った日。

そして、レヴァンが“殺した側”でありながら、“拾った側”にもなった始まりの記録。



夜だった。


風はない。


だが、空気は張りつめていた。


燃えているのは、家だった。


炎は高く、静かに、そして確実にすべてを呑み込んでいる。

木の梁が軋む音。

ガラスが弾ける音。

熱に焼かれた空気が震える音。


そのすべてが、夜の中でやけに鮮明だった。


その前に――レヴァンは立っていた。


黒い外套は、炎の熱を受けても揺れない。

表情も変わらない。


ただ、燃え続ける家を見ている。


任務は単純だった。


危険研究の抹消。

対象の処分。

関係資料の回収。


感情を挟む余地はない。


そう、何度も思ってきた。

そうすることで、生きてきた。


「……遅かったな」


低い声がした。


炎の向こうから、男が現れる。


カイの父――カインだった。


剣を持っている。

服は焦げ、腕には血が滲んでいる。


だが、その構えに“迷い”はなかった。


レヴァンは男を見る。


かつて、同じ場所で任務をこなした男。

同じ命令を聞き、同じ敵を斬り、同じ報告書に名を並べた男。


友人、と呼べたのかもしれない。


少なくとも、ただの任務対象ではなかった。


「命令だろう」


カインが静かに言う。


レヴァンは答えない。


ただ、一歩踏み出す。


「……お前が来るとは思ってなかった」


カインが、ほんのわずかに笑う。


「いや」


首を振る。


「来るか。お前なら」


炎の音だけが、間を埋める。


レヴァンは家の奥へ視線を向けた。


そこにあるものを、彼は知っている。


琥珀。

研究記録。

そして、レイ。


カインの妻であり、琥珀研究の中心にいた女。


組織は彼女を危険と判断した。

研究も、存在も、消すべきものだと。


レヴァンは、それを遂行する側だった。


「まだ間に合う」


レヴァンが言う。


「それを渡せ」


視線は家の奥。


カインは、動かない。


「断る」


即答だった。


「これは、もう組織に渡していい代物じゃない」


「判断するのはお前じゃない」


「だから、こうしてる」


カインの声は静かだった。

だが、はっきりしている。


「……あいつは、気づいた」


一瞬だけ、レヴァンの目が揺れる。


「あれは“使うもの”じゃない」


「……」


「人の記憶に触れる」


カインは剣を握る手に力を込めた。


「壊すことも、繋ぐこともできる」


「そんなものを、組織に渡したらどうなるか――」


言葉を切る。


言わなくても分かる。


組織は使う。

管理する。

制御できると判断すれば兵器にする。


琥珀が持つ力が、“残る想い”に干渉するものならば。

記憶に触れ、感情に触れ、影そのものに触れるものならば。


その先にあるのは、救いだけではない。


壊すこともできる。

操ることもできる。

影を消すことも、影を生むこともできる。


レヴァンは、それを理解していた。


理解した上で、命令に従っている。


「だから、逃げたのか」


「守るためだ」


カインの目が鋭くなる。


「家族も、あいつの研究も」


一拍。


「そして――まだ何も知らない、あの子もな」


その瞬間。


空気が変わった。


レヴァンの気配が、わずかに沈む。


家の奥。

炎の向こう。


そこには、まだ幼い子どもがいる。


カイ。


黒い髪。

暗い茶の瞳。

まだ何も知らないはずの子ども。


だが、レヴァンはすでに気づいていた。


あの子どもは、普通ではない。


影が反応する。

記憶が揺れる。

本来ならまだ形にならないはずの力が、奥底で眠っている。


「……任務だ」


レヴァンが言った。


それだけだった。


カインが剣を構える。


「そうか」


静かに息を吐く。


「なら――止めるしかないな」


ぶつかる。


音は、一瞬遅れて響いた。


速い。


互いに無駄がない。


剣が交差し、弾き、流れる。

炎の明かりが刃に反射し、夜の中で白く閃く。


カインの剣は、かつてと変わらなかった。


冷静で、正確で、無理がない。

だが、その奥にあるものが違う。


任務のためではない。

生き残るためでもない。


守るための剣。


「変わらねえな」


カインが言う。


「昔から、そうだ」


剣がぶつかる。


「感情を切るのが上手い」


レヴァンは何も返さない。


ただ、踏み込む。


重い一撃。


カインは受ける。

だが、受けきれない。


体がわずかに崩れる。


「……っ」


膝が揺れる。


それでも、倒れない。


「……まだだ」


立つ。


その目にあるのは、怒りではなかった。


覚悟だった。


レヴァンは、その目を見た。


どこかで、こうなることを分かっていた気がした。

カインは退かない。

レイも渡さない。

琥珀も、記録も、子どもも。


全部を守ろうとする。


だからこそ、ここで終わる。


「……あいつを、頼む」


唐突だった。


レヴァンの動きが、止まる。


「……何を」


「お前なら分かる」


カインが笑う。


「完全に壊すことも、見捨てることもできねえ顔してる」


「……」


「中途半端なやつだ」


炎が、強くなる。


家が軋む。


時間がない。


「俺に頼むことか」


レヴァンの声は低い。


「他にいない」


カインは淡々と返した。


「悔しいことにな」


炎の向こうで、何かが崩れる音がした。


カインの目が、一瞬だけ家の奥へ向く。


そこには、レイがいる。

おそらく、もう長くはない。


それでもカインは動かない。

動けば、レヴァンを止められない。


「レイは」


レヴァンが問う。


カインは少しだけ目を伏せた。


「最後まで、手放さなかった」


何を、とは言わなかった。


琥珀か。

研究か。

それとも希望か。


レヴァンには分かった。


全部だ。


カインが剣を握り直す。


「来いよ」


静かな声。


「最後までやろう」


決着は、早かった。


静かで、短い。


そして――確実だった。


剣が交差する。

炎が跳ねる。

息が止まるほどの間。


次の瞬間、カインの体が崩れた。


レヴァンは見下ろす。


何も言わない。


言えない。


カインは仰向けに倒れ、夜空を見た。


炎の赤が、その瞳に映っている。


「……頼む」


かすれた声。


「カイを」


レヴァンは答えなかった。


答えないまま、そこに立っていた。


そのとき。


背後で、気配が動いた。


振り向く。


小さな影。


子ども。


カイだった。


煤けた服。

裸足に近い足。

震える肩。


目が合う。


怯えている。


だが、それだけじゃない。


何かを“理解している”目。


まだ幼いはずなのに。

今ここで何が起きたのかを、全部ではないにしても感じ取っている目。


その瞬間。


空気が歪んだ。


影が、集まる。


カイに向かって。


炎と死と恐怖。

失われた記憶。

強すぎる感情。


それらに引き寄せられるように、黒いものが森の奥から滲み出す。


カイの足元に影が伸びる。


喰おうとしている。


あるいは、呼応している。


「……なるほどな」


レヴァンが、低く呟く。


「そういうことか」


カイは一歩下がる。


そして、逃げる。


影が追う。


一瞬の判断。


レヴァンが動いた。


剣が走る。


影を断つ。


黒いものが裂け、音もなく消える。


静寂。


カイがこちらを見る。


震えている。


でも、目は逸らさない。


レヴァンは、その目を見た。


カインの目ではない。

レイの目でもない。


けれど、どちらかの残響を確かに宿している。


「……名前は」


分かっているはずなのに、聞いた。


「……カイ」


小さな声。


少しの沈黙。


「……そうか」


レヴァンは、ゆっくりと息を吐いた。


燃える家。

倒れた父。

炎の奥に消えた母。

断った影。

そして――生き残った子ども。


任務としてなら、報告は簡単だった。


危険研究は焼失。

対象は処分。

関連個体を回収。

危険個体として管理。


ただ、それだけで終わる。


終わらせることができる。


レヴァンはカイを見下ろした。


小さい。

軽い。

まだ何も選べない子ども。


だが、その中にはすでに、組織が欲しがるものが眠っている。


記憶。

影。

浄化。

そして、切る力。


「……拾うか」


誰に言うでもなく、呟く。


その手を、差し出す。


カイは、一瞬だけ迷った。


炎を背にした男。

父を倒したかもしれない男。

けれど、今しがた影を断った男。


その手を取るべきか、逃げるべきか。

幼いカイに、判断できるはずもない。


それでも。


カイはその手を掴んだ。


小さな手が、レヴァンの指に触れる。


その瞬間。


すべてが、決まった。


あの日から。


レヴァンは一度も、振り返らなかった。


組織には報告した。

危険個体として回収したと。

管理下に置くと。


カイを育てた。

訓練した。

観察した。

実験した。


必要なときは、傷つけた。

必要な情報は、隠した。

余計な感情は、切り捨てた。


そのはずだった。


だが――忘れたこともなかった。


燃える家。

カインの言葉。

レイが最後まで手放さなかった琥珀。

そして、幼いカイが掴んだ手の温度。


「……あれが、“始まり”か」


誰にも聞こえない声。


境界に立ち続ける男は、今もまだ。


殺した側。

拾った側。

消す側。

残す側。


そのどちらにも、完全には立てないまま。


ただ、燃え尽きた夜の記憶を抱えている。


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