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忘れたはずの彼が、気になってしまう。 ―琥珀の瞳が、嘘をつく―  作者: HANABI
王都北編

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第3話:残響の場所 後編 王都北編

これは、レヴァンとの対峙が本当の意味で始まる話。

圧倒的な力の前で、カイはリナの前に立ち、リナは琥珀で残された想いに触れる。

過去を消すのではなく、抱えたまま進むための選択が描かれる。

「来い」


その一言で。


空気が、沈んだ。


次の瞬間――消えたのは、レヴァンだった。


「っ――!」


カイの目が見開かれる。


気配が、消える。


いや。

違う。


“読めない”。


さっきまで確かに目の前にいたはずの男の輪郭が、風に溶けたように消えた。

影ではない。

魔法の気配とも違う。


ただ、存在を掴ませない。


「カイ、後ろ!」


リナの声が飛ぶ。


振り向くより早く――衝撃。


剣がぶつかる。


重い。


今までとは、比べ物にならない。


「ぐっ……!」


カイの足が、地面を削った。


瓦礫が砕ける。

靴底が焼け跡を抉る。


レヴァンの剣は、ただ速いだけではなかった。

正確で、無駄がなく、感情がない。


だからこそ、重い。


「遅い」


淡々とした声。


感情はない。

だが、圧だけがある。


カイは歯を食いしばる。


踏みとどまる。


「……っ!」


炎が、爆ぜた。


無理やり距離を切る。


そのまま横へ転がる。


追撃。


速い。


だが――


「見えてる!」


リナの水が走った。


一直線ではない。

曲がる。

空間を縫うように、瓦礫の間を滑っていく。


レヴァンの足元へ絡みつく。


「……」


一瞬。


その動きが、止まる。


リナはその隙を見逃さない。


ナイフを抜く。

刃に水をまとわせる。

短い刃先が、夕闇の中で淡く光った。


海辺で何度も練習した動き。

ジンに渡されたナイフ。

けれど、そこに通す魔力は、もともとリナが持っていたものだ。


魔法と剣を繋げる感覚。

魔力を刃に乗せる呼吸。


今は、それを迷わず使える。


「カイ!」


「分かってる!」


カイが踏み込む。


炎が収束する。


一点に。

剣に、叩き込む。


真正面からの一撃。


レヴァンが、受ける。


――ぶつかる。


衝撃が、周囲を揺らした。


瓦礫が跳ねる。

風が弾ける。

霧のように舞った砂埃が、赤い夕暮れの光を濁らせる。


押し合い。


拮抗。


その中で。


レヴァンの目が、わずかに動いた。


「……甘い」


その瞬間。


力の流れが、変わる。


弾かれる。


「っ――!」


カイの体が浮く。


そのまま叩き落とされた。


地面に叩きつけられる音。


息が詰まる。


「カイ!」


リナが走る。


だが。


「来るな」


低い声。


レヴァン。


その視線が――リナに向く。


空気が、凍った。


「……次は、お前だ」


一歩。


近づく。


逃げ場がない。


リナは剣を握る。

ナイフを持つ手に力を込める。


けれど、体がすぐには動かなかった。


怖い。


そう思った。


影とは違う。

感情の残滓とも違う。


目の前にいるのは、人間だ。

けれど、ひとつの迷いもなくこちらへ踏み込んでくるその姿は、影よりもずっと冷たかった。


圧に、縫い止められる。


「……まだ、足りない」


淡々とした評価。


レヴァンが剣を振り上げる。


その瞬間――


「やめろ!!」


カイの声が響いた。


掠れている。

それでも、叫ぶ。


「そいつに、触るな……!」


地面に手をつく。


立ち上がる。


体は、限界に近い。

肩で息をしている。

口元に血が滲んでいる。


それでも――カイはリナの前に立った。


「……来るなって、言ったろ」


リナが小さく言う。


声が震えていた。


「お前も言うだろ」


カイは前を向いたまま答える。


「勝手に決めるなって」


その背中は、揺れている。


だが、退かない。


リナは言葉を失った。


守るために、遠ざけるのではなく。

隣に立つために、前へ出る。


今のカイは、リナを置いていこうとしているのではなかった。


一緒に立つために、ぎりぎりのところで踏みとどまっている。


レヴァンは、その姿を見る。


無言で。


そして――剣を、振り下ろした。


「――っ!!」


その瞬間。


光が、弾けた。


リナの胸元。


琥珀が、強く輝く。


金色の光が、廃墟の中へ広がった。


空気が変わる。


重さではない。


“満ちる”感覚。


冷えきっていた場所に、ずっと昔の温度が戻ってくるようだった。


レヴァンの動きが、止まる。


「……これは」


初めて。


わずかに、驚きが混じった。


光が、空間を包む。


暖かい。

優しい。


それなのに――逃げ場がない。


記憶が、流れ込む。


リナへ。

カイへ。

そして、レヴァンの中へ。


かつての光景。


夕暮れの研究施設。

まだ崩れていない石壁。

窓から差し込む光。


柔らかい金色の髪を揺らす女性が、机の上の琥珀を見つめている。


レイ。


そう呼ばれた女性。


「これは、消すためのものじゃない」


彼女の声が響く。


記憶の中の声。

けれど、はっきりと耳に残る。


「残った想いを、閉じ込めるためでもない。受け止めて、還すためのものよ」


その前に立つ若いレヴァンが、無言で彼女を見る。


今よりも少しだけ表情がある。

それでも、その目は冷静だった。


「危険すぎる」


若いレヴァンが言う。


「使う者が飲まれれば、影を増やすだけだ」


「だから研究するの」


レイは静かに答える。


「恐れて消すだけなら、何も変わらない」


場面が揺れる。


笑っていた日々。

仲間。

議論。

約束。


そして――炎。


崩れる研究施設。

黒い煙。

誰かの叫び。

走る足音。


若いレヴァンが、燃える廊下に立っている。


その先に、カイの父らしき男がいた。


剣を構え、傷だらけで、それでも退かない。


「レヴァン」


男が言う。


「お前は正しい」


炎が揺れる。


「だが、このやり方は違う」


若いレヴァンの表情は動かない。


けれど、その奥で何かが揺れていた。


さらに奥で、レイが琥珀を抱えている。


その顔に、恐怖はあった。

けれど、それ以上に強いものがあった。


守ろうとしている。


研究ではなく。

琥珀でもなく。


きっと、誰かを。


小さな足音。

泣きそうな息遣い。


幼いカイ。


「……っ」


レヴァンの眉が、歪む。


初めて。

明確に。


感情が揺れる。


「……レイ……」


零れた名前。


そして、その奥にあるもの。


後悔。

選択。

切り捨てたもの。

救えなかったもの。

救わなかったもの。


全部が――光の中で浮かび上がる。


レヴァンの剣が、わずかに下がった。


「……そうか」


低く、呟く。


光の中で。


「これが……“残る想い”か」


リナの手が震えている。


琥珀の光は強い。

強すぎる。


レヴァンの記憶。

レイの想い。

この場所に焼きついた残響。


それらが一度に流れ込んできて、リナの意識を揺さぶる。


怖い。

苦しい。

胸が痛い。


でも、逸らさない。


「……消すんじゃない」


小さく、でもはっきり。


「受け止めるの」


その言葉が。


静かに、届く。


レヴァンは目を閉じた。


ほんの一瞬。


そして。


剣を、下ろした。


光が、ゆっくりと収まっていく。


静寂。


風が戻る。


壊れた石壁の隙間を抜ける風が、リナの髪を揺らした。


カイが、息を整えながら立っている。


レヴァンを見る。


まっすぐに。


「……終わりか」


レヴァンが言う。


誰にでもなく。


「……ああ」


カイが答える。


短く。


「……全部、終わりじゃない」


一拍。


「でも――ここまでだ」


その声には、怒りがまだ残っていた。


消えるはずがない。

消していいものでもない。


けれど、今ここでレヴァンを斬ることが答えではないと、カイは分かっていた。


それは許すことではない。


忘れることでもない。


ただ、自分がどこに立つかを決めることだった。


レヴァンは、静かに頷く。


視線を、カイに向ける。


「……お前は、選んだな」


「当たり前だ」


迷いはない。


「俺は、あんたみたいにはならない」


その言葉に。


レヴァンは、わずかに目を細める。


「……そうか」


否定はしない。


「だが」


一歩、下がる。


「それでいい」


その声は、もう戦いのものではなかった。


静かで。

どこか、軽い。


レヴァンの視線が、リナへ向く。


「……リナ」


「……はい」


思わず、少しだけ背筋が伸びた。


「その力」


一拍。


「使い方を誤るな」


リナは胸元の琥珀に手を当てる。


まだ熱が残っている。

まるで、さっきの記憶の欠片が石の奥で眠っているようだった。


「……分かってます」


本当に分かっているのかは、自信がない。


でも、軽く頷くことだけはしたくなかった。


レヴァンはそれ以上、何も言わなかった。


そして、背を向ける。


森の奥へ。


「レヴァン!」


リナが呼ぶ。


足が、止まる。


レヴァンは振り返らない。


「……もう会うことはない」


静かに。


それだけ残して。


黒い外套が、森の影へ溶けるように消えていった。


風だけが、残る。


長い沈黙。


「……行ったな」


カイが、小さく言う。


リナは頷いた。


まだ、胸がざわついている。


レヴァンの記憶。

レイの声。

燃える施設。

幼いカイの気配。


全部が、心の奥に残っている。


でも、さっきまでとは違う。


ここに満ちていた重さが、少しだけ薄くなっていた。


「……ねえ」


リナが、隣を見る。


「うん」


カイも見る。


少しだけ、近い距離。


「……終わったのかな」


小さな問い。


カイは、少しだけ考えた。


「……どうだろうな」


正直に言う。


そして。


「でも」


一拍。


「ここからは、自分で決められる」


その言葉に。


リナは、少しだけ笑った。


「……うん」


カイの足元はまだ少し不安定だった。

肩にも、服にも、戦いの跡が残っている。


リナも、琥珀を使った疲労で指先が震えていた。


それでも、二人は立っていた。


過去を知ったからではない。

すべてを許したからでもない。


過去に縛られたまま進むのではなく、過去を持ったまま選ぶ。


そのために、立っている。


「歩けるか」


カイが聞く。


「それ、私が聞く方じゃない?」


リナが返す。


カイは少しだけ視線を逸らした。


「……歩ける」


「私も」


「無理するなよ」


「カイもね」


短いやり取り。


けれど、それだけで少しだけ日常が戻る。


リナは、もう一度だけ崩れた施設を振り返った。


夕暮れはほとんど沈み、森は深い青に染まり始めている。


ここは、カイが始まった場所。

そして、終わった場所。


でも今は、それだけではない。


ここからもう一度、選び直した場所でもある。


風が吹く。


冷たい。

でも、どこか澄んでいる。


過去は消えない。


でも。


それに縛られる必要もない。


二人は、並んで歩き出す。


同じ方向へ。


瓦礫を踏む音が、静かに森へ溶けていく。


残響は、まだ完全には消えていない。


けれどもう、二人を縛る鎖ではなかった。


その音を背に。


二人は、その先へ進んでいく。


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