番外編 第三幕:影の“本当の怖さ”(再会後 山の宿屋カイ&リナ)
第三幕:影の“本当の怖さ”
(再会後 山の宿屋カイ&リナ)
第三幕:影の“本当の怖さ”
部屋。
木の壁に囲まれた、小さな空間。
外では風が山肌を撫で、低く唸っている。
リナはベッドに腰を下ろしたまま、首元に触れていた。
琥珀。
指先に伝わるのは――わずかな、ぬくもり。
(……あったかい)
さっきまで、冷たかったのに。
理由は、分かっている。
少しだけ視線を横に向ける。
窓際。
カイが外を眺めながら立っていた。
「……ねえ」
静かに呼ぶ。
「なんだ」
短い返事。
いつも通り。でも、どこか気を配っている声。
「影ってさ」
言葉を選ぶように、少しだけ間を置く。
「ただの敵じゃ、ないよね」
その瞬間。
カイの視線が、わずかにこちらに向く。
「……どうしてそう思う」
問い返す声は、静かだった。
否定でも肯定でもない。
「戦ってるとき」
リナは琥珀を指でなぞる。
光が、ゆらりと揺れる。
「変な感じがしたの」
「変?」
「うん……」
うまく言葉に出来ない。
でも、確かにあった感覚。
「……“消えそうになる”感じ」
ぽつり、と落とす。
「私じゃない何かに、引っ張られるみたいな」
部屋が静まる。
風の音だけが、遠くに響く。
カイはすぐには答えなかった。
ただ、じっとリナを見ている。
「……それ」
やがて、低く口を開く。
「当たってる」
リナの指が止まる。
「え……?」
カイは少しだけ視線を落とす。
言うか、迷っているように見えた。
でも――隠さなかった。
「影は、“記憶”に触る」
静かに言う。
「触る……?」
「全部じゃない」
一歩、近づく。
「でも、削る」
その言い方に、リナの胸がわずかにざわつく。
「削るって……」
「戦ってる最中に、持っていかれる」
淡々とした声。
「感情とか、記憶の断片とか」
「……そんなの」
思わず言葉が漏れる。
「気づかないよ」
「気づかないようにやられるからな」
即答だった。
リナの手が、無意識に琥珀を握る。
その瞬間。
ふっと――
“何か”がかすめた気がした。
(……今の、なに)
知らない景色。
誰かの声。
すぐに消えた。
「……っ」
息が詰まる。
その変化を、カイは見逃さなかった。
「……来たか」
低く呟く。
「え?」
「それ」
顎で、琥珀を示す。
「反応してる」
リナは慌てて首元を見る。
「これが……?」
「全部じゃない」
カイはゆっくり近づく。
「でも、それは“残ってるもの”に触れる」
「残ってる……?」
「消えきらなかったやつだ」
その言葉に、リナは息を呑む。
「じゃあ……影って」
カイは一瞬だけ、言葉を止めた。
そして。
「……元は、人間だ」
はっきりと告げた。
空気が止まる。
「……」
リナは何も言えなかった。
ただ、琥珀を強く握る。
(だから……あんな感じがしたんだ)
怖さじゃない。
悲しさに近い、あの感覚。
「……全部がそうじゃない」
カイが続ける。
「でも、大半はそうだ」
「……じゃあ」
声が少し震える。
「私たちがやってることって……」
その先を、言えない。
でも。分かってしまう。
カイは、少しだけ目を細めた。
「終わらせてるだけだ」
静かに言う。
「残ってるもんごとな」
優しさも、救いもない言い方。
でも――嘘はない。
沈黙。
長い沈黙。
リナの手が、小さく震える。
それを見て。カイが、もう一歩だけ距離を詰めた。
「だから言った」
低く。
でも、確実に届く声で。
「一人でやるな」
リナは顔を上げる。
その目は、揺れている。
でも、折れてはいない。
「……でも」
「でもじゃない」
少しだけ強く遮る。
カイにしては珍しい、感情の出た声。
「それ、使い方間違えたら」
「お前が消える」
その言葉は、重かった。
ただの危険じゃない。
“存在が消える”という意味で。
リナは一瞬だけ目を見開く。
それから。ふっと、息を吐いた。
「……そっか」
小さく呟く。
そして。
少しだけ、笑う。
「じゃあ、なおさら一人じゃ無理だね」
カイがわずかに目を細める。
「分かってるならいい」
「うん」
頷く。
でも。その目は、前を見ていた。
「でも行くよ」
はっきりと言う。
「ちゃんと見たいから」
琥珀に触れる。
「消えたもの、ちゃんと」
そう言い切ったあと。
ほんの一瞬、空気が止まる。
カイが何か言おうとした、その前に――
「……カイ」
ベッドから立ち上がって、小さく呼んで。
一歩、踏み出して。
そのまま――背中に、抱きついた。
「……っ」
不意打ち。
カイの体が、わずかに止まる。
でも、リナは離れない。
ぎゅっと、逃がさないように腕に力を込める。
「……やっと捕まえた」
くぐもった声。
背中に額を押し付ける。
「……もう、逃がさないから」
強がりみたいで。
でも、全然軽くない。
そのまま、少しだけ震えているのが伝わる。
カイは、しばらく何も言わなかった。
ただ、その重さを受け止める。
(……ほんとに来たな)
小さく息を吐く。
それから――
後ろに回されたリナの手に、自分の手を重ねる。
指を絡めるように、しっかりと掴む。
「……逃げてねえよ」
低く、落ち着いた声。
そしてそのまま。
くるり、と体を回した。
引き寄せるように。自然に、向き合う形になる。
「っ……」
距離が一気に近づく。
リナが少しだけ目を見開く。
逃げ場は、ない。
でも――逃げる気もない。
カイは手を離さないまま、軽く引き寄せる。
「……捕まえられてるのは、どっちだ」
少しだけ意地悪な言い方。
でもその目は、柔らかい。
リナが、ふっと笑う。
「両方でしょ」
迷いのない答え。
カイがわずかに目を細める。
そのまま――
ゆっくりと、屈む。
リナの呼吸が、一瞬止まる。
「……っ」
届く距離。
でも、あと少しだけ足りない。
その差を埋めるように――
リナが、ほんの少し背伸びをする。
(……届く)
その瞬間。
触れた。
軽く。
確かめるように。
一瞬だけのキス。
でも。確実に、“越えた”。
リナの指が、ぎゅっとカイの服を掴む。
離れたあとも、距離はほとんど変わらない。
すぐそこにいる。
リナが少しだけ視線を逸らす。
「……今の、ずるい」
小さく呟く。
カイが一瞬だけ間を置いてから、
「お前が来たんだろ」
「……」
言葉が出ない。
でも、目が合う。
カイが少しだけ息を吐く。
ぼそっと。
「一人でやるな」
さっきと同じ言葉なのに。
意味が、少し違う。
リナが、少しだけ照れながら笑う。
「……うん」
小さく頷く。
でも、その手は離さない。
カイも、離さない。
むしろ――さっきより少しだけ、強く握る。
「……離すなよ」
低く言う。
命令みたいで。でもどこか、頼ってる。
リナが目を細める。
「言われなくても」
指を絡めて、握り返す。
「もう、離さない」
その言葉に。
カイは何も返さない。
ただ――
もう一度だけ、距離を詰めた。
今度は少しだけ長く。
静かに、重ねる。
夜は、何も言わずに包み込む。
風の音だけが、遠くで揺れていた。




