断片:記憶を消された夜
雨の音が、うるさかった。
屋根を叩く音。
地面を打つ音。
全部が混ざって、世界が濁っているみたいだった。
「……カイ」
声。
振り返る。
そこにいたのは、レヴァンだった。
今より少し若い。
それでも、変わらない黒。
「……なんでいるんだよ」
カイの声は荒い。
その手には、まだ震えが残っていた。
周囲には――
影の残骸。
地面が抉れ、空気が歪んでいる。
「……やりすぎだ」
レヴァンが静かに言う。
「は?」
「制御が崩れている」
カイの目が、わずかに揺れる。
「俺は……」
言葉が続かない。
思い出す。あの瞬間。
影に襲われた。怖かった。
怖くて――“消した”。
全部。影も。
ついでに――“周りも”。
「……俺のせいじゃねえ」
絞り出すように言う。
「向こうが来たんだ」
「分かっている」
否定はしない。
でも。レヴァンの目は、冷静だった。
「だから問題だ」
「……は?」
「お前は“呼ぶ”」
静かに、断言する。
「影を引き寄せる」
カイの呼吸が止まる。
「そして」
一歩近づく。
「感情に反応して、暴走する」
核心だった。
「……違う」
「違わない」
即答。
逃がさない。
「恐怖、怒り、執着」
一つずつ、言葉を置く。
「それが引き金になる」
カイの手が、強く握られる。
「……じゃあどうすりゃいいんだよ」
声が、震える。
「何も感じなきゃいいのかよ」
レヴァンは、少しだけ黙る。
ほんの一瞬。迷うように。
でも。
「近い」
そう言った。
カイの目が見開く。
「感情は“不要”だ」
「……っ」
「少なくとも、お前には」
静かで、残酷な答え。
「ふざけんなよ……」
カイの声が低くなる。
「じゃあ俺は何だよ」
レヴァンは答える。
迷わず。
「“装置”だ」
沈黙。
雨の音だけが響く。
「影を消すためのな」
その言葉に。
何かが、切れた。
「……じゃあ」
ゆっくりと顔を上げる。
「なんで助けた」
鋭い目。
「道具なら、壊れたら捨てればいいだろ」
レヴァンは、わずかに目を細める。
「効率が悪い」
即答。
でも。
それだけじゃなかった。
「それに」
一拍。
「お前は“まだ使える”」
カイが笑う。
乾いた笑い。
「……最低だな」
「知っている」
否定しない。
それが、逆に真実だった。
沈黙。
長い沈黙。やがて。
「……もういい」
カイが呟く。
背を向ける。
「どけよ」
「どこへ行く」
「決まってんだろ」
振り返らない。
「逃げるんだよ」
その言葉に。
レヴァンの目が、ほんのわずかに揺れた。
「無意味だ」
「知るか」
歩き出す。
「こんなとこいたら、また誰か巻き込む」
足は止まらない。
「……それだけは、嫌だ」
小さく。でも、はっきりと。
その背中を見て。レヴァンは理解する。
(……これが“原因”か)
力ではない。感情。
それが、この少年の核。
そして――弱点。
「……カイ」
呼び止める。
振り返らない。
だから。次の手を選ぶ。
「すまない」
小さく呟く。
聞こえないくらいの声で。
そして。一歩、踏み込む。
気配が消える。
次の瞬間。
カイの背後にいた。
「――なっ」
振り向く前に。
手が伸びる。額に触れる。
「やめ――」
「終わらせる」
静かな声。
抵抗は、一瞬だった。
意識が沈む。
その中で。最後に浮かんだのは――
笑った顔。名前も、はっきりしない。
でも。
確かに大切だった何か。
(……忘れたく、ねえ)
その願いごと。
レヴァンは、知っていた。
それでも。
「……だから消す」
矛盾した言葉。
「それが、お前を“保つ”」
光が走る。
記憶が、ほどける。切り離される。
痛みはない。
ただ。静かに。確実に。消えていく。
炎も。
声も。
顔も。
全部。空白になる。
崩れ落ちる身体を、受け止める。
軽い。
「……これでいい」
誰に言うでもなく。
ただ確認するように。
「これで、お前は壊れない」
でも。その代わりに失ったものを。
レヴァンは、理解している。
理解した上で。選んだ。
沈黙。
雨は、まだ降っている。その音の中で。
小さく、息を吐く。
「……恨むなら、後でにしろ」
返事はない。
ただ、眠っている。
何も知らない顔で。
その姿を、しばらく見つめて。
やがて。
レヴァンは歩き出す。
カイを抱えて。
雨の中へ。
断片 完




