番外短編:触れる理由(カイ視点・25話裏側)
夜の寮は、静かすぎるくらい静かだった。
風が木を揺らす音だけが、やけに耳に残る。
その中を、迷いなく進む。
(……来る理由、ねえけど)
自分でわかってる。
それでも足は止まらない。
三階、角の部屋。
(……三回目)
一度目は確認。
二度目は――
(……あれは、完全に余計だった)
抱きしめたときの感触が、まだ残っている。
あのときの顔も。
(……ほんと、面倒くせえ)
小さく息を吐いて、ベランダに降りる。
カーテンの隙間から、明かりが漏れていた。
中にいる。それだけで、少しだけ落ち着く。
声は聞こえない。まだ一人だ。
しばらく、そのまま壁に寄りかかる。
何もせずに、ただ時間を潰すみたいに。
(……帰るか)
一瞬だけ思う。
でも、動かない。
そのとき。
「……なんなのよ、あいつ」
中から声がした。
思わず、少しだけ顔を上げる。
リナの声。
昼のことを引きずってるらしい。
(……そりゃそうか)
少しだけ苦笑する。
ああいうのは、嫌われても仕方ない。
でも。
(……ああするしかねえだろ)
視線を落とす。
それでも、離れるつもりはなかった。
少しして。
コン、と窓を叩く。
中の気配が動く。
「……また?」
ため息混じりの声。
カーテンが開く。
「リナ」
「来ると思ってたわ」
迷いのない言い方。
(……ほんと、そういうとこな)
「三回目よ?慣れるわよ」
「……数えてんのか」
思わず笑う。
窓が開く。
部屋に入る。
いつも通りの流れ。
でも――
(……いつも通り、じゃねえか)
距離が、少し近い。
「で?今日はどうしたの」
腕を組んで聞いてくる。
「昼のこと」
適当な理由をつける。
本当は、違う。
(……顔見に来ただけだろ)
自分で呆れる。
会話は続く。
告白の話。断り方。
リナは納得してない顔をする。
(……だろうな)
「優しくしたら、期待するだろ」
口に出しながら、
自分に言い聞かせてるみたいで。
少しだけ、嫌になる。
そして。
「……どうして抱きしめたの」
その一言で、全部止まる。
(……それ聞くか)
視線を逸らす。
答えなんて、決まってる。
でも、それを言ったら終わる。
代わりに、距離を詰めた。
逃げ道を潰すみたいに。
「……危なかったからだ」
嘘じゃない。
でも、全部でもない。
(……それだけで済むかよ)
手が、肩に触れる。
離すつもりはない。
視線が合う。――逃げなかった。
(……なんで逃げねえんだよ)
心臓が、少しだけ速くなる。
距離を、さらに詰める。
息がかかる。
あと少し。
(……やめとけ)
頭では止めてるのに、
体は動く。
ほんのわずかに、触れた。
唇。
一瞬。
それだけで、十分だった。
(……やべえな)
離れる。
これ以上は、ほんとにまずい。
「……これ以上はやめとく」
本音だった。
「なんで」
すぐ返ってくる。
少しだけ迷う。
でも。
「……止まれなくなる」
それ以上言わない。
それで全部だ。
そのとき。
コンコンッ!!
「リナーーー!?」
(……タイミング悪すぎだろ)
一瞬で気配を消す。ベランダへ。
音もなく、外へ出る。
そのまま影に溶ける。
でも、完全には離れない。
窓の外、少しだけ距離を取って立つ。
中の声が聞こえる。
「どうしたの急に!」
「いやそれこっちのセリフ!!」
ミアの声。
賑やかで、軽くて。
さっきまでの空気が、全部流れていく。
リナの慌てた声。
誤魔化してるのも、わかる。
(……バレてねえな)
少しだけ安心する。
でも同時に、
(……あのまま、いってたら)
思考が止まる。
さっきの距離。
あのままなら。
(……ほんと、面倒だな)
額に手を当てる。
自分の感情が、一番厄介だった。
離れればいい。
それが一番簡単で、正しい。
でも。
足は、動かない。
窓の隙間から、光が漏れている。
その中に、あいつがいる。
(……だから来てんだろ)
誰に言うでもなく、心の中で呟く。
理由なんて、最初からわかってる。
ただ――
(……近づきすぎると、壊すから)
それだけは、変わらない。
小さく息を吐く。
そして、今度こそ背を向けた。
夜に紛れて、そのまま消える。
番外編 短編 完




