番外短編:触れる距離(学園3年・夏〜秋)リナ×カイ
街は夕方の柔らかい光に包まれていた。
「ねえ、これ見て」
リナが店先で足を止める。
「かわいい……」
ガラス越しに覗き込むその横顔は、無防備で。
(……ほんとに)
カイは少し離れた場所から、それを見ていた。
今日は珍しく、昼間に一緒に街へ出ている。
“たまたま会った”ということになっているが、 偶然なわけがない。
夕方の光が、淡い茶色の髪に柔らかく落ちる。
軽いワンピースに、出た肩。
首元には、琥珀が揺れていた。
「――ねえ、君」
不意に、すぐ後ろから声がする。
「え?」
振り返るより早く、スっと距離が詰められる。
「可愛いね〜」
さらっとした声。
軽いのに、迷いがない。
気づけば、男がすぐ隣に立っていた。
背が高い。
視線の高さが、どこか見慣れている。
(……あれ)
一瞬だけ、誰かと重なる。
そのせいで、
警戒が少し遅れる。
「え、あ……」
言葉が追いつかない。
「その服も似合ってるし、スタイルいいよね」
自然な距離で話しながら、
さらっと肩に手が回る。
「――っ」
近い。
思ったより、ずっと近い。
顔を覗き込まれる。
「瞳が綺麗だ。深い色してるね」
「え、ちょ……」
鼓動が一気に上がる。
なんだか嫌だなと感じた、彼じゃない――
慣れてない距離。
「ありがとうございます……じゃなくて、えっと……その……」
言葉がうまくまとまらない。
少し顔が熱くなる。
「はは、照れてる?」
楽しそうに笑う。
「いや、そういうわけじゃ……!」
慌てて否定するけど、
距離はそのまま。
肩に置かれた手の重さと、
近すぎる体温に、意識が持っていかれる。
胸の奥が、わずかにざわつく。
「よかったら、一緒に――」
男がリナの肩を抱き方向を変えようとしたそのとき――
「……離せよ」
低い声が、空気を切った。
次の瞬間―――ぐっと腕を引かれる。
いつの間にか、カイがすぐ隣に立っていた。
「こいつ、連れなんだ」
自然に、でもはっきりとした言い方。
「……ああ、そうなんだ。じゃあいいや」
男は手をあっさり引いた。
そしてひらひらと手を振りながら去っていく。
「……びっくりした」
リナが小さく息を吐く。
「ナンパ、ってやつ?」
「だろうな」
短く答えるカイ。
でも、視線はどこか鋭いまま。
「なんか、慣れてたよねあの人」
「そういうやつは大体ああだろ」
少しだけ棘のある言い方。
リナは少し首をかしげる。
「……カイ?」
「ん?」
「なんか、機嫌悪くない?」
まっすぐな問い。
カイは一瞬だけ言葉を止めて、
「別に」
いつもの調子で返す。
でも。
次の瞬間、
手首を掴まれた。
「え……?」
軽く、でも逃げられない強さ。
「ちょっと、こっち」
そのまま、人通りの少ない路地へ引かれる。
「カイ、ちょっと――」
言い終わる前に、
ぐっと、壁際に寄せられた。
「……あのさ」
距離が近い。
逃げ場がない。
「無防備すぎ」
低く落ちる声。
「え?」
「知らないやつに、あんな簡単に笑うなよ」
視線が、真っ直ぐに落ちてくる。
いつもより、少しだけ強い。
(……なに、これ)
胸がざわつく。
「だって、普通に話しかけられただけだよ?」
「それが問題なんだろ」
即答。
リナが言葉を失う。
少しだけ沈黙。
そのあと、カイは小さく息を吐いた。
「……悪い」
「え?」
「ちょっとイラついた」
あっさり言う。
でもその目は、まだ揺れている。
「……なんで?」
小さく聞く。
カイは少しだけ視線を逸らして、
「……知らねえやつに、ああいう顔すんなよ」
ぽつりと落とす。
その言葉の意味が、ゆっくり染みる。
(……それって)
心臓が、強く鳴る。
「カイ、それって――」
言いかけた瞬間。
ぐっと、引き寄せられた。
「――っ」
抱きしめられる。
前より、少し強い。
逃がさないみたいに。
「……ほんと、面倒」
小さく呟く声。
でも、その腕はやさしい。
「……なんでそんな顔すんの」
リナの耳元で、低く響く。
「え……?」
「自覚ないの、たち悪い」
ため息混じり。
でも――
少しだけ、笑っている気配。
リナは、ゆっくりと腕を回す。
宥めるように、優しく。
「……ごめん」
「何が」
「でも、嬉しい」
正直な言葉。
カイの動きが、一瞬止まる。
少しだけ間。
腕の力が、ほんの少し緩む。
「……ほんと、調子狂う」
ぼそっと呟く。
でも、離さない。
そのまま少しだけ距離を取って、
視線が合う。
近い。
あと少しで触れそうな距離。
(……これ)
息が、浅くなる。
でも――
カイが、わずかに視線を逸らした。
「……今日はやめとく」
低く言う。
「え?」
「これ以上は、たぶんよくない」
それだけ言って、
するりと腕を離す。
温もりだけが残る。
リナはしばらく動けなかった。
さっきの距離と、言葉と、
全部が胸の中で混ざる。
(……ずるい)
そう思いながらも、
頬が熱いのは隠せなかった。




