第3話:訪れる人たち
あれから、いくつかの季節が過ぎた。
その日は、朝から少しだけ空気が違っていた。
風が落ち着かない。森の音が、いつもより静かに感じる。
リナは家の前で剣を振りながら、何度か空を見上げていた。
「……帰ってくる」
ぽつりと呟く。
「なにが?」
後ろから、のんびりした声が返ってきた。
振り向くと、カイが木にもたれながら欠伸をしていた。
「お父さんとお母さんよ」
「へえ」
興味があるのかないのか分からない返事。
「今日あたり帰ってくると思うの」
「ふうん」
「ちゃんとしてなさいよ」
「してるって」
軽く手を振る。
その態度に、リナは少しだけ眉をひそめた。
「……ちゃんと、挨拶くらいはしてね」
「分かってる」
そう言いながらも、どこか気の抜けた様子は変わらない。
けれど。
その目だけが、ほんの一瞬だけ、森の奥を見ていた。
昼を少し過ぎた頃だった。
家の前の空気が、ぴんと張り詰める。
風が止まり、音が消える。
その瞬間――
気配が、現れた。
「リナ」
低く落ち着いた声。
振り向いた先に、二つの影が立っていた。
「お父さん、お母さん!」
リナの顔が一気に明るくなる。
駆け寄って、そのまま勢いよく抱きついた。
「おかえりなさい!」
「ただいま、リナ」
父は軽く頭を撫でる。
背の高い男だった。無駄のない体つきと、静かな圧のある立ち姿。
その隣で、母がやわらかく微笑む。
「少し見ないうちに、また大きくなったわね」
「そんなに変わってないわ」
そう言いながらも、どこか嬉しそうに笑う。
ひとしきり再会を喜んだあと、リナはふと思い出したように振り返った。
「ねえ、紹介するわ」
カイの方を見る。
「この子、カイ。一緒に暮らしてるの」
「……おまえ、急に雑だな」
「いいでしょ別に」
小さく口を尖らせる。
そんなやり取りを横目に、父と母の視線がカイへと向いた。
その瞬間。
空気が、わずかに変わった。
「……カイ、か」
父の声が少しだけ低くなる。
母も、微笑みを崩さないまま、じっとカイを見ていた。
ただ見るだけじゃない。
“確かめるような視線”。
カイは一歩も動かない。
その視線を、まっすぐ受け止める。
逃げもしないし、取り繕いもしない。
ただ、静かに。
「……はじめまして」
先に口を開いたのはカイだった。
軽く頭を下げる。
「カイです」
いつもの軽さは、少しだけ薄れていた。
父は数秒だけ黙ってから、ゆっくりと頷く。
「……そうか」
それだけだった。
けれど、その一言のあと、張り詰めていた空気がわずかに緩む。
母も小さく息をついた。
「リナがお世話になっているのね」
「いや、逆だと思うけど」
カイが肩をすくめる。
その言葉に、母がくすりと笑った。
「そういうことにしておきましょうか」
柔らかな声だった。
けれど、その奥にほんの少しだけ、何かを含んでいるようにも感じた。
その日の夕食は、久しぶりに賑やかだった。
リナは嬉しそうに話し続ける。
剣のこと、森のこと、カイのこと。
「カイ、すごいの。剣も上手だし、いろいろ出来るの」
「へえ」
父が短く相槌を打つ。
「どこで習ったんだ」
「……覚えてない」
カイは淡々と答える。
その言葉に、一瞬だけ沈黙が落ちた。
リナは気づかない。
でも、父と母は視線を交わしていた。
「そうか」
それ以上は聞かなかった。
聞かない、という選択をしたように見えた。
食事のあと。
外に出ると、夜の空気がひんやりとしていた。
星がよく見える。
リナは満足そうに息をついた。
「やっぱり、みんなでご飯食べると楽しいね」
「ああ」
カイが短く答える。
その声は、どこか静かだった。
「……どうしたの?」
「別に」
いつもの返事。
でも。
その視線は、家の中に向いていた。
父と母の気配を、感じ取るように。
その頃。
家の中では――
「……あの子」
母が小さく呟く。
「ああ」
父が短く答える。
「普通ではないな」
「ええ」
肯定する。
けれどその声は、警戒だけではなかった。
「……でも」
母は少しだけ微笑んだ。
「悪い子ではなさそうよ」
父は黙る。
しばらく考えるように目を閉じてから、 ゆっくりと息を吐いた。
「……しばらく様子を見る」
「そうね」
外では、リナが空を見上げていた。
隣にはカイがいる。
それが、当たり前のように。
「ねえ、カイ」
「ん?」
「明日も練習付き合ってくれる?」
「いいけど」
「ちゃんと教えてよ」
「気が向いたらな」
「もう」
少しだけ不満そうにしながらも、リナは笑った。
その夜。
森は静かだった。
けれど、その静けさの奥で。
まだ誰も知らない“何か”が、確かに動き始めていた。




