第25話:学園の裏側
寮の部屋は静かで、昼間の賑やかさが嘘みたいだった。
窓の外では、風が木々を揺らし、淡い月明かりが床に影を落としている。
(……なんか、落ち着かない)
ベッドに腰掛けたまま、ぼんやりと考える。
昼間のこと。
カイの言葉。
あの戦い方。
「……なんなのよ、あいつ」
小さく呟いた、そのとき。
コン、と軽い音がした。
「……また?」
ため息混じりに立ち上がる。
カーテンを開けると――
「リナ」
窓の外に、カイがいた。
「来ると思ってたわ」
「そう?」
「三回目よ?慣れるわよ」
「……数えてんのか」
呆れたように笑う。
窓を開けると、カイは軽く部屋に入ってきた。
「で?今日はどうしたの」
腕を組んで聞く。
カイは少しだけ部屋を見回してから、視線を戻した。
「昼のこと」
「どっち?」
「魔物と……あと、あれ」
「あれって?」
「告白」
あっさり言う。
「……なんでそれ聞くの」
「お前、見てただろ」
「見てたけど」
少しだけ視線を逸らす。
「……ああいうの、慣れてるの?」
「うん?」
「断るの」
カイは一瞬だけ考えて、
「時々な」
と短く答えた。
「どうしてあんな言い方したの」
「あんなって?」
「“興味ない”って」
少しだけ声が強くなる。
「もっと、言い方あるんじゃないかと思って」
カイは少しだけ目を細めた。
「優しくしたら、期待するだろ」
「それでも――」
「切るなら、ちゃんと切る」
淡々とした声。
「中途半端が一番面倒なんだ」
その言い方。
どこかで聞いた気がする。
(……あれ)
一瞬、胸がざわつく。
記憶の端に、何かが引っかかった。
「……ねえ」
「なんだ」
「前にさ」
一歩、近づいて顔を見上げる。
「……どうして抱きしめたの」
空気が止まる。
ほんの一瞬、風の音だけが響いた。
「……あれか」
カイが軽く俯きながら、視線を逸らす。
「覚えてるのね」
「そりゃな」
「じゃあ、どうして」
詰めるような言い方で距離が、少し近づいた。
呼吸が、わずかに重なる。
カイは答えない。
代わりに、ぐっと体が近くに踏み込んできた。
「っ……」
距離が一気に縮まる。
手が、そっと肩に触れる。
「……危なかったからだ」
「それだけ?」
「それ以上必要か?」
低い声。
でも、その手は離れない。
視線が絡む。
逃げられない。
(……なに、これ)
心臓がうるさい。
顔が熱い。
でも、嫌じゃない。
むしろ――
ほんの少し、期待してしまう。
カイが、さらに少しだけ顔を寄せる。
息がかかる距離。
あと、ほんの少しで――
触れる。
その瞬間。
コンコンッ!!
「リナーーー!?」
ドアが激しく叩かれた。
「っ!?」
一瞬で距離が離れる。
振り向いたときには――
もう、カイの姿はなかった。
ベランダの窓が、少しだけ開いている。
(……うそでしょ)
「リナ!?いる!?ねえ開けて!?」
ミアの声。
慌てて顔を整えて、ドアを開ける。
「どうしたの急に!」
「いやそれこっちのセリフ!!」
ミアがずかずかと入ってくる。
「なんか今、変な音しなかった!?」
「し、してないけど」
「え、絶対したって!」
部屋をきょろきょろ見回す。
リナは必死に平静を装う。
「気のせいじゃない?」
「……ほんとに?」
じっと見つめられる。
「……なんか顔赤くない?」
「赤くない!」
「いや赤いって!!」
「寒いだけ!」
「いや絶対違うでしょ!」
ぐいっと顔を覗き込まれる。
「ねえ、なんかあった?」
「な、何もないってば」
「ほんとに〜?」
疑いの目。
「……誰かいた?」
「いない!」
「即答すぎるんだけど!?」
ミアがにやっと笑う。
「え、なに?まさか男?」
「ち、違うってば!」
「“違うってば”は怪しいやつ!!」
「もう!ほんとに何もないから!」
そんなからかうようなちょっとしたやり取り。
でも、その間も――
さっきの距離が、頭から離れない。
あの目。
あの声。
あの距離。
「ねえリナ」
「なに?」
「もしさ」
ミアが少しだけ真面目な顔になる。
「好きな人できたら、どうする?」
「え?」
突然の質問に、言葉が詰まる。
「どうするって……」
「告白する?待つ?」
少し考える。
「……分かんない」
「なにそれ〜」
「だって、相手によるでしょ」
「誰でもいいから想像してみてよ」
「……無理」
「え〜絶対いるって」
「いないよ」
即答する。
でも――
(……ほんとに?)
さっきの光景が、よぎる。
ミアはしばらくからかってから、
「ま、いっか。今日はもう寝よ」
そう言って部屋を出ていった。
静かになる部屋。
リナはそのまま、窓の方を見る。
少しだけ開いたままの窓。
そこに、もう誰もいない。
(……なに、あれ)
ゆっくりと近づく。
指先で、窓枠に触れる。
まだ、ほんの少しだけ温もりが残っている気がした。
「……ずるい」
ぽつりと呟く。
何も言わないくせに、
あんな距離だけ残していく。
思い出す。
昼の告白。
あの距離の取り方。
そして――
自分に対する態度。
(……違う)
あれとは、違う。
でも。
(じゃあ、何?)
答えは出ない。
ただ、心臓だけがうるさい。
そのとき。
ふと、ベランダに立って外に視線を向ける。
遠くの木陰。
誰かが立っているような気がした。
黒く、揺れる影。
瞬きをした瞬間――
それは、消えていた。
「……今の」
風だけが、静かに通り過ぎる。
学園の夜は、何も変わらない。
でも確実に、
見えない何かが、動き始めていた。
同じ日の夜。
学園の奥深く――
普段、生徒が立ち入ることのない区画。
重厚な扉の向こうで、
静かな声が交わされていた。
「報告は受けている」
低く落ち着いた声。
学園長が書類から視線を上げる。
「今日の訓練区域での異常反応」
「ええ」
向かいに立つクロードが、静かに頷いた。
「通常の魔物に加え、“感情の揺らぎ”が観測されました」
「対象は?」
「一名。女子生徒です」
短い沈黙。
「……やはり、始まっているか」
学園長がゆっくりと息を吐く。
「まだ“影”として顕現はしていません。ただ――」
クロードの目がわずかに細くなる。
「時間の問題かと」
「早いな」
「ええ。想定よりも」
そして、少しだけ間を置いて。
「原因は、明確です」
その一言に、空気がわずかに重くなる。
「……カイ、か」
クロードは否定しない。
「彼の存在が、周囲の感情を引き寄せている」
「共鳴か」
「はい。それも、かなり強い」
机の上の書類に、影のような模様が描かれている。
「回収者の中でも、特異な個体だ」
「ええ。だからこそ――」
クロードの声が、わずかに低くなる。
「管理が難しい」
「制御はできているのか」
「表面上は」
一拍。
「ですが、あの子に関しては別です」
「リナか」
名前が、静かに落ちる。
「近づきすぎています」
クロードの言葉は、はっきりしていた。
「本来なら、記憶も含めて完全に切り離されているはずでした」
「だが、そうなっていない」
「ええ」
静かな肯定。
「むしろ、引き寄せ合っている」
空気が、さらに重くなる。
「……皮肉なものだな」
学園長が小さく呟く。
「守るために切り離したものが、再び繋がろうとしている」
「はい」
「そしてその結果、影が生まれる」
クロードは、わずかに目を伏せた。
「感情は、抑えきれませんから」
静かな言葉。
「この学園の役割を、改めて確認しておく」
学園長の声が、低く響く。
「ここは、ただの教育機関ではない」
一拍。
「“育てる場所”であり――」
さらに一拍。
「“選別する場所”でもある」
その言葉は、重く沈んだ。
「必要なら、切り離せ」
静かに告げられる。
「……はい」
クロードは短く答えた。
その目の奥には、
わずかな迷いがあった。
誰にも気づかれないほど、小さな迷いが。
夜は、静かに更けていく。
知らないところで、
物語の歯車は、少しづつ動き始めていた。




