第19話:校外学習(後編)
森の空気が、変わっていた。
さっきまで確かにあったはずの風も、音も、すべてが遠のいたように感じる。
「……ねえ、これちょっとおかしくない?」
ミアが小さく声を落とす。
「さっきまで普通だったよね?急に静かすぎるっていうか……なんか、見られてる感じするんだけど」
「俺も同じこと思った」
キースが周囲を見渡しながら言う。
「気配が散ってる感じじゃない。むしろ一点にまとまってる。こういうの、あんまりいい予感しないな」
「……全員、固まるな」
レオンの声が落ちる。
「視界を確保しろ。ミアは結界、展開できるか?」
「できるけど……時間少しかかる!」
「構わない。準備だけでもいい」
張り詰めた空気の中。
リナは、足元を見ていた。
何もないはずの場所。
けれど――
(……いる)
確かに、“そこ”に何かがある。
見えない。
でも、感じる。
胸の奥がざわつく。
ペンダントが、じんわりと熱を帯びる。
「リナ?」
レオンの声。
「……いるわ」
「見えるのか?」
「見えない。でも……分かるの」
言葉にすると、少しだけはっきりする。
「そこに、何かがいる」
その瞬間。
空間が、歪んだ。
黒い“何か”が、にじむように現れる。
「っ……!」
「なに、あれ……」
ミアの声が震える。
形は曖昧で、輪郭も定まらない。
ただ黒いものが、ゆらゆらと揺れている。
そして――
重い。
感情のようなものが、空気に滲んでいた。
「……下がった方がいい」
カイの声だった。
今までとは違う。
低く、迷いのない声。
「ここは俺がやる」
「ふざけるな、一人で――」
レオンが言いかける。
「無理だ」
はっきりと言い切る。
「これは普通じゃない。巻き込まれたくなければ離れるんだ」
その言葉に、全員が息を呑む。
カイは一歩前に出た。
その瞬間。
空気が、変わった。
リナの視界に映る。
カイの目が――
わずかに色を変えた。
いつもの落ち着いた色ではない。
光を帯びた、強い色。
(……あれ……)
胸の奥が、強く揺れる。
何かを思い出しかける。
でも――届かない。
「離れてろ」
短く言い残し、カイは影に向き合う。
炎が生まれる。
さっき見たものとは、まるで違う。
熱を感じるほどの密度。
鋭く、強い。
影が揺れる。
ぶつかる。
黒と炎が交差する。
だが――
「……っ、消えない!?」
キースが叫ぶ。
「攻撃が通ってるのに、形が崩れるだけで戻ってる……!」
「再生してる……?」
ミアの声が震える。
リナは、ただ見ていた。
そして――気づく。
「……違う」
小さく呟く。
「消えないんじゃない」
一歩、前に出る。
「リナ!?」
レオンが腕を掴んで止める。
「違うの……」
影を見つめる。
黒い揺らぎの中に、“何か”がある。
「……この影、消えないんじゃない」
ゆっくりと言葉にする。
「“消えたくない”のね」
その瞬間。
影の動きが、わずかに変わった。
反応したように。
「……は?」
キースが息を呑む。
「感情、なのか……?」
リナの頭に、断片が流れ込む。
泣いている声。
伸ばされた手。
消えていく温もり。
「……っ……!」
思わず胸を押さえる。
「リナ!」
レオンが叫ぶ。
その一瞬の隙。
影が大きく揺れた。
カイが踏み込む。
「下がれ!!」
炎が一気に膨れ上がる。
今までよりも、さらに強く。
黒を押し込む。
貫く。
その中心へ――
光が走る。
そして。
影は、静かに崩れていった。
音もなく、消えていく。
残ったのは、静かな森。
重たい沈黙。
「……終わった、のか?」
キースが呟く。
「……たぶん」
ミアが小さく答える。
リナは、まだ動けなかった。
胸の奥に、何かが残っている。
「……今の」
レオンが静かに口を開く。
「普通じゃないな」
視線が、カイに向く。
「……大丈夫か」
カイはリナにそっと手を差し出す。
振り仰ぐと、いつもの顔に戻っていた。
「なんでもない」
軽く言う。
「ちょっと強めの魔物だろ」
「……あれを“ちょっと”で済ませるのか」
「済ませたじゃん」
肩をすくめる。
空気が、わずかに揺れる。
リナは、ゆっくりと顔を上げる。
カイを見る。
胸が、ざわつく。
(……知ってる)
そんな気がした。
でも、思い出せない。
確かなのは――
目が離せない、ということだけだった。




