帰路、情報の書籍
ジュヒーは時折、手帳に書き付ける。頭と手先で別の仕事が出来ると言って、ライラックを振り返りながら先を歩いた。
「脳ミソ二つ」
「首二つ要るだろうが、馬鹿言ってるんじゃあない」
クレネックの街の図書館には、蔵書が天井まで仕舞ってある。大人ばかりが利用するので子供のライラックが行くとえらく睨まれるのだ。騒ぐ事を見越しての事だった。
受付に貼り紙があるのだ。「大きな声で喋らないで下さい。図書館内では静かに過ごしましょう」と。子供が手が届く足場や、中庭に続く両扉には念押しの「静かにしましょう」という注意書きがある。
歴代の同い年はこれを破ってきたのだ。足場一つ一つに張られているのだもの。
ライラックはジュヒーの背中に隠れて、図書館の受付を覗いた。
「今日は。本を借りたいんですが、手続きは」
「……此方に記入をお願い致します」
「はい……ライラック、先に目当ての本を見繕ってこい。大人しくしろよ」
「わかりました。行ってもいいですか、ネロウさん」
「……ちゃんと静かに。それならいくらでも」
「できるよ」
「どうぞ、何時でもいらっしゃい」
「わかった」
ライラックは受付を通って、館内の一角に直進した。八歳のライラックは読めない本が大半を占めるので、探す場所だって狭いのだ。児童書や絵本、貸し借りで混ざった指南書や教材書がある区画である。
足場に乗って本を探した。
『言葉遣いの道.中』『言葉遣いの道.上』『キャンプ山のネズミ』『まほうのめだま』『野草遊び』『武器代用書』
本の背表紙をパッと見て引き抜いていく。本は両腕で抱えていたが五冊を越えると持ちきれなかった。腕に収まらない『武器代用書』を片手で掴んで、せーので足場を降りる。
手慣れていた。転んでしまいそうな危なっかしさと、手口の小慣れ感が同時にある。抱え直すのにリズムを乱すのに、足並みは淀みなく進んでいた。この間十分と経っていない。
「……父さんはどこでしょうか」
子供は本棚で隠れて見つけにくい、と以前ジュヒーが言っていた。声を出して呼ぶ事は出来ない。ライラックが探す他ないだろう。一度通って来た方に足を向けた。
通りがかりに、女性を避けていこうとする。
「……」
「……ねぇ僕、予言屋さん」
「何でしょうか」
「だよねぇ、良かった。ちょっといいかな」
「はい」
呼び止められて、顔を上げた。
髪を後ろに結んだ女性だ。母のリーラよりも老いていて、指の節がくっきりと浮き上がっている。ワンピースに、ストールを肩に巻き付けていた。
ライラックが呼び掛けに従うのは義務だ。予言屋さんと呼ばれたのはそういう事であり、公言してあるってそういう事だった。
「今朝から、予言が知らされなかったのだけど、やらなかったって本当に?サボりかな」
「今日からやらない。毎日の予言はなくなった」
「どうしてよ、やる決まりじゃなかったの?誰が決めたのそんなこと、やってくれないと誰かが不安になるんですからね。子供だからってお役目をやったりやらなかったりは通用しません。誰が決めたの、言ってみなさい」
「タスキ団長が予言のやり方を変えました。僕は依頼一回に予言を一回します」
「団長さん、へぇ。……選民をするの、子供の身分で偉くなったのね。予言屋さん、私は予言で刺されるんだと言われたメブレットという女です。覚えがないの?タミトルは突き飛ばして逃げたから腕を切った程度で済んだわ。予言もあったからね、気を付けていたのよ。でもね、見なさい、昨日予言屋さんの予言が不十分だったから私は怪我をしたのよ、それに対して、謝る意思はないのかしら」
腕を捲って、メブレットはようく見るように突き出してくる。ガーゼとテーピングで止められており、傷の深さまではわからない。
刺されるんだと言われた、という事は昨日日課の予言として提出した、最後の予言だ。
『落ちます。メブレットはタミトルに刺される』
自警団から通達があって、巡回の団員が増えた筈だ。それを掻い潜って怪我を負った。
ライラックがしょうさいな予言が出来れば防げた危機だ。
予言は危機から脱する為の力だった。
「……僕が悪い。申し訳ない。予言が足りませんでした。申し訳ありません」
「人が殺されても同じ事を言うの?償ってくれるんでしょうね。予言屋さん、ただの子供のつもりじゃ困るのよ、命がかかってる事わかってる?予言して、今予言しなさい。タミトルがどうなるか予言しなさいよ!」
「うん」
ライラックは、掴んでいた「武器代用書」を落としそうだった。五冊を支える右の腕が痺れている。何故かすっかりと、割れて血が出た掌の事を忘却していたから、今になって痺れた右手が痛み、温かい。
目を合わせている。身体に力が入らなくったって、脳が酷く痛んだって、予言を求められたライラックは予言をするのだ。それでもやるのだと決まっている。
息をすうっ、と吸い込んだ。
「……落ちます。タミトルは井戸に財布を落とす」
メブレットから、節が浮かんだ指が大きく伸ばされた。顔に向かったように見えたけれど、衝撃はライラックの肩に乗った。
「馬鹿にしてるんでしょう、それでやった気になってるんじゃないでしょうね、僕?何の役にも立たない!最初からやらなければよかったのにイイカゲンな、廃業よ廃業!」
「馬鹿にしていません」
「何なのその喋り方、お前本当に、気持ち悪い!」
ライラックは突き飛ばされて、床に本を落とした。
予言は失敗した。
メブレットの目が充血して赤く強張っていく。
誰かが慌てて集まってくる。けれどライラックには音が上手く聞こえなくて、メブレットをじっと見つめていた。
「要らないわ」
「……いりませんか」
「やめてよ、喋らないで」
「ライラック」
靴が、ライラックの知った人の物。
「ライラック、何をやっている」
「……父さん、予言をした」
「貴方誰。割り込んで来て、不躾じゃない」
「息子です。私の子供が粗相をしましたか。だったらお詫びします。申し訳ありませんが、私の方で叱っておきますのでどうか穏便にして頂けませんか」
「親、親が出てくるの。お宅の子供、本当にどうにかして、予言も嘘を言ってくる、責任感も無い、クレネックでそれは犯罪でしょう?親なら躾してよ、親だって出てくるなら」
「申し訳ありません、私の責任です。公共の場ですのでどうぞ、どうぞ矛を納めて頂きたい。結構な声で話してらしたので職員の方に忠告されるおそれがありまして」
「人を呼んだの、汚いのね。いい、いいです。ほとほと呆れてしまいました。幻滅です。もう期待しません、何もやらないで下さい。そうようく言って聞かせて下さい」
害悪。メブレットはそう言って去っていく。ジュヒーが頭を下げている。横目に散らかった本を捉えていた。
人目が集まって、狭くなる。それが見えたからメブレットは言葉尻が弱くなったのかもしれない。職員が人垣を縫ってたどり着く頃に、ジュヒーはライラックと目を合わせた。凄みのある顔をしている。
「……対応が遅れてしまい申し訳ありません。利用者同士のトラブルでしょうか」
「いえ、済みました。言い掛かりのような……兎に角大丈夫です」
「……かしこまりました。……ライラック、怖かったね。遅れてごめんね」
「……うるさくした。申し訳ありません、ネロウさん」
「……次は静かに。それならいくらでも、何時でもいらっしゃい」
「はい」
受付のネロウが会釈して、人垣を散らしながら居なくなる。
ジュヒーは言った。
「本を拾え、公共物だぞ」
「うん。……公共物って何」
「皆が使う物という意味だ。いいから拾え」
「はい」
本を拾い、抱え直す。背中を伸ばした大人の視線が下りてくる。ジュヒーは鼻で息をつき、先に歩き出した。
ライラックはそれを追う。
「父さん、全部借りてもいいですか」
「……借りに来たんだ、持ってこい」
「わかった。父さんありがとう」
「静かにしろ。……公共の場だからな」
難しい顔をしている。考えている事がわからなかった。ジュヒーに怒られなかったのは珍しい事だ。ジュヒーふ我らの持つ力について、ひけらかすなと言ってくる大人だ。頼まれてやった事でも、この場合は怒られてきた。
怒っていない、訳はない。だから誤魔化すような素振りになる。
「……予言をやったから怒ってるんですか、父さん」
「……ライラック、俺の前で予言をするな。お前達の普通じゃないやり方が俺は好きじゃないんだ。仕事をするか、剣の腕を鍛えるかにしてくれ。いいな」
「父さんの前では予言をしません。父さん、アイクルーは?どこかに飛んでっちゃっても、探さない?怒りますか」
「……馬鹿を言うな。見つかるまで探すに決まってるだろう。自分の子供を探さない親が居るか」
「母さんはどうですか」
「……母さんか、何だ」
「母さんが虫の知らせを聞く。使うと嫌なの」
「…………ライラック」
振り返る時、ジュヒーの肩が固く移動する。ゆっくりとして見えた。
「……」
怒っている、とライラックは思う。
起こられる、とライラックは思う。
ジュヒーの言葉を待っていた。
「……もういい、帰るぞ」
「……」
言葉はなかった。
言うのをやめたのだ、と気付いたのは直感的であり、確信できて恐怖した。
何でだろうと、ライラックは思う。ただ帰路に着く。




