予言の器は砕かれる。
厄災の予言をして早九日。音沙汰もなくライラックは過ごす。
外出をすると呼び止められた。予言をしないのかと問われ、予言をしろと言われる。ライラックは都度予言をするのだ。どうにも、失敗し続けるのだけど。強く拒絶される事が増えた。悪評が広まったのだと、父のジュヒーが言ってくる。
「……人前に出すんじゃあなかった。後悔している」
予言を集めて自警団に役立てた貰うのと、ライラックが乞われた通りに予言をするのとでは、まるで違っていたのだ。
家の中でしていた事は、我らの力の使い方は分別が要る。
◆
月明かり。
窓から白く照らしている。
ライラックは文字を追うのだ。読めない所は目を凝らして、借りた本を読んでいる。
体力は正常値だ。脳髄は予言をしないだけ痛みや熱を持たなくなった。右手も包帯が取れた。痕が残っている。考え事とは裏腹に、削れた身体の能力が回復してきている。
考え事は色々だ。妹のアイクルーへの贈り物は決まった。鍵を一組作って渡そうと。
木を削って棒を作る方法をなぞれば難しい事はない。日々手作業の仕事をやってきたライラックなれば完成まで持っていけるだろう。
外に出ると、ジュヒーに手間をかける。だから家に居ることにしたのだ。
ジュヒーに、聞けずにいることもあるので、動向を伺い続けている。
ライラックの考え事は煩雑だった。
「二人目はよしましょうって言ったじゃないですか」
「私あの子を産むんじゃなかった」
「もう、替わって下さいジュヒー……こんなこと言いたくない」
「…………ライラック」
「もういい、帰るぞ」
何を言ってるんだかわからないんだよな。
それでもずっとライラックの頭の中に重なり続けるのだら、追っている文字がすとんすとんと抜けて無くなってしまう。
ライラックは、思ったように上達しない色んなもねやを抱えている。
手の内で制御を効かせなければならない事を抱えている。
練習して、はんぷくして、それ以外に気を取られない毎日が来なくなって、あっという間に全て調子がずれた。
「…………」
一文を読む。
一冊分、中身を忘れた。
「………………ああ、のうなしです……」
器用さがない事は、能力がない事はわかっていた。「ロックボルド」の血が濃くて、特異な力を持っていようと使いこなせないなら意味がない。
その点アイクルーは器用だ。力を使う呑み込みの良さがある。そこら辺がライラックにはない。
脳が、常に、何処かへと。
思考が、薄く、散り散りに。
どうにもこうにも、ならないのだ。
何だっただろうか、何だっけ。
「月が見えますね。夜中だ。父さんは母さんと、まだ話してる。最近は毎日です。何を話しておられるのでしょうか。そういえば、話してるのはわかる。何も中身を覚えてない。声は聞いています。今も話しておられるのですが。言葉を聞けなくなってる?」
音がする、と思うだけで言葉がわからない。
言葉に関しては聞き取る力が付いていたし、耳も良く機能している筈だった。
「……聞こえない。聞こえてます。……聞こえません」
子供部屋に居る事が増えてから、ライラックは。
「聞こえてる」
潰れる。
成す術がなく、そのまま潰れる。
肩を掴んで揺すられて、漸く世界がきちんと見えた。
何処を見ていた?何をしていた?ライラックは自分を省みて、多分、と口に出す。
「……本を読んでる。アイクルーに鍵を作っています」
「……勉強を、練習を……寝ていました」
母のりーらは余計に肩を揺らして、しっかりして、お願いと説く。
「ライラック、自分の力は自分で使えるようになって。難しいのはわかっています、頑張ってほしいんです」
「僕は、どうやれば予言を使える?僕たちはどうして教えてもらえないの?」
「お母さん教えられないんです。わからないんです、ごめんなさいライラック。お母さんもう、お願いされても、やってあげられない。いい子だから、お願いだから家で、頑張ってほしいんです」
「母さんは、アイクルーがイヤなんですか」
リーラにとって、アイクルーはライラックと違うのだろうかと思う。
「母さんは僕がいいんですか」
同じリーラの子供なのだ。
「ライラック、かわいいあの人の子。ライラックが居るだけで助かるんです、頼りにしてるんです。ジュヒーは、我らとは違う。わかってくれませんか」
「がんばるよ。家に居るよ。……僕は予言ができるように練習します」
何を言ってるんだか、わからないんだよな。
勉強が足りないのだ、とライラックは思う。
勉強した言葉で出てこない事で彼らは会話するのだ。それでも言葉はずっと、強い力を持っている。言葉の力に痛み出すのだ。
ライラックは、微笑んだ。
ライラックという子供はチグハグだった。泣く、怒ることがない。頭の中は常に千切れていて、散らばって、崩れているのだ。物心付いた頃には既にそんなだった。喜怒哀楽、形になることなくここまできた。
ライラックの中身など無いと同じ事だった。微かに、約束をしていたからそれだけ考えてきた。
頑張るよ、と自分が言った。
約束一つが心臓だった。
「……、ああ、ライラック。ライラック、虫の知らせがありました。過ぎた力だとはわかっていましたけど、生まれた時からずっと、とっくに手遅れーーー」
「母さん、予言を聞いてください。練習する」
ぺこりと、頭を下げる。
リーラは震える指で、ライラックの頭を撫でた。ごめんなさい、と言うので精一杯だった。
異常事態は降って沸く。子供部屋からリビングをこっそりと覗いた時だ。ジュヒーが手前に座るから普段は窺えないリーラの瞳と目が合った。
冷たかった。温度が無くなった瞳は涙で濁り、冷たそうに写る。動き出す事も言葉を発する事もしないリーラは異常で、ライラックは扉の境を越えられない。
ジュヒーは居ない。ジュヒーが居ないのはそも異様だ。何かがあったらリーラはジュヒーを追って外に出る筈。リーラはジュヒー無くして生きていけない。
リーラだけがそこにいて、消しようもない変化の匂いを感じてしまう。
ジュヒーが帰ったのは、五日後の事だ。ライラックはアイクルーに贈る木の鍵を削り終えて、ヤスリで角を取っていた頃だ。
用件だけ話すつもりのようで、ジュヒーは荷物を下ろさない。
「帰った。リーラ、俺はホルダーキ領に商売の拠点を変える。領主様の下で稼ぎ金を送る。団長さんと話は付いた、より近い場所で予言をさせる。つまりライラックは俺と家を出る事になるからな」
しゃり、とヤスリを掛ける手が止まる。リーラはテーブルを拭いていて、視線ー向けずに言う。
「決めてきて、しまいますよね。知っています、虫の知らせを受け取っていました。事後報告だろうと勝手に、進めて、もう話し合う気も無いんですよね。私となんて」
「話にならないだろう、もう。沢山だ、生活に困らない金は送り続ける。特に届けは出さない、お前が自暴自棄な女なのは十分わかってるんだ。俺に不利益が出る事はこの選択一つで出来ないんだろう。そこは知っている」
「情が、有るんだか、無いんだか……ええ、一緒に居るだけ涙が出ます。愛した貴方と、もう目も合わせたくありません」
「時間を取ってから帰って良かった。……ライラック」
「…………」
「お前を領主様に預ける。腕の良い剣士が多いそうだ、商売や作業はしなくて良い、身体を鍛えるんだ。いいな」
「…………」
「……お前の性格も、読めないな。別にいい」
リーラ、とジュヒーはリーラに近付いて、少し逡巡した後、何も無く側を通り過ぎた。
扉が閉まる音。リーラが背中を丸めて、鼻をすする音。リーラは細々した気配で泣いた。テーブルを拭いた雑巾で鼻を押さえる。風邪をひくんじゃないかと思い、ライラックはキッチンにタオルを取りに立つ。引き出しからタオルを引っ張って、リーラに小走りで向かった。
「母さん、タオルを使って」
「ライラック」
リーラは雑巾を落として、ライラックを頭ごと抱きしめた。
体温を、リーラから受け取るのは珍しかった。温度をとんと忘れていた事を、不思議に思う。
「……ライラック、いい子。いい子ね、……いい子」
譫言みたいな、揺り篭みたいな、リーラの温度を感じている。
包帯は取れたけれど、傷痕がある右手が熱かった。
離されないくらいぎゅうっと抱きしめられているのに、リーラの身体が振動している事がよくわかる。
ただずっと、ライラックはじっとしていた。
◆
片付けをする毎に、ジュヒーは語る事を失っていく。
ジュヒーとリーラの決別は、しんと静かに取り扱われた。夜中の相談する声は消え、朝まで一人掛けソファーにジュヒーは座る。首を痛そうに回しても、それが変わる事はない。
ライラックも、片付けをしなければならなくなった。
ライラックは家族の半分以上と離別する。
二度とクレネックの街に立ち入らないとジュヒーは言外に言うのだ。ライラックは、必要な事は何だと考える。必死に、必死に、必死に、何かの力がそこに存在するように考える。
珍妙な事に、自分の力がそんな効果の無い事を知っておいて、ライラックは祈るような気持ちで呼び掛ける。離別するしかないのだけど、もう一生側に居れないのだと、それが痛くて泣かせるまま、そのまんま置いて行く事にならないよう祈る。
自分自身よりも蔑ろにしてしまえるのだとしても、兄と妹、性別は違っても、父と母の子供だ。同じ立場の子供だ。
母のリーラは目を閉じる。父のジュヒーは口を閉じた。
ライラックは、全部伝わってほしいと願って、全部説明してあげたいと思って、妹のアイクルーに言葉を贈る。言葉の力は強力だ。力になって、死んじゃうんだよって言わなくて済むようになってほしくて仕方がなく。
何の力も無い事を、ライラックはアイクルーに言い含めた。
「……幸せになって」
無力感を、胸に抱えて生きていく。




