天井、日課の禁止 上
タスキ団長は冷々と言った。
「……クレネックの街、自警団に収まる範疇を越えている。国ね掛け合って、見直さなければ……ライラック、お前は暫く、声が掛かるまで予言をするな。要請によっては体力と気力を使ってもらう」
強い拒絶の目でライラックを見下ろしている。
ライラックとしては、予言の練習をどうするか、それが気掛かりだった。何か、白んだ景色を見たような気がしたが、その内容は既に消え去っていた。全くもって思い出せない。
今回、予言を失敗しかけた。
集中力が足りなかったのか、予言を目一杯こなす身体が足りなかったのか、多分両方だ。
何が起きようとしたのかは、思い出せなくても、痛みと、頭の中がぐちゃぐちゃに崩れていく感覚は残っている。あれは何度もやってはいられない。
死ぬんだ。八歳のライラックの限界だ。
どうにかしなければならなかったから、人の目の色の変化など気にしてはいない。
子供部屋で、頭を使う。
「……練習したくない。やりたくない。予言なんて僕にやれる訳なかったんです。誰も教えてくれませんから……ですから、いりません。もういらない。やりたくない……」
利き手の右がぱっくり割れて、左手でやる、何かをすることがとても難しい。右でドアノブを掴んで、痛みでびっくりして離す。服を脱ごうにも一々痛い、利き手だのでペンも持てない。
家に帰ってから、朝にした約束の通り妹のアイクルーに左手を貸してあげている。右手は使い物にならないし、子供部屋で、何も出来ずに額を膝に擦り付けた。ずっと痛いし、色々と、考え事しか出来ないでいる。
夕飯を食べなかった。
日課の予言は制限された。依頼が無ければするなとタスキ団長に言われている。それは守らされる事実だろう。
禁止だ。やるな、と。
ライラックは予言の練習の仕方を考えないといけなかったのだが、失敗を失敗のままにしておけない危ない力なのだから、気掛かりを解消しなければならなかったのだが、誰も聞いていないと思って、泣き言を言う。
放り出した利き手がずっと痛い。頭が痛かった。
無力感に項垂れている。
「……にいちゃん?ねてる……?」
「……いいえ、おはようございます。今日は泣いたんですか。何かあった?」
目元を腫らしたアイクルーがライラックの左手を握って、さっきまでくったり寝入っていた。タオルケットにくるまっていた状態だった。起きないだろうと思っていたので、油断していたのだ。
息を殺して、アイクルーが安心出来るように柔らかく目を覗く。
横向けに見つめれば、ライラックとよく似た睫毛がぱちぱち揺れた。泣き言を聞かれてはいないらしい。
「外、出るってママが言ってたから、がんばってね、ドアの前まで歩いたよ。がんばってお昼は、スープをのんだよ。でも怖くって、兄ちゃんいないし、ひとりぼっちだし、怖かった……怖かったっていったら、ママがだっこしてくれたんだよ」
「そう。がんばりましたね。君は偉い子です、とっても良い子です」
「やったー……」
地べたでまた、うとうとと寝ようとするアイクルーに言う。
「ちょっとだけがんばって、アイクルー。ベッドまで歩ける?」
「…………やだ、兄ちゃんだっこ」
素直にぐずるアイクルーをそのまま寝かせてあげたかった。抱き上げて、落としてしまったり、痛いと口走って眠気を飛ばしてしまうのはどうにか避けたかった。ライラックは仕方なく、子供部屋の扉の先を探る。話し声がすればリーラを呼べば代わりに運んでくれるだろうし、内容によっては我慢して、自力でアイクルーを抱えないといけない。
扉一枚、リーラとジュヒーは声を聞き取れないと判断しているようだった。ライラックには大抵内容を聞き取る事が出来る。言葉に関しては聞き取る力が付いていたし、耳もよく機能している。
その事実をライラックは、リーラとジュヒーにも、誰にも話したことがなかった。聞ける言葉が減ると思ったからだ。そしてそう思ったのは別に、間違ってないだろうとわかるのだ。
予言の練習をするために、ライラックは必死だったのだ。
啜り泣く音が、扉の先で続いている。
「……ねぇ、ジュヒー。ライラックを連れ回す事は止めて欲しいんです。アイクルーがずっとライラックを呼ぶの。怖がって歩けないから外にも出せないし、帰って来たら孤独の反動で酷く泣くんです。毎日、毎日よ。貴方が仕事をやらせてるのは私達の為だとわかっていますけど……」
「男が仕事を覚えるには早い方が良いんだ。後先を考えるのが親の仕事だろう……どうして泣き止むまで面倒見れないんだ」
「私に懐いていないんですよ、私では不安になるんです。わかっていますけど、耐えられないのよ」
「……まずは子供の事だろう。ライラックだって、何もさせないのは不安になる子だ。今あの子は予言を封じられて考える事が無いし、腕を怪我して組紐を編むのも、訓練に参加する事も出来ない。家に閉じ込めるより外に出したいんだ」
「こんなことは言いたくありません、言いたくないんです、ごめんなさいジュヒー。私あの子を産むんじゃなかった。貴方の子供を疎んだりするなら、こんなことはしたくなかったの」
「リーラ、君がそんなことを言うなよ。いい加減にしないか」
「もう、替わって下さいジュヒー……こんなこと言いたくない……替わって下さい、お願い……」
椅子が静かに床を擦る。ジュヒーが立ち上がって、リーラの傍で寄り添っているのだろう。
あの場にライラックは入れない。
「……アイクルー、頑張り屋さん一回起きましょうか。風邪をひきます」
「うー……?やだの?兄ちゃん」
「自分でベッドに行ける偉い子誰かな。肩まで毛布をかぶれる人、知ってる?」
「うーん?わたし、わたし……えらい子できるよ……まかせて兄ちゃん……」
「流石です。大したものです」
寝ぼけた目でアイクルーが左手を引く。並んでいるベッドの間で手が離された。アイクルーがベッドによじ登っている内に、さっさと自分の毛布にくるまる。
おやすみと言って、早々に目を閉じた。アイクルーはそれを真似して、きれいに目を閉じる。兄と同じだ、と感じるらしく、そうすると直ぐに寝てくれる。
日課の世話をしてる内に、何個か気付いた。確率が高いやり方があるという事だ。
アイクルーのおやすみは、聞けたり聞けなかったりだった。誰かの真似が、アイクルーは得意じゃない。
息を殺して、身体の力はぬいて、考え事をする。
リーラとジュヒーの相談会。
会話の意味。知らない言葉がいくつもあった。
言葉の勉強をしても、出てきたり、習ったりしない言葉だった。勉強に使った本には書かれていなかった。
今読める本には使われないのだろう。リーラとジュヒーの言葉は、勉強になる。沢山話している所を取り込みたいと思う。それが予言の練習の一つだ。
無駄じゃない。必死だから、必要な事だ。
「……」
そっと瞼を開いて、アイクルーを見つめる。
母譲りのモーヴシルバー、父に似た目元と睫毛の形。ライラックとよく似ている、受け継いだ形だ。
同じ立場である。兄と妹、性別は違っても、母と父の子供だ。
同じ立場だと思ってほしい。
「……」
考える事が必要だった。
教えてくれないのだとしたら、アイクルーの事を考えないと、この子は恐怖の中にずっと居なければならなくなってしまう。落ちて、潰れてしまうかもしれなかった。ライラックが何もしなければそうなるのだろう。
考える事に必死だった。
リーラとジュヒーの言葉は勉強にはなるが、たまに苦しみばかりがライラックを襲う。
ライラックの限界は、常に耳元で囁いた。死んじゃうんだよ、ママも、パパも。アイクルーが泣く時に、よく口に出す言葉の一つだ。泣いている声は、言葉の力が強い。思い出すと、そうは忘れられない言葉の形だ。
アイクルーが泣かないで済む何かがほしい。
探さなければならない。そう決意して、らいらは眠りについた。




