サラの奔走
「お早うございます、ブルートさん」
「おう、早いな」
「何をしてたんです?」
ブルートさんが立つ場所には、昨日行われた歓迎会の名残が唯一残されていた。
「消しちまうにはもったいねぇかなってな」
「そうかもしれません」
描かれた人物は変わらず祈りを捧げている。それでもその人物が描かれた時にはなかった書き込みが、中央にある。
「アイツはなんだ、友達でも欲しいのか?」
「その認識で語弊はないと思います」
僕の名前と天使さんの後ろについた様が、大きくバツ印を受け、その横にでかでかと『さん』と可愛らしい字で書き込まれていた──そのギャップが微笑ましい。
「難しいだろうな」
「やはりそうですか」
「まず環境がそうさせねぇだろうし──それに褒められたもんでもねぇ」
「……僕は少し改めるべきでしょうか?」
「いや、そうまでは言ってねぇ。天使のヤツの人気が、少し気の毒になる程なのは事実だ。だがそれとは別問題で不人気というか、軽視されるようになるのは困る」
「いずれ本当の天使、先生になるためですよね」
「そういうこった。今の所、オマエはその点だけ見りゃバランスがいい。皆がオマエくらいなら何も心配することはないんだが、こればっかりはなー」
「僕に何が出来るでしょう──」
そうだ、忘れてはいけない。いずれ天使さんはそういう立場になるんだ。その時がいつでその時に僕がどうなっているかは分からないけれど、彼女の邪魔にだけはならないように──出来るなら、彼女の力になっていられるように過ごしていたい。
「カハッ、どうすべきかではなく、何が出来るかときたか──オマエは本当に変わり者だな。だったらこう言っておこう。オマエに余裕があるなら、アイツを見守っていてやれ。無茶をしないように、いき過ぎないように、それがアイツの望みならオマエ等二人は望む結果を得られるだろうよ」
「はい──といっても今朝は少し待ったのですが、昨日のように来られなかったのでこうして先に来てしまいましたけどね」
少しぼやかされたという実感がある──それでも、今のままでいいと言ってくれたことに僕は喜びを感じている。
「ああ……、アイツは今日一杯は無理だろうな」
「と言うと?」
結局僕は……今は、仕方ないと割り切るしかないか。
「ヴィオラに絞られてる」
「あぁ……」
昨晩、ブルートさんに正座させられて萎縮する天使さんが思い出される。
「オマエは気にすんな、昨日の件は全面的に天使が悪い。酒云々を言うつもりはないが、アレはよくないな」
「お酒は許されるんですね」
「そらそうだろう。神さんだって大好きなんだ、飲んで悪いことなんてない。ああやって酔っ払うのが許されないんだよ。まぁ、学生のオマエたちが呑むのはどうかという声もあるにはあるが、オレはそこまで悪いとは思わん」
「そんなものなんですね」
「天使ごとに色々さ、それでも目くじら立てて怒るヤツはいねぇさ。天使のアレは別だがな」
「次があれば気をつけます」
「昨日も詫びたろ、何一つオマエは悪くなかったんだ。オマエが気をつける必要なんて本当にないぞ」
「いえ──天使さんを、です」
「ハン、そこまで余裕がありゃ何時でもクラス替えの手続きはしてやる。冗談抜きで今すぐにでも構わないが──どうだこのクラスは?」
「まだ一日ですからね──出来るなら昨日来ていなかったクラスメイトとも顔合わせくらいはしたいなと思います」
「──そうかい。それならオレよりユウシのヤツに聞いた方がいいな」
「委員長ですか、そうしてみます」
「今からでも行くか?」
「いえこんな朝一番ですし、ほら」
この学園の朝を迎える鐘が響く。
「そうかい。馴染んだんだか、馴染んでないんだか──まぁいい、始めるか」
「委員長少しいいですか?」
「おっ、なんだい?」
もう少しで午後の授業が始まるけど、朝の件を聞くには充分だろう。
「昨日来られなかった四名と軽く挨拶したいのですが、どうでしょう? ブルートさんに委員長に聞けと、言われたもので」
「それは、良いことだと思うよ──唯、相手にされなかったり邪険に扱われたりするかもしれない。その覚悟はあるかい?」
もちろん、そういう事があると覚悟している。それでも、これはきっとやらなければならないことだと思うから。
「はい、それが一つの指針になると思いますから」
「そうか──すまない、少し君を脅かすようなことを言った。四名の内、三名はね、大丈夫なんだ。転校生が来たこと自体は皆に伝えてあるし、挨拶程度なら問題ないと思う。問題は残りの一人なんだ、誰かからウルスという名前を聞かなかったかい」
恐らく、クラスで一番その罪を体現する人──正直に言ってしまえば、僕はその人とこそ、話さなければと思っている。
「サラさんから、少し」
「どの程度聞かされたかは分からないが、ウルス君ばかりはその限りではない」
「つまり、相手にされなかったり邪険に扱われたりするかもしれないと?」
「それで済めばいいんだがね……僕が初めてウルス君に会いに行った時は思いっきり殴られた、あんな風に人は飛ぶんだと他人事のように思ったものだ」
どんな怪力男なんだ……。
「そ、それでも一応」
「そうだね、君の考えも分からないでもない。僕が一緒に行ければいいんだが、ちょっとあってね……」
「では私が一緒に行きましょうか?」
「サラ君」
「サラさん、いつの間に」
「すいません、お二人があまりに真剣に話してたもので声がかけれず──委員長が初めて会いに行った、辺りからです」
「サラ君、一緒に行くとは?」
「心配しないで下さい──深い意味はないですよ。唯、タチさんが行くというのあれば、です」
「──分かった、君に任せよう」
その少し婉曲ともとれる会話に、疑問を抱かない訳ではなかったけど、僕が口を挟むことではないと成り行きを見守った。
「それに、女の子の私がいればウルスさんも無茶はしないと思いますし、フォローも出来ます」
「そうかもしれないね──じゃあこれが他三名の名前と部屋の場所だ、一応渡しておく」
「他三名ですか?」
サラさんに事の成り行きを説明し終える頃には、この日二度目の鐘が鳴った。
「三人とも上手くいきましたね」
「はい、逆に謝られたりもして少し申し訳なかったくらいです」
正直、拍子抜けした程だった。
「悪いと思ったのなら、謝るのは普通でしょう?」
「そうですね。僕はてっきり相手にもされないくらいはと、考えていました」
三人ともが思い思いの時間を過ごしていたけれど、腰を上げ、手を止め、起き上り対応してくれた。
「そんなこと、誰もしませんよ。ここに来たばかりの方ならそういったこともあるかもしれませんが、今いるみんなは既に歓迎会を終えてます。それに本当はみんな、誰かと触れ合っていたいんです」
「そうなんですか?」
「今までの三人とも部屋の鍵がかかってなかったと思います」
「そう、だったかもしれません」
「あれはですね、委員長を迎え入れるためなんですよ──自分たちが応答出来なくても、委員長が入って来れるように」
「委員長はそうして皆さんを気にかけているんですか? まさか三人だけでなく全員──」
「はい、それも毎日です」
「それは……、とても僕なんかには真似出来ない行いです」
それは既に怠惰でもなんでもないのではないのか?
「はいっ、私たちのクラスの自慢の委員長です──……次は、いよいよウルスさんですね」
「……サラさんは、ウルスさんとどの程度の親交があるんです?」
不審な言葉が自然と浮かんだが、静かに飲みこんだ──その言葉はきっと、何かの歯車を狂わせる。
「えーと、……実は今日が初対面です」
「えっ、それなら……なんで」
「い、いえですね、そもそもウチのクラスでウルスさんとちゃんとした親交があるのは委員長だけなんです。その、委員長が行かないのであればこの機会に私も挨拶をしようかと……。すいません、私っ」
「いえいえ、決して責めているんじゃないんです。唯、それなら委員長の件もありますから僕の後ろでいて下さいね」
委員長が殴られたという話を聞いてなお、その彼に挨拶をしたいと思った理由を改めて問うべきか悩んだが、目の前には既に集会所──元い、ウルスさんの部屋が見えていた。
「大丈夫です。難しそうなら二人で逃げちゃいましょう」
「ええ、委員長にもそう言われてます」
とは言っても、そうなってもらっては困るのも事実だ。彼には僕という存在の評価を尋ねたい。尋ねることが出来なくても、彼という存在を観察し指針を得たい。
祈りにも似た気持ちでドアを叩く。
「こんばんわ、転校生のタチと申します。今日は挨拶に伺いました、失礼してもいいでしょうか?」
一息分の緊張が支配し始めた所で声が聞こえた。
「……なんだぁ、さっさと入って来いよ」
「良かったですねタチさん、入っていいって」
「え、ええ……──失礼します」
いや、何かが違う気がする。何だ?
「暗い、ですね?」
「えぇ──あっ、と、と」
そんな思考は、部屋に散らかった惨状とも呼べる有様に空しく掻き消された。
「お前がしばらく来なかったらな、散らかしっぱなしさ──で何だ、昨日は久しぶりに来たくせにさっさと帰りやがって」
「あの、転校生のタチと申します」
分かってしまった──まずは声、言葉使いは荒いけれど、どこか艶のある声色は女の人の声だ。そして彼女は恐らく、僕を委員長だと思って入室を促した。
「──ああ、お前、なんだ?」
「すいません、転校生のタチです。挨拶をと思って伺ったのですが……」
「…………ふぅ、まぁ招いたのは確かにアタシだわな──一つ、後ろの女は何だ? 二つ、ユウシの奴に何を吹き込まれた?」
「私は──」
「煩いっ、お前には聞いていない」
拙い。答えに窮すれば彼女にまで被害が及ぶ。
「彼女は僕の付き添いで、出来ればこの機会に挨拶をと」
「で?」
「えと、委員長にはこれと言っては特に。今日は、昨日の歓迎会に来られなかった方に挨拶をしてまわっています」
「最後に一つ、彼奴は消えたのか?」
消えた……? それは卒業の事を指すのだろうか?
「それは卒業した、ということでしょうか? であれば、委員長は未だ在籍していますが……」
「──あぁ、大体分かったよ。お前も少し変わり者だってのは見れば分かる、だがな──」
この場所は元々、集会所として使われるべく設計された部屋だ。私室の間取りとしては相応しくない。故に、彼女の怒りを一身に受けたソファは間取りに邪魔されることなく一直線に出入り口の戸へと向かう。
一体どういう理屈で女性が、この夢に見るような力を発揮出来るのか。
「ふっざけんなよっ、ユウシっ! お前、誰がこんなこと頼んだっ」
轟音が学生寮を突き抜ける中で、彼女の絶叫が委員長に届く可能性など絶無だ。それでも僕の耳には──心、には彼女の声の方が響いた。委員長に届いていると、そんな確信があった。
「あの……」
「すまない、此方のゴタゴタに巻き込んだみたいだ。すまないついでに悪いが席を外してくれ、すぐに彼奴が来る」
今日は、これ以上は何も望めない。それが今の僕と彼女の距離であり、この距離を縮める時間と必要性はあるのか──この先の身の振り方は、少し落ち着いて考える必要があるみたいだ。
「サラさん行きましょう」
「は、はい」
「タチ君っ、サラ君っ!」
ここまで全力疾走だった筈の委員長が、惨状を越える一種の現場を越えながら声を上げていた。
「心配すんな、別に何もしてない」
「いや、これを──いやそれも今更か、少し処理をしてくる」
「ああ──逃げるなよ」
「タチ君、サラ君、すまなかった。僕の見通しが甘かったみたいだ。タチ君、ここは僕が始末しておくから彼女を頼めるかい」
「はい──すいません、結局迷惑をかけてしまって」
「……いや、本当に僕が悪いんだ。ではそっちは任せたよ」
そう言って背を向けた委員長の顔には、少しの諦観と微かな安堵が見られた。それはきっと僕達に向けられたものではなく──委員長の素の顔だ。僕はこの時初めて委員長ではないユウシさんという人物に触れた気がした。
そしてそれらの感情がどこから生ずるのか、僕はこれから知ることになる。
「失敗──でしたね」
ではどうすれば成功を収められたのか──難しいな。恐らくだが、彼女が心許し来訪を望んでいたのは委員長だけだった。少なくとも今日は、どんな形で訪ねてもこの結果になった筈だ。
「今日は仕方なかったんだと思います」
「……私、ダメですね。何も出来なかった」
「それもあの状況では仕方なかったと思います」
「タチさんっ、大丈夫でしたかっ!」
あれだけの轟音にも関わらず大きな混乱もなく、こうして駆けつけた天使さんが素早く僕達を見付けられたのは幸いだった。
「ええ、大事ないです」
「サラさん……?」
「天使さん──私も大丈夫でしたよ。ただ、今日は少し疲れましたので部屋に戻ります」
このままサラさんを行かせてしまってもいいのか? 明らかに先程から様子がおかしい──あの時と同じだ。昨日委員長について答えた時も、彼女はこうして思い詰めたように、深く暗く感情を閉ざした。
「駄目ですっ。サラさん、全然平気そうじゃありません」
「そんなことは──」
そうだ、何を悩む必要がある、変わると決めたんだろうあの日。そしてその誓いをここで果たすと、安維ならここで何と言うだろう──
「サラさん、僕で──いえ僕と天使さんで良ければ話を聞きますよ。あなたの悩みは、僕ではどうだか分かりませんが、天使さんであれば少なからず力となる筈です」
「へ?」
言葉は自然と形となって口から零れた。
そうだ、安維ならきっとこう言うに決まってる。天使さんもきっと──頷いてくれる。そんな確信にも似た気持ちがあった。
「それは、天使様に迷惑でタチくんには……」
「タチさん、あなたは──……いえ、今はそんな事よりサラさんっ、また戻ってますよ」
「……すいません」
「いいですか、何時如何なる時も私達天使はあなた達の声を聴きます。それが役割であり、あなた達に与えられた等しい権利です──それがどんな悩みであれ私達天使は受け入れ、道を示します。それがこの学園における天使なのですから」
「もしも僕がいて邪魔なようであれば、僕は話を聞かないし今日の事は忘れる──だから頼って下さい」
「──……天使さん。タチくんも、聞いてもらえますか? 私の話」
どうしてだろう? 何もかもか違うのに、何もかもが悲しい筈なのに──何もかもが、いつかを思い出して心が潤う。
「喜んで──ね? タチさん」
「はい」
礼拝堂に移動しようと提案した天使さんが、どこか誇らしい表情で寄ってきて『先を越されちゃいましたね』とだけ耳打ちをした。その事実にまた、心が──
「私は、この学園に来たばかりのタチくんを利用して、委員長の様子を窺っていた自分一人では何も出来ない最低の女です」
開口一番──息継ぎすら惜しむように吐き出した言葉は、どうやら僕にも無関係ではないらしいことが窺えた。
「どういう事なんです? 委員長さんの様子を窺うとは?」
「私の想像にはなりますが、委員長は既に卒業し得る資格を得ています。それもかなり以前から」
「それは……──えぇ、きっと間違いないでしょう」
天使さんはその想像を是と言う──であるならばきっと、それは真実なんだと思える。
「少しずつだったんです。朝の挨拶が今日は昨日より遅く、明日はまた今日より遅く──そうして今では昼を間際に迎える時間にまでなりました。それでも私は何も出来ませんでした。委員長に問い質すことも、皆に声をかけることも」
「──そこに現れたのがタチさんだったんですね」
クラスの自慢だと言っていた委員長に、そんな変化がとは驚けない。僕でさえ薄々気付いていた筈だ──……その矛盾に。
「はい──なんの偶然か意図か、私がタチくんを学生寮まで案内することになり、そしてタチくんは特別だった。タチくんという特別に守られながら、私は委員長にこれまでにない程に詰め寄った。それが結局徒労に終わって、後は彼女に──ウルスさんに尋ねるしかなかった」
「何をでしょう?」
彼女が呟いた失敗とはそれのことで──きっと、それこそが確信だった筈だ。
「委員長がウルスさんの部屋だけは訪れなくなった、その理由をです──ですが私は先程気付いてしまいした。私は結局何一つとして、自分一人の手で行動を起こしていない。タチさんがここに来なければ、今も私は怠惰にその日々を過ごしていた…………ウルスさんには、不思議な力があると聞いています。きっとそれがウルスさんに伝わったんでしょう、結果が先の通りです」
「では、今をもってサラさんは自身の手で行動を起こしたことになりますね」
委員長が矛盾を抱えているのには、僕も気付いていた。
「それはっ──」
「タチさんが尋ねたからですか? タチさんであれ罪人です──そのタチさんから先の言葉を出させたのですから、あなたの行いはタチさんの持つ罪を上回ったんです。その理屈は分かりますね?」
それに目を瞑り続けていたのは僕も同じだ。
「……はい」
「それでも、私はタチさんを利用して、」
「いいですよ、そんなことであれば僕をどんどん利用して下さい。サラさんの気持ちは至極正しいものだ──一人で出来ないのであれば僕達を頼って下さい、折角こうして縁があったのですから」
天使さんが言う理屈は分からないし、知らないこともまだまだ多いのだろうけど、これだけは自信を持って言える──いつかの日々に誓って。
「それは、でも、タチくんには目標が」
「ええ、ですからこの問題をもって一つの区切りとしましょう」
「タチさんがご不満と言うのであれば、私と二人で問題解決にあたりましょうか?」
いや、天使さん、それはまだサラさんにはハードルが……。
「こんな私でも──頼っていいのでしょうか?」
「はいっ、お任せ下さい」
「えぇ」
どうやらこの先の身の振り方は決まったらしい。未だ何をすべきかは不明のままだけど、これがきっと僕達にとって最良の道筋だ。




