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Epilogue 天使の声

 退院。それは即ち完治という訳では無かった。病院の外に出ても最低限の生活が出来るというだけで、闘病生活はその後も続いた。週に2回の輸血と検査を受け、片手では収まりきらないような薬を、朝晩飲み続けた。


 それと一緒に受験勉強もしなければならかった。春から準備しなければならなかった、受験を夏に始め、しかも貧血と共にやらないといけなかった……正直言ってしんどかった。


 闘病と受験。ここで両方克服したと言ったらドラマチックだが、本当の事言うと受験は失敗した。M学院を補欠では受かったが、自分自身でも納得出来なかったので両親に頼んで、浪人させてくれと頼んだ。


そんな敗軍の兵士のような僕に両親はただ『頑張れ』と反対も何もせずに、応援してくれた。本当に両親には感謝してもしきれない。闘病中も傍で僕を励まし、受験期も闘病も応援してくれた。


 闘病に関しては本当に順調だった。時間が経つにつれて、薬や通院の回数も減っていった。学校生活でも、2学期の後半までは体育は禁止されていたが、回復の早さのせいか三学期には柔道以外のスポーツをする許可を堀川先生が出してくれた。


 ま、先生には黙って柔道に参加したのは内緒である。柔道好きなんですよ、マーベリックは。入院しなければ、初段を手に入れてたのにな……


 こんな風に僕の退院後の闘病生活は順調に進んでいった。


 そして、2013年の3月1日。


 僕は高校を卒業した。


 そこで僕は母親を泣かしてやった。クラスの卒業パーティの会場でだ。公衆の面前で泣かしてやった。どうやって泣かしてやったかって?そのいきさつをこの場を借りて書こうと思う。

 

卒業生の出し物で、File7に登場した『ハカ』というニュージーランドの伝統的な民族舞踊をやる事となったが、当然卒業生である僕も参加する事になった。


その時、僕はかなり嬉しかった。だって、これを皆が発表した体育祭で、僕は病気のせいで観客席で見る事しか出来なかったから。こうやって、仲間と一緒に同じ事が出来る喜びは本当に言葉に出来ない物だ。


病気で死にかけていた僕からしたら大きな進歩。本当に大きな進歩だ。


 そして、開始前の円陣で僕は心の底から感謝の念……ここにいる友達、先生――そして母親への感謝の気持ちが体中を駆け巡った。


ここにいる彼らがいなければ、僕は多分孤独に押しつぶされていた。ここにいる彼らとまた会いたいと思ったから僕は病気を乗り越えられたのかもしれない。


なら……この場でみんなにありがとうと言いたい。


感謝の気持ちはそんな衝動に変わった。


そして……踊りは始まった。


膝を掌で打つ独特の踊り――入院していた時なら確実に内出血で膝が真っ青になってしまったはずだ。


僕は膝を掌で力いっぱい叩いた。治った事を確認するように。


 もうドクターストップも何もない。多少息が切れやすのは治っていないが、体は昔のように一応動く。


 そんな幸せを噛み締めながら踊った。


 踊り終わると心地よい汗と共に充実感が体に滲み渡った。本当に幸せだったと思う。あれほどまでに願っていた事がようやく叶ったのだ――それも彼らと最後の最後に過ごせるこの時間で。


 そして、皆の所を後にして、僕は会場の司会席にあるマイクを手にした。一応、この前にリーダーに言いたい事があるからマイクを使わせてくれと頼んでおいた。


「あ、あの……ちょっと良いですか?」


 この先の事は一言一句たりとも忘れていない、とはいかないが、一応覚えている限り書いていきたい。


「私事で申し訳ないですが、言いたい事があります。まずは、先生方……本当にこんな不出来な生徒をサポートしていただきありがとうございました。そして、みんな……本当にありがとう。みんなに会いたいって一心で、病気と闘えた。こんな素晴らしい仲間達を持てた自分は本当に幸せです。そして……お母さん」


 お母さん……母には感謝してもしきれない。何度も心配させたけれど、いつも笑顔で自分に接してくれた……毎日一号室の一番ベッドに通って僕を支えてくれた。


 数えきれないほどの恩にこの場を借りて、少しでもいいから報いてやろう。そう思って僕は言葉を紡いだ。


「こんな心配かけてばかりの息子だけど、お母さんがあのベッドに毎日来てくれたおかげで、今日こうやって、元気に高校を卒業できました。本当にありがとう。お母さんの息子で生まれた事を幸せに思います」


 これは本心だ。確かにぶつかった事は何度もあった。酷い言葉を何度もかけた……でも、今でもこの思いは変わらない。我ながら恥ずかしいが、公衆の面前で母親にこんな事を言ってしまった。


 これが、母親を泣かした経緯である。


 言いたい事を言い終えた僕はぺこりと一礼。そのまま上座から退散しようとした。


 退散しようとした……が。


「かーらーの!?」


 お調子者の女子たちの無茶振りをマイクを握った僕に待ち受けていた。マイクを握ったからには歌うなり、一発芸をするなりしなければならない、みたいなルールがこの会にはあったようだ。


「え、あ……じゃ、僕は歌えませんし、一発芸もこの場を沸かすギャグなんて持ち合わせてません……ので」


 歌も下手だし、ギャグも持ち合わせていない。でも、これならある。


「モノマネをやります。じゃ、まず皆さんご存じのジャック・バウアー!!」


 その後、会場はそれなりの笑い声で満たされ、僕の気分は本当に良かった。皆が笑ってくれる事は僕にとっての最高の幸せなのだから。



 人生で最も辛かった時はいつですか?


 この問いには勿論、入院した時期と答えるだろう。でも、同時に一番濃厚だった時期もこの入院生活になるだろう。


 あの生活は辛くても楽しい?物だった。その証拠に、今こうやって当時を思い出しながらエッセイなんぞを書くことが出来ているのだ。


 今は紆余曲折があって関西の大学に通っている。そこでは勉学の他に合気道部とノベルゲームの製作サークルで活動している。


 体調は至って健康。そりゃそうだ。合気道なんかを出来る重病人がいてたまるもんか。そして、ノベルゲーム製作サークルでは、この入院生活を題材にした『Angel Voice』という作品のシナリオを書いた。


 そんな僕があの生活で学べた事は二つある。


 受験のチャンスや高校生活最後のイベントをいくつかを奪われ。でも、それを補えるくらいに大切なことを学べたのだ。


 まずは、当たり前は当たり前じゃないという事。


 本当に健康でいられる事は幸せなんだ……今、こうやって『当たり前の大学生活』をエンジョイしていると心の底からそう思える。だから、一日一日を以前よりも大切に思えるようになった。


明日は何が解らない……なら、今を精一杯生きよう。心からそう思えるようになったのだ。


 そして、『人と人との絆』のありがたさだ。


 何度も病気の重篤さに絶望して、心が折れてしまいそうになった。心が腐って、地獄に落ちてしまいそうになった。でも、そんな時に心を繋ぎとめてくれたのが、周りの人の声だ。


 それは僕にとってはまさに『天使の声』だ。


 同病の患者さんや看護師さん、仲間と家族。色々な人の声が僕の支えとなり、この病気と闘う力となった。


 まだ完治はしていない。でも、今は普通の人より血算が低い程度で、大学生活には支障のないレベルだ。


 本当にありがとう……心から感謝している。


 多くの人に支えられながら、僕は今を生きている。いや、生き続けているのだ。そんな当たり前だけど、掛け替えの無い事を僕は学んだのだ。


 あの一号室の一番ベッドで。


完結しました。


長い間、こんな稚作にお付き合いいただき、心からお礼を申し上げたいと思います。最後に感想の一つや二つほど頂ければ作者冥利に尽きます。


ちなみに現在もネオーラルという薬は服用中ではありますが、あと一歩で薬を飲まないで大丈夫――つまりは完治するとの事です。


本当にありがとうございました、もし何か入院時に関する質問があれば感想欄かメッセージをお送り下さい。完結しましたが、それに関してのエッセイを書きたいと思います。           


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