不服
まるで泥棒が入ったのかと見間違えるほど物が散乱した暗い部屋の中、男が一人蹲っていた。大きな体をこれでもかと小さく折りたたみ、しきりに親指の爪を齧っている。
「……何であいつなんだ。絶対僕の方が……」
ブツブツと呟く男の目は瞳孔が開き、食い入るように何もない一点を睨み続けていた。時折、内側から溢れる苛立ちに耐え切れないのか、頭を乱雑に掻いたり体を揺すったりと、不穏な空気を漂わせていた。
この日、玥寧は窓から差し込む光に目を覚まし、むくりと体を起こす。虚ろな目でしばらくその場で舟を漕いでいたが、ガクンと勢いづいて首が前に倒れるのと同時にパッと顔を起こした。と、同時に腹の虫がここぞとばかりに大きな声で鳴く。
「……腹減ったなぁ」
緩慢な動きで布団から抜け出ると、二日前に受け取った野犬退治の報酬で、大量に買った食材の壺を開く。
少し前まで貧相な物しかなかった壺の中は、今では十分すぎるほどの食材で潤い、見ただけで当面の間は大丈夫だと言う安堵感が生まれる。
「さて、何喰おうかな」
昨日買っておいた米と、採れたての野菜をいくつか手に取る。日頃から節制しているせいか、自炊をする時は決まって質素なものしか食べない。
鍋を火にかけ、中には米と水を入れて柔らかくなるまで煮たてる。塩などの調味料を入れて干しホタテと別湯でした青梗菜、乾燥キノコを少しばかり入れれば、香りのよい朝粥が完成する。
「頂きます」
アツアツの粥を木製の器に盛って、仕上げに塩とごま油を少し垂らし、お茶と共に食卓についた玥寧は少しずつ食む。
「うまっ!」
一口頬張っては噛みしめるように味わい、ため息と共に朝からまともに食事が取れる状況に有難みを覚える。塩以外の味の付いた朝粥は久し振りだ。
「……もうちょっと食おうかな」
一杯目を食べ終え、残った粥を入れようと椅子から立ち上がった時、玄関のドアがノックされる。
玥寧はレンゲを咥えたままドアを開くと、そこには承武が立っていた。
「お。美味そうな匂い」
その言葉を聞くが早いか、玥寧は無言のまま勢いよくドアを閉める。
『おい! なんだよ! まだ怒ってんのか!?』
慌てたような、少し苛立っているようにも聞こえるが、玥寧はご丁寧にもしっかりと施錠して再び粥を取りにかまどへと向かった。
怒っているに決まっている。あの野犬退治は、誰の手も借りず自分一人の力だけでどうしてもやり遂げたかった初仕事だったのだ。それをまんまと掠め取られただけじゃなく、しれっと成果報酬だけを受け取る形になったのだ。
報酬を得た。当面の暮らしは大丈夫と言う保証もできた。通常なら御の字だと思うだろうが、それが玥寧にとって屈辱以外の何ものでもない。
――確かにちょっと油断してたけどさ。
おかげで母親に手紙を書く気さえ失せてしまった。
だからと言って承武が憎いなんてことは思ってはいない。が、感謝もしない。
ただ、思い出しただけでも腹が立つ。
玥寧は器によそった粥に、感情のまま勢いよくレンゲを差し込んで山盛り掬い、大して冷ましもしない内に思い切り頬張ると、分かっていたはずの熱さに目を白黒させた。
『そんなに怒んなよ。せっかく菓子持って来たのに……』
承武の「菓子」と言う言葉につい耳が反応する。
『あ~あ、いらねぇんだな~。南魏の珍しい菓子なのに。このまま捨てるのは勿体ないから、星漢にあげるか~』
ワザとらしい言葉に、席についていた玥寧は素早くドアに近づくと鍵を外して、僅かに戸口を開く。すると、承武はその隙間に手を入れてニヤリと笑った。
「引っかかってやんの」
サッと玥寧の顔に影が差し、怒りの色を露わにする。
再びドアを閉じようとするが、相手は武道の達人。その御仁の筋肉に敵うはずもなく、扉は閉まらない。が、玥寧も負けてはいない。戸口の柱にどんと足をかけ、渾身の力でドアを内側に引っ張っていた。
「おいおいおいおい! やめろって! お前、傷が開くだろ!」
あまりの剣幕に承武の方が狼狽えた。
今のは笑えない冗談だし、嘘を言う方が悪い。
「悪かったって! ちゃんと菓子はあるから!」
そう言いながら隙間から見せられた菓子の箱に、玥寧は引っ張っていたドアノブからパッと手を離した。
「うおっ!?」
突然力から解放されたドアは、承武の引っ張る力で勢いよく開き、不意打ちでバランスを崩した承武はその場にひっくり返ってしまった。そんな彼の傍に立ちはだかった玥寧は、口の端に粥の粒を残したまま蔑むような目を向けてくる。
「……そんな菓子一つで許されるなんて思うなよ」
そう言いながらもずいっと手を差し出してくる玥寧の言葉と行動の矛盾。承武は思わずぽかんとしてしまったが、次の瞬間には噴き出した。
「……」
再び玥寧の顔に怒りの色が滲む。
「分かった分かった。俺の負けだよ。ほら」
そう言いながら立ち上がった承武は箱を開け、中から包装された包みを一つ手渡した。
ずっしりとした重みを感じる包みと、何とも言えない甘い香りに玥寧の表情が途端に緩む。
「けど、半分だけな。あとの半分は星漢に買って来たんだ」
「中は何だ?」
「鳳梨酥って焼き菓子だよ。パイナップルケーキ」
「鳳梨酥……初めて聞いた。食ってもいいか?」
「お前、今朝飯食ってる最中だろ?」
「食い終わったからいいんだよ」
ムッと顔を顰め、包みを開くと四角くて黄色い形のケーキが見える。一つを口に放り込むと、表面はサクホロとした生地に包まれ、中にあるパイナップル餡のむちっとした食感と、口に広がる甘味に玥寧の目が一瞬にして輝いた。
「……うんまぁああぁ!」
あまりの美味さに、玥寧の機嫌の悪さはどこかへと吹き飛んだ。
「なぁ、それ、ほんとに星漢やるのか?」
星漢のところへ行くという承武に、玥寧はついて行っていた。
彼の手にある先ほどの菓子がとても気に入った。本来は星漢のために買って来た菓子の半分を手に入れておきながら、卑しいと思われるかもしれないがそれほどに玥寧を魅了している。
「あのな、お前にはもうやっただろ?」
「貰った。でもそれも美味かったんだよ」
「また見つけたら買って来てやるから、これは諦めろ」
承武の背後で、玥寧は口を尖らせた。




