石
「はぁ~! 食った食った!」
久方ぶりにしっかり満たされた腹に、玥寧は大満足な表情を浮かべて外に出る。外はすっかり日が傾き、家へ戻るための道もランプを持たなければ見えないくらいになっていた。
「ほれ。おまけもらったぞ」
会計を済ませて後を追うように出てきた承武は、店のおばさんから貰った飴を玥寧に手渡す。白い包みに入っているのは、竜髭糖が二つだった。
「承武はいらないのか?」
「俺は甘いのは得意じゃないからな。それは全部にお前にやるよ」
「ありがとう!」
玥寧は嬉しそうにすると、飴をそのまま鞄の中に捻じ込んで承武と並んで歩き出す。
店を出て坂を下り、最初の分岐点でふと承武が足を止めた。
「おい」
「ん?」
「お前んち、そっちじゃねえだろ」
三叉路で右に曲がれば玥寧の家へ、左に曲がれば承武の家へと続く。ところが、玥寧は自宅への道には行かず真っすぐに進もうとしているところを呼び止められ、気まずそうに振り返った。
「いや、ちょっと用があるんだよ」
「この先の畑にか? 何の用があるんだよ」
玥寧は苦い表情を浮かべる。
突っ込まれたくない部分ばかり鋭く突っ込んでくる。そう言うところが厄介だと思ってしまう。彼は武闘家なのだから、感が鈍いわけじゃない。
「ひ、昼間子安に野菜を貰う約束してたんだけど、用事があったから後で取りに行くって言ってあったからな」
「……ふ~ん」
苦し紛れの言い逃れだったかもしれない。
そう思いはするものの他にいい言葉が出てこない。だが、これ以上彼に踏み込んできて欲しくなかった玥寧は、ぷいっと顔をそらした。
「じゃあな! 飯、ありがとう!」
それ以上何も言われないようにそう言うと、一目散に畑の方へ向かって走り出した。
玥寧は走ってくると石垣の影に身を隠して、そっと承武の様子を窺う。幸い、追いかけて来ていないようだ。
ホッと息を吐くと、気を引き締めて畑を振り返り、昨日と同じ場所で待機をする。
――さぁ、いつでも来い。今日こそは追っ払ってやるぞ。
手の内に握りしめた護符を手に、野犬を待ち続ける。
しばらくすると玥寧の望み通り昨日の野犬は姿を現した。地面の匂いを執拗に嗅ぎまわっている様子は、昨日となんら変わらない。
玥寧は手元にあった小石を掴むと、わざとそれを野犬に向かって投げた。小石は野犬の少し左側に落ちたが、気をこちらに向けるには十分だ。
野犬は威嚇めいた喉を鳴らし、すぐに地面を蹴って駆け寄ってくる。
玥寧は護符を手に構えると、それを野犬に向かい投げつける。護符は命を得たかのように真っすぐ野犬に向かって飛び、顔面に張り付いた。
「太上老君の律令に従い、悪鬼退散!」
声高にそう唱え刀印を切れば、バチバチと火花が爆ぜる音が響き、閃光が走る。野犬の動きは止まり、痺れたように体を小刻みに震わせる様子を見れば、術は間違いなく効いていると確証を得る。
――いける。
玥寧そう確証した。
だが、その油断が致命的になる。
腕に伝わる衝撃があまりに強く、玥寧の腕に走った傷がその衝撃に耐えきれずに再び開き、包帯から滴り落ちる。強い痛みに顔が歪み、ついふっと力が抜けてしまったのだ。
術は正確に野犬を捉えていた。このままいけば真っ当に排除は可能だっただろう。しかし、先日負った傷が仇を成した。
術が解けた野犬は、より凶暴性を増して玥寧に襲い掛かる。
『――』
玥寧がすぐに別の護符を使い体勢を立て直すよりも早く、彼女の耳には届かない場所で呟かれた呪文が、玥寧が二度目に投げた護符に乗り、野犬の体を直撃する。
骨の砕ける音が響き、畑に叩きつけられるようにして倒れた野犬は濛々と砂煙を上げるその先で、そのまま息絶えた。
「……」
肩で息を吐いていた玥寧が、呆然とした様子でその場に立ち尽くす。腕から流れ出る血もそのままに、食い入るように息絶えた野犬を見つめていた。
――今のは、なんだ?
玥寧は、先ほどの術に違和感を覚えていた。
――あんなの、知らない。
自分の術と波動がよく似ている。知らない人から見ればどれも同じなのだろうが、玥寧の目には酷似しながら非なる術だと言うのが分かった。
「玥寧!」
ふと背後から声を掛けられ、そちらを振り返ると承武が立っていた。彼は素早く玥寧の腕の傷を見つけ、目を細める。
「お前、その腕……」
「な、何でもない」
玥寧は慌てて腕を隠すが、服にも滲むほどの出血だ。何もないはずがない。
承武は気難しい顔を浮かべながらも、砂塵が収まった先に横たわる野犬に目を向けた。
「何だあれ」
「野犬だよ。最近畑を荒らしてたんだ」
「……ありゃ、もう駄目だな」
承武は手にしていた六尺棒の先で野犬の体をつついてみる。しかし、ビクともしない様子を見ると完全に息の根を止めたようだ。
「お前も、そんな傷負って何してんだ」
「……っ!」
こちらに向き直った承武から、微かな術の波を感じた玥寧はハッとなって顔を上げる。
――こいつ、もしかして……。
その瞬間、玥寧はぎゅっと下唇を噛んだ。
「承武! 玥寧!」
後を追うように村長と子安も駆けつけてくる。そして玥寧と野犬の両方を見て、驚いたような顔をしていた。
「あ、こいつがやりました」
傍に立っていた承武は、平然とした顔で玥寧を指さしてそう告げると、後から出てきた村民たちから歓喜の声が上がった。
「玥寧、よく頑張ったな」
心底心配していた村長も子安も、そして周りの村民たちからも賞賛の声がかけられる。だが、玥寧は少しも嬉しそうな顔をしていない。
――これは、私だけの力じゃない。
それがどうしようもなく腑に落ちず、納得がいかなかった。ただ、悔しくて痛まない方の手を固く握りしめる。
人々から感謝された玥寧は、承武と共に家路に着いた。
暗い小屋に電気を灯し、家に帰り着いた玥寧は後ろをついて来た承武を振り返り、睨みつける。
「お前、何かしただろ!」
「何かってなんだよ」
突然怒り出す玥寧に、承武は驚くこともなく目を瞬いて見下ろしてくる。
「せっかく私の初めての仕事だったのに! 余計なことしやがって!」
「だから、何なんだよ。俺は何もしてないだろ」
「嘘を吐くな! お前から微量の術の気配があった」
真っ向から指を指され、今にも殴りかかりそうな勢いの玥寧に承武は両手を上げ、飄々とした顔を浮かべている。
「おいおい。俺が術を使うって本気で思ってんのか? 俺は道術なくて棒術しか知らねぇよ?」
「でも……っ!」
「でもじゃねぇ。そんなことより、お前の腕の手当しねぇと、ぶっ倒れる」
ムッとした顔をした承武は、腕から血を滴らせたままの玥寧を椅子に座らせると、救急箱を引き寄せて手当を始めた。
沈黙が二人の間に落ちる。
黙々と傷の手当てをする承武に対し、やはり納得がいかない玥寧は苛立っていた。
――こいつ、嘘吐いてる。
気に入らなかった。自分一人の力で片づけたかった仕事も、承武が平気でついた嘘にも。とにかくとても悔しくて仕方がなかった。
「……よし、できたぞ」
「お前とはしばらく口利かない」
「は?」
止血をして包帯を巻き終えた承武に、玥寧は怒りに満ちた顔でぷいっと横を向いた。
礼を言われるならばまだしも、口を利かないなどと突然言われては承武も困惑するしかなかった。
「おま……、それこそ何なんだよ!」
「……」
玥寧は、完全に拗ねていた。
野犬の亡骸の処理は村民たちによって行われていた。大きな体の犬を荷車に乗せようと、男たちが数人がかりで持ち上げる。
その様子を、少し離れた場所で手伝いに来ていた女性が何かに気付いた。持ち上げられた犬の口から、何かが落ちたように見えたのだが、何せ暗くて良く見えない。
「これで一安心だな」
男たちが安心したように犬の処理をしに向かうと、女性は周りの様子を窺いながら、先ほど何かが落ちたものを見つけに現場に駆け寄る。すると地面の上に一つ、月明かりに他の石とは違う光り方をする石が転がっていた。
「綺麗……」
女は息を呑み、もう一度周りを見回してからそれを拾い上げて空に掲げてみた。それは、月明かりを浴びて赤く輝く瑪瑙だった。




