噂
承武は子供の頃から何かと世話を焼いて来る。もちろん、彼が玥寧より年上だからと言うのもあるのかもしれない。
確かに子供の頃は右も左も分からないお子様だったから、世話を焼いてくれることで安心をしていたし、絶対的な信頼を置いていた。だが、今の玥寧にはそれをされたくはなかった。
――あいつにこのことがバレたら、絶対手を出してくるに決まってる。それだけは絶対させないぞ。
自分の実力を試せる絶好の機会であり、三年もの間、待ちに待ち焦がれた初仕事だ。一人の力で解決せずにいられるだろうか。
先ほどから気分の高揚感が続いている。これを潰されては堪ったものじゃない。
自宅へ戻った玥寧は、後ろ手に扉を閉めて肩に下げていた鞄をぎゅっと握り締めて不敵に笑う。
「決行は夜だからな。待ってろよ、野犬」
どうしてもにやけてしまう顔が自分では止められない。
玥寧は鼻歌交じりに鞄を机の上に置き、夜に備えてひと眠りしようと、敷いたままの布団に潜り込んだ。
興奮のあまり寝付けないかと思ったが、目を閉じてほどなくスヤスヤと寝息を立てて深い眠りに引きずり込まれていった。
どれほどの時間眠っていたか分からない。ふと、家のドアを叩く音に目が覚めて、寝ぼけ眼で玄関先に視線を投げる。
『おーい。いるんだろー?』
扉の向こうで、何とも間の抜けたような声がかかった。
窓から差し込む光の具合を見るに、そろそろ日が傾きかけるくらいの時間だろうか。もうそろそろ起きないといけない時間になってきているが、もう少し眠っていたい。
玥寧は眉間に皺を寄せ、どこか不服そうに小さく唸るともう一度頭から毛布をかぶって横になる。
『今から飯行くんだけど、行かねぇの? 奢るぞ』
その一言に、閉じていた目がパッと開く。
我ながら飯一つにつられてしまうのもどうかと思ってしまうが、何せ日々食べていく事に苦労している分、食い意地が勝ってしまうのは否めない。
玥寧は急いで布団を畳み、玄関先に向かって小さく扉を開いた。
「……男に二言はねぇな?」
確認するようにジト目で見上げる先には、先ほど別れた承武の姿があった。
「二言はねぇよ。つか、いつも奢ってるだろうが」
「だよな。うん」
にんまりと微笑むと、玥寧は嬉しそうに家から出てくる。
「で、何喰うんだ?」
「お前が喰いたいものでいいよ」
そう訊ねてみるも、村の中で食べるものと言えば、昼間饅頭を買いに行ったあの一店舗のみ。毎回外食と言えばその店になるため、店内のメニューはほぼ食べつくしてしまって、代わり映えはない。
それでも二人が行くのは決まってそこだった。
「いつものでいいか?」
「いつものしかないよな」
どちらからともなくそう言うと、ふっとどちらからともなく笑い合った。
「おや、承武に玥寧。いらっしゃい!」
元気よく出迎えてくれた店のおばさんが、食事の乗ったトレーを手に忙しく出迎えてくれる。
店内は、いつにも増してごった返していた。
ここにいる人間たちは皆顔馴染みばかりで、新顔は一人もいない。空いている席に腰を下ろすと、隣の席に座っていた男が承武に絡んでくる。まだ陽が落ち切っていないのに、すでに酒で出来上がっているようだった。
「おー! 承武! 帰ってたのか!」
「さっき帰って来たところだよ」
「そうかぁ。いつも村の為にすまねぇなぁ! よっし、俺が一品ごちそうしてやるよ! 何でも頼みな!」
ガハガハと笑う男に、玥寧も承武も遠慮がない。互いに顔を見合わせると、ほぼ同時に口を開く。
「じゃあ、豚の角煮で」
二人揃ってこの店で一番高い豚の角煮を注文すると、ごちそうしてやると豪語していた男が驚いたように目を見開き、やがて「容赦ねぇなぁ……」と困ったように笑いながら、こっそり机の影で財布を覗き始めた。
「今回の旅は、南の方へ行ってたんだろ? 南魏国まで行ってたのか?」
料理を待つ間、玥寧が先に注文していた茶を注ぎながら聞く。
「そうだな。近くまでは行った。この辺じゃ一番でかい国だからな。珍しい品物から外国の人間も大勢いて、まぁ賑やかだったな」
「ふぅん。何か珍しいものでも売ってたか?」
「まぁ色々な。珍しい宝石から朝廷御用達の菓子までなんでもござれだ」
「朝廷御用達の菓子……」
つい、その部分に反応を示すと、承武は机に頬杖をついて、いたずらっこのように笑う。
「お前、ほんと食いもんのことになると反応早いよなぁ」
「うるさいな。生きてくのに必死なんだよ」
玥寧がムッとした顔で口を尖らせると、いくつかの料理がテーブルに運ばれてくる。
空心菜の炒め物、豚の角煮に白饅頭、餃子や包子など、久しく見る食べ物のラインナップに玥寧の目が輝いた。
「頂きます!」
玥寧が遠慮なく食べ始めると、承武は箸を手に持ちながらも、目の前で食事を摂る玥寧の、いつ見ても清々しいほどの食べっぷりに柔らかい笑みが浮かんだ。
リスのように頬を膨らませ、もぐもぐと口を動かす玥寧は、そんな承武に怪訝そうな顔を見せる。
「……何だよ。それ、食わないならもらうぞ」
「は? なに人のものまで食おうとしてんだよ」
承武の前に置かれていた包子に手を伸ばそうとする玥寧の手を、ぴしゃりと叩き払う。玥寧は不服そうに顔を顰めていると、ふと彼らの背後にいる女性二人組の会話が耳に入った。
「ねぇ。そう言えばこの間、珍しくこの村に旅商人が来てたわよね。また来てくれないかなぁ」
「何か買いたいものがあったの?」
「色々欲しかったんだけどぉ……どれも高くて手が出せなかったんだよね。だからお金貯めておこうと思ってるんだけど、次いつ来るかなんて分からないわよねぇ……」
女性たちはどちらからともなくため息を吐いた。
こんな山奥まで物を売りに来る商人も珍しいが、村人たちにとっては、稀に来る商人が楽しみでもあった。
「そう言えば、星漢が全財産叩いて何か買ってたわね。綺麗な宝石だとか言っていたけど」
「うん。凄く綺麗だから彼女に贈るんだってね?」
「あいつ、彼女なんかいないでしょ?」
きゃらきゃらと笑う女性たちの、どこかバカにしているような発言と、星漢と言う名前を聞いて承武の手が止まった。
「……全財産叩いたって、何やってんだ」
承武は呆れたように呟くと、玥寧は口にしていた餃子を飲み込み、ふと数日前のことを思い出した。
「そう言えばこの間何かに怒ってたな、あいつ」
「怒ってた? 珍しいな」
承武と星漢は友人同士だ。その承武が思わずそう呟いてしまうほど、星漢が怒ったところを見たことがない。
「何に怒ってたのか知らないけど、尋常じゃない感じだったぞ。人が変わったみたいだった」
承武は何かを考えるように一瞬口を閉ざし、どこを見るともなく視線をそらした。
「……そういや、人が変わったと言えば、出先で変な話を聞いたな。ある日突然、おかしくなる人間が増えてるとか……」
「何だそれ。季節の変わり目のせいじゃないのか? 丁度そのくらいのタイミングで変な奴増えるだろ?」
玥寧は目の前にある最後の包子を手に取り、別段気にした様子もなく思い切りかぶりついた。
承武もまた「まぁ、そうだな」と、いつの間にか最後の一つになった角煮に箸を伸ばす。玥寧は包子を片手に持ちながら角煮を取られまいと逆手を伸ばそうとするが、一瞬早く掠め取られてしまう。
「お前、食い過ぎな」
承武がしたり顔で笑うと、玥寧は眉間に深い皺を刻んで彼を睨みつけた。




