疑問
「おかしくないか?」
「おかしいな」
玥寧の言葉に、間髪を入れることなく承武も頷き返した。
星漢の家を出て、少し離れた場所で立ち止まった二人は同時に彼の家を振り返った。
星漢と言う男は、元々お喋り好きと言うわけではない。どちらかと言えば引っ込み思案で、大人しいタイプだ。玥寧以外の女性とはまともに会話をすることもできないほど純粋で、大概背を丸めて下を向いていることが多い。そして、生真面目で気の優しい性格をしている。だから先ほど見た彼は今まで見てきた彼と変わらない。でも、一挙一動がおかしかった。
「……最近、好きな女ができたって聞いたよな?」
食堂で話をしていた時、隣に座っていた女性たちの会話を思い出しながら玥寧が言うと、承武もそう言えば、と頷き返す。
「好きなやつができたら、後先考えずに全財産叩いたり、今までできていたことができなくなるほど狂うこととかあるのか?」
真顔で承武を見上げると、承武の動きが止まる。そしてぎこちなく玥寧から視線をそらしながら頭を掻いた。
「あ、あるんじゃねぇの? 頭ん中、そいつのことでいっぱいになったりとかしたら……」
ちらりとこちらを見下ろしてくる承武に、玥寧は気付いていない。すでに彼から視線をそらし、真顔で腕を組んで一点を見つめたまま、何かを考えこんでいるようだった。
「……いや、だからってあんな極端な変わり方するのか?」
「……」
何と言えばいいのだろう。ものすごく肩透かしを食らったような、そんな微妙で複雑な表情を承武は浮かべた。
――あの様子からすると、あんまり飯も食ってなさそうだし、唇の乾燥具合から見ても、ちゃんと水分も摂ってるような感じがしない……。
何よりやつれてしまうほどのことが起こりえるのかと、玥寧は真剣に考えこんでいた。
「私たち以外の人間は部屋にいないのに、客がいるって言っていたのも気になるし……それに奥の部屋、お前見たか?」
「え?」
「あんだけ綺麗好きの星漢だ。どこかしこも掃除が行き届いているのが当たり前の中で、奥の部屋だけ異常に汚かった」
あんな星漢を見るのは初めてだ。それは承武も同じように感じているはず。たかが女一人のために、ここまで壊れるものなのかが分からない。
「……理解できんな」
「理解できないのか」
「なんだ。お前はできるのか?」
「……いや、できないけど」
どうも嚙み合わないことを言う承武に、玥寧は怪訝な表情を浮かべた。
「ひとまず、何も食ってなさそうだから差し入れに行く」
玥寧はそう言うと、自分の家に向かって歩き出した。
何に置いても食べることは大事だ。少なくとも玥寧はそう考えていた。腹が満たされれば、気分も変わってくるかもしれない、と。
家に戻った玥寧が、今朝作った粥と同じものを作ろうとして、壺を開きふいに動きを止める。
「……」
次の仕事が決まったわけでもないのに、ここで食材を使ってもいいのかという考えが一瞬頭を掠めた。だが、友人の一大事にそんな悠長なことを言っている場合ではないと、小さく頭を振る。
手際よく作り始めると、ついて来た承武が椅子に腰を下ろしてつまらなさそうに机の上に頬杖をつく。
「俺もなんか腹減ったな~」
「お前は家で食って来ただろ」
「今は粥が喰いたい気分なんだよ」
「じゃあ家で食って来い」
お前の為に食わせるほどの量はない。ぴしゃりと言い退けると、承武は深いため息を吐いて肩を落とした。
小さな小鍋に炊いた粥を持ち、玥寧は承武と共に再び星漢の家へと向かう。
「星漢。飯持って来たぞ」
再び玄関のドアをノックし、そっとドアノブに手をかけて開くと先ほどの汚れていた奥の部屋から、派手に物がひっくり返るような音が聞こえてくる。
「!」
咄嗟にそちらに視線を向けると、部屋の奥から星漢が誰かと話しているような声が聞こえてきた。
『ぼ、僕はあいつとは違う。あいつは君のこと何も考えてないに決まってる!』
その言葉に、駆けつけようとしていた承武が動きを止め、顔を顰めた。玥寧も、小鍋を持ったまま玄関先に目を向ける。だが、そこには誰の靴もなければ、人がいる気配はない。するとまた束ねられた紙が床の上に散乱するような音が聞こえてきた。
『や、やめてよ! そんなに怒らないで!』
必死に懇願する星漢の言葉に、どちらからともなく二人は顔を見合わせた。先ほどから星漢の声は聞こえるが、彼と話しているであろう相手の声が一言も聞こえてこない。
――気が振れたか?
玥寧がそう思った瞬間、扉の奥から星漢自身が飛び出してくる。
三人の間に一瞬の沈黙が落ちた。それはまるで、鉢合わせてはいけない場面に出くわしてしまった瞬間のようだった。
「星漢? 奥に、誰がいるんだ?」
承武がぎこちなく声をかけると、息を軽く荒らげていた星漢の顔つきが一変した。それは見たこともないような形相で、全くの別人の顔をしているように見える。
「……何しに来た」
低い声で呟く星漢に、玥寧は手にしていた小鍋を傍にあった棚の上に置く。
「何も食ってないみたいだったから、粥を作って来たんだ」
「頼んでなんかないっ!」
驚くほど大きな怒鳴り声をあげ、肩で大きく息を吐き鬼の形相で睨みつけてくる。
「お前も……どうせ邪魔をしに来たんだろう!」
意味の分からないことを叫びながら、傍にあった花瓶を掴み、躊躇なく玥寧に向かって投げつけてきた。
「玥寧!」
咄嗟に承武が玥寧の腕を掴んで自分の方へ引き寄せると、間一髪のところで花瓶は壁にぶつかり、木っ端みじんに砕け散った。
「……」
玥寧は特別驚いた様子もなく、興奮状態の星漢を食い入るように見つめた。
異常だ。この凶暴性、あの野犬に似ているような気がする……。
違和感が拭えない玥寧は、ふと彼の手に握られていた青い石のペンダントを見た。
――あいつ、あんなの持ってたっけ?
装飾品には興味がないと言っていたはずだが……。
「玥寧! ひとまず引き上げるぞ!」
手を掴まれ、急いで二人は家を飛び出した。
ある程度の距離を取ったところで、息を荒らげて足を止めた玥寧は、もう一度星漢の家を振り返る。
「……あいつ、相当拗らせてやがるな」
ボソッと呟いた承武の言葉に、ふと玥寧は思い出した。
「あぁ。なるほど、あれか。好いた女にあげようとしてる宝石ってのは」
納得したようにポンと手を打ち、事も無げに呟く緊張感のない玥寧に対し、承武は呆れたような顔を浮かべた。




