⑤一方その頃……
真白な靄の中、銀の髪が揺れる――王華は独り野営の森を歩いていた。
金烏将軍率いる〝浄化部隊〟での初任務は、地神界へと赴き魍魎を浄化させるというものであった。その緊張が覚めやらぬせいか早朝に目が覚め、髪も解いたままでぼんやりと結界の中をそぞろ歩く。
ひんやりとした空気、流れくる色々な匂いに鼻を澄ませ、琥珀色の目が細められる。
熊威を起こそうかな。
幼馴染の寝顔を思い浮かべる。王華と同じく今日が初出仕であるが、物怖じしない性格のせいか、軍幕の中ぐっすりと眠っていたので声を掛けなかった。だが、余りにも心地良い朝を独り占めするのは勿体ない気がして、足を止める。
踵を返そうとした時、空気が震えた……王華は、んん? と顔を上げ、それから少し目を見開く。
遠くから物凄い速さで近付いてくる神気――それは王華の良く知るもので、しかも、怒気に満ちている。
頭上に影が落ちた……刹那、容易くは破れない筈の結界が一瞬で引き裂かれ、赤い火の粉を残して燃え落ちる。大きく開いた穴から飛び込んで来たのは、一際大きな銀鼠色の毛皮持つ狼。
「父様!?」
職務中は〝将軍〟と呼ぶと決めていた事などすっかり忘れ、王華は思わず声を上げた。狼は獣身化を解くと、黒髪に銀衣の大柄な男の姿となってにじり寄る。余程慌てていたのか、髪は金の冠で纏め上げられているが、その装いは軍衣ではなく普段着のままである。
「綾羅は!? 何処におる!!? お前なら知っておろう!!」
怒りと焦りを露わにした父――オオノ神の勢いに戸惑いながらも、王華は何とか問いに応じる。
「へ、え? と、綾羅は……昨日、城で別れたきりで……帰りは父様にお願いすると言ってましたけ、ど……」
そこまで口に出して王華は、はっとした。
綾羅が長年、黄龍に想いを寄せていたのは嫌になるほど良く知っている。
昨夜は唯一、主神様がお独りで祈りを捧げられる日……まさか?
その表情を見て取り、オオノ神は王華の細い両肩を力強く掴んで迫った。
痛っ、と思わず声を上げるが、焦りに駆られたオオノ神の耳には届かず、王華はそのまま木の幹へと押し付けられる。
「心当たりがあるんだな!!?」
その腕を振り解こうと肩を捩らせる……が、全く力敵わず顔を歪める……と、不意に痛みから解放された。
「おイおイ、何してんだ!? 狼よォ!!」
異変に気付き、駆け付けた金烏将軍――ヤタノ神がオオノ神の腕を掴み上げていた。大柄なオオノ神に比すれば細身であるにも関わらず、軽々と引き剥がして己の方にその巨躯をぐいと引っ張る。勢いそのままに跳躍すると、オオノ神の額に頭突きを一発、喰らわせた。
「オレの結界を侵犯すんじゃねェ!!」
顰め面のオオノ神を睨み付けたままでヤタノ神は王華を背に庇う。肩口に赤と金の糸で豪奢な刺繍が成された黒衣を身に着け、腰帯には龍の意匠の金具、黒い髪は同じ意匠の金の冠で頭上高くに纏められている。
オオノ神は一度、瞬きし、少し冷静になった琥珀色の目でスマンと言った。
「用があるならオレを通せ。任務中だ」
居住まいを正して拱手をし、オオノ神は軽く腰を折る。
「火急の用だ、王華と話させてくれ」
ヤタノ神は、解った、と王華を庇う背を退けた。
オオノ神は改めて王華に向き合い、その両肩を分厚い手で撫でる。
「……スマン、王華」
「いえ、僕は大丈夫です、父様。昨日、綾羅は帰って来なかったのですか?」
「形代だ」
「形代?」
「帰って来たと思ったのは、綾羅に化けた形代でな……儂もサクヤもそうとは気付かず……朝になり、寝台に残されたこれを見つけて初めて気が付いたんだ」
オオノ神は、襟元から小さな布製の人形を取り出した。王華の掌に乗せられたそれは、綾羅が子どもの頃から肌身離さず着けていた、龍を形取った手縫いの人形。未だ綾羅の神気を纏って小さく揺れている。
「これは……ああ……もしかして、綾羅が術を……?」
うむ、とオオノ神は頷く。
「これに力を貯め込んで、術を発動させる種とした、らしい」
綾羅の気持ちを思い、王華は俯く。
誰にも内緒で、独りで悩んで考えて、策を弄する程に……ほんとうに主神様の事、好きだったんだ……
「コイツで探してやろうかァ?」
横からの声に王華は顔を上げた。ヤタノ神の掌から黒い塊が湧き上がり、見る間に三本足の烏へと変化する。烏は愛嬌のある表情で一声鳴き、主人の肩へとぴょんと飛び乗った。
「いや、それには及ばん」
オオノ神は王華の肩に置いた手に少し力を込め、真っ直ぐに見つめる。王華もまた視線を真面に受け止めながら、考えを巡らせる。
想いを伝えられた所で、主神様が綾羅を相手にする筈がない……今頃、諭されて泣いてるんじゃないかな……いや、叱られてるかも。牢に入れられたりしてないよね!?
「父様!!!」
オオノ神は、ああ、と短く応じる。
「綾羅は主神様に想いを寄せています。いつか愛を告白したいと……僕には良く、話していました」
その言を聞くや否や、一気にオオノ神の形相が恐ろしい物へと変化した。
「だから、綾羅はまだ雲上宮に……あっ、父様っ!」
オオノ神は王華から離れると同時に狼へと変化し、止める間もなく地を蹴り空へと駆け上がった。




