④告白
どれ程の間、沈思していたのか……気付くと歌声は止み、泉に綾羅の姿は無い。代わりにきらと光る物に気付いて木陰を出た。
泉の上を浮き進むと、小さな光の欠片が舞い上って黄龍の身体を螺旋を描きながら包み込み、流れるように岸へと向かった。目で追うと、そこには上半身を岩に預けたままで目を閉じる綾羅の姿があった。
その傍に近寄ると、黄龍は静かにその顔を眺める。
母親に良く似ていると思ったが、凛とした母に比すれば随分と柔らかな面立ちをしている。
声を掛けるが、どうやら眠っている様子で瞼は動かない。
「……綾羅。起きないか」
そっと肩を撫でる……軽く叩く。
起きそうにも無い綾羅をそのまま放っておく事も出来ずに、黄龍は神力でもって浮かび上がらせ、己の腕に抱いた。森にある御殿へひとまず連れて行こう、と。
何か、むにゃむにゃと寝言を言っている……気になり耳を寄せる。
「……私の黄龍さまぁ……」
囁きの言葉にぴたり、黄龍の歩が止まった。
この娘は、私の、事を、……?
今まで、その地位を狙って女子が近付く事は幾度もあった。
万一、綾羅が妃となると、その権益を受け得る者はその一族――だが、綾羅の父も母も、権力などには微塵も関心がない。兄はようやく冠礼を迎えたばかりの若輩者であるし、そのような兆しは今の所は見受けられない。
綾羅の父は黄龍の友であり、将軍として信の置ける配下でもあるが、幾度か屋敷を訪れた折に娘から己を遠ざけようとしていた事は明白であった。
つまり何らかの企みなどでは無く……
そう考えを巡らせていると、腕の中の綾羅が身じろぎをした。
ゆっくりと瞼を上げる。
黄龍の目と目が合う……途端に大きな琥珀色の瞳を更に大きく見開き、綾羅は何とも嬉しそうに笑みを咲かせた。すっと伸ばされた細腕が逞しい首に絡められ、甘い香がふわり舞う。その初々しく可愛らしい笑みに目を奪われていると更に香が濃くなり……ごく自然に寄せられた柔らかな唇が、薄い唇に、重ねられた。
心地良い感触を残し離れた唇は小さく開かれたまま……その瞳は黄金色の瞳に魅入られうっとりと細められる。
「きれい……黄龍様の、め」
幼子のように呟き、物言わぬ黄龍の頬を手のひらで包み込むと、微笑んで見詰める。
「夢でも嬉しい……お慕いしております……黄龍さまぁ」
舌足らずな物言いで愛を告白する娘に、黄龍の胸がとくりと音を立てた。
その小さな鼓動が甘い痺れとなって身体を巡る……己自身に戸惑いを覚えながらも、心惹かれるままに顔を寄せ……口付けを一つ、与えた。
ゆっくりと離れると、うっとりと惚けたような綾羅の微笑みを見下ろし、問いかける。
「……綾羅よ。我が妻になりたいと申すか?」
「はい。貴方様が空を舞われたあの日からずっと、ずうっと、夢見てたの」
少し赤い耳で、そうか、と呟くと、黄龍はそっと綾羅を草の上へと下ろした。
「歩けるか? あちらの御殿で少し……話そう」
はぁい、と返事をして綾羅は黄龍の腕に自分の腕を絡め、頭を肩へ凭れさせた。
不意に風が吹き、静謐な冷たい空気が頬を撫でる。
夢……よね? と自分の頬を抓る……その痛みに、違うと気付いて綾羅は叫ぶ。
「ええぇー!! 夢……じゃ、な、い……?」
小さく笑う黄龍を見上げ、その温もりが本物であると気付いて、綾羅は腕を解いた。
数歩下がって膝まづき、額を草の上に付ける。
「も、も、申し訳ございません……! ゆ、夢かと思い違いいたし……ました……主神様にご無礼な真似を……」
全力で謝罪の言葉を口にしながら、綾羅は、あれ? でも、口付けを返してくれたような……? と考える。
突然、身体が宙に浮く――逞しい黄龍の腕に抱え上げられ、綾羅は両の足を地に着けた。
「構わぬ。それより……どうやってこのような時間に家を抜け出した? 父が許さぬであろう」
お咎めを受けなかった事に安堵しながらも、まだ混乱気味の綾羅は一呼吸置いてから口を開いた。
「えと、あの……み、身代わりの、形代を置いて来ました……」
親を騙すと言うのは、神として余り宜しくない行動であるので、少し口ごもる。
「形代? よくぞ彼奴を欺いたものだな」
叱るというよりは関心した風に黄龍は呟く。
「おいで」
何時ものしかつめらしい表情からは想像できない柔らかな微笑みに綾羅は安堵する。
本当に夢じゃないの? と訝しみながらも、胸から湧き上がる嬉しさに笑みを零れさせ、綾羅は差し伸べられた大きな手を握りしめた。
「今宵は存分に聞こう。綾羅の、私への想いを」
政権には全く無関心な将軍の娘を妻とする、娘も己に惚れている。これで万事事が収まる――後は父親さえ納得させれば。
そのような打算を考えながら、黄龍は歓喜する綾羅を御殿へと誘った。




