③黄龍は悩む
只でさえ深い眉間の皺を更に深くさせ、黄龍は森へと向かっていた。
思えばかつて父母を亡くし、天から地へと堕とされた幼き時から今の地位に至るまで長き時を要した。龍神の里の長として迎えられ、そのまま其処で成年を迎えて〝タカオ神〟となり、やがてオオノ神はじめ多くの神々の力を借りて天の玉座を得た。その後、秘されていた父の力を継承し、黄龍様と呼ばれるようになって久しいが、未だ課題は山積している。
龍神不在の長き時の間に、絶対的な存在であった龍神の権威は薄れ、宮中にはヒトの世に倣う風潮が蔓延していた。
ヒトより捧げられし供物を恣に得ようと策を弄し、果たすべき役割を放棄してより高い地位に着かんとする怠惰な神々の横行。
その者らを切り捨てるのではなく、ひとまずは適切な場へと配置し、徐々に遠ざけて行く――前の主神より禅譲を受けてから十余年、ようやく中央を龍神とその眷属だけで固める事が出来た、のだが……
政が落ち着き始めた昨今、頭を悩ませているのは、黄龍妃問題である。
〝龍神に在らざれば婚姻せぬ〟
常日頃、そう公言しているのには訳がある。何故なら現状、女の性を持つ龍神は存在しない――つまりは〝誰とも婚姻するつもりがない〟と言う意思の表明であるのだが、政が落ち着いて来たと見るや否や、婚姻を薦めて来る者がやたらと増えた。つい先日も、寝所に裸の女性が侍り居り、引き入れた者を叱責した所である。
黄龍は妃を迎える必要が無いと考える。何故なら、己には優れた双子の弟――黒龍であるクラオ神が居る。国事を相談し、取り決め、同じ道を歩んで行ける弟が存在する限り妃は要らぬ――そう考えるのだが、周囲はそうでは無いらしい。それほどに黄龍の血族に連なる事には旨味があり、その利権を誰よりも良く理解しているが故に、簡単には決められない。
巷では〝黄龍と黒龍はその実、比翼連理の夫婦であるが故に妻を娶らない〟などと言う噂が流れている。いっそそれは真実であると言う噂をまことしやかに広めたら楽になろうか、と、つい先程、弟に相談したのだが、顔を引き攣らせ、〝それだけは嫌じゃ!!!〟と全力で拒否されてしまった。
政以外に心を砕きたくは無いが、近々に答えを出さねばならないな、と落ち着いた所で顔を上げる――何時の間にか目的地の森へと足を踏み入れていた。夜の天蓋に覆われ緑い光を放つ森の中、明黄色の衣が揺れる。
歩を進めていくと、微かな音が耳に届く……さやかな女子の歌声が。
誰だ? と訝しんで、背後に付き従って居る者を黄金色の縦長の瞳で睨めつけた。寝所に裸の女を手配した件の男である。
「御前の企みか?」
恐れ戦かずには居られない程の鋭い眼光を平然と受け流し、男は口を開く。
「おれにはこの森への立ち入りを許可する権限まではありませんよ、さすがに」
常に微笑を絶やさぬ男は、砕けた口調で答えた。幼き時より側に付き従うこの男と二神きりの時はこれが普通であり、黄龍は事も無げに、そうか、と呟く。
素直に耳を傾けると流れくる声は耳に心地良く、自然と眉間が緩む。一時の怒りを鎮めて声を辿りゆくと、やがて泉へと出た。
木の影から垣間見る――美しい声で歌いながら踊る銀色の髪の女神に、黄龍には確かに見覚えがあった。
「サクヤ?」
まさかこんな時刻に、夫を持つ女神が独りで居る筈も無いのだが、思わずその名を口にし、いや違うと小さく頭を振った。
サクヤと同じ面差しをしているが、目の色が違う――そうだ、先日の、冠礼の祝賀の折の舞い手の一神。
「綾羅、か」
「ですな。少々お待ちを……立ち退かせます」
徐に木陰から出ようとする男の前にすっと腕が突き出された。
「構わぬ」
少し驚いたように目を見開いて黄龍の顔を見、男は、は、と小さく応えて背後へと下がった。
何故このような夜更けに? と訝しみながらも問い声を掛ける事はなく、木陰から静かに覗き見る。
ふわふわたゆたうほのかな光を纏いて舞う女神――若々しい肢体はしなやかに躍動し、それに合わせて銀の髪が、両の腕に巻かれた帔巾が揺れる。その踊りは洗練されたものでは無いがひたむきな想いに溢れ、しばし眺めていると、静かな夜の祈りに相応しい追悼舞であると分かる。
「……菓子を持て」
再度、は、と短く応えると、男は黄龍を残してその場を去った。
今宵は特別な夜、決済を仰ぎに来る者は誰も居ない。
ようやく寛いだ心持で表情を緩め、祈りを捧げる舞を眺めている内に、黄龍は自然と思いを馳せていた――綾羅の母、サクヤとの奇縁に。
かつて敵として対峙し、戦ったサクヤ――いや、賦神ジンが軽やかに攻撃を躱すその姿と、目の前で華麗に舞う綾羅の姿が脳裏で重なった。
顔の造作だけで無く、体つきや所作まで良く似たものだなどと頭の片隅で考えながらも、心は時を遡る。
これまでにあった様々事が浮かんでは消え、浮かんでは消え……やがて父母への想いだけが残る――無き者を哀悼するような可憐な歌声は黄龍を深く深く過去へと誘った。




