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2/17

②嘘

 並び建つ三軒の御殿を中央に配し、その広大な敷地内に多くの建物を擁する〝雲上宮〟――曇り空は何時の間にか晴れ、注ぐ陽の光が無数の黄屋根瓦を真白く照らす――空に白い鱗を輝かせながら舞う白竜のような美しさから、〝白竜城〟とも呼び称される。

 幼い頃から慣れ親しんでいる、いつも通りの眺め――の筈が、王華にはいつもよりも光が眩しく感じられ、目を細めて少し硬い面持ちを浮かばせていた。

 先日、王華は十八の齢を迎えて冠礼(かんれい)の儀を終え、成神(おとな)となった。今日は王華にとっては武官として初出仕の日であり、自然と湧き上がる緊張に心の臓は少し速い鼓動を打っている。

 目的地が見えると王華は降下し、城の結界の壁ををすうと通り抜けた。そのまま城の北にある小さな森へと、背中の妹を気遣いながら静かに降り立つ。

 本来ならば徒歩で正門を潜り、その後いくつもの門を、門番の許可を得て通り抜けようやく辿り着く森である。が、城の主――全ての神を統べる〝主神〟である黄龍が、狼の一族には特別に森への直接の立ち入りを許可しているが為、双子は何の干渉を受ける事もなく森へと降り立った。それは、黄龍と父とがかつて〝誓い〟を交わし合った戦友であり、それが故に双子が得ている数多の恩恵の内の一つであった。

「じゃあ僕は演武場へ向かうから……綾羅も頑張って、真面目にね」

「分かってるぅ~。王華もがんばってぇ」

 うん、と頷いてから王華は狼から神身へと変化する。

 細い線の整った顔立に緊張の色を見て取った綾羅は、王華の両手を自分の両手で包み込んだ。にこぉ、と明るく微笑んで背伸びをし、それから一つ、軽く口付ける。

 狼の一族にとって口付けは親愛の証に他ならず、日常的に行われている――勿論、兄妹の間に恋愛感情は無く、気軽に挨拶を交わすのと何ら変わりないものである。

「王華はとぉっても強いんだから、大丈夫。でも、いざとなったら、泣いちゃえ」

 いつもながらに的外れな妹からの助言に、王華は、ぷ、と少し吹き出し笑いをした。あれ? と呟いて綾羅は小首を傾げる――こんな所まで、本当に綾羅は母様に良く似てる、と王華は秘かに想う。

「うん、ありがと。いざとなったら、そうするよ。じゃあ……行ってきます」

 少し和らいだ笑顔を見せてから、王華は、あ、と声を上げる。

「僕、泊まりになるけど、任務の合間に迎えに来ようか?」

「ううん、途中で抜けちゃ、ダメよぉ。それに、帰りは父様にお願いしてるから、平気」

 そっか、と言うと、王華は狼へと変化し、空へと駆け上がる。

 初めて兄に嘘を吐いた事にほんの少し胸を痛めながら、綾羅は高く舞う狼の姿を見送る。やがてその姿が見えなくなると、ふぅと息を吐いて歩き出した。

 綾羅には、今日一日、嘘を()いてでもこの場で過ごさねばならない理由があった。

 胸元の紐を解いて上衣を脱ぎ捨て、きちんと纏め上げていた髪を一部下ろす――さやかな風に揺れる髪は陽の光を受けて輝く。

 襟元に細い指を差し入れると、綾羅は小さく折りたたまれた薄布を取り出した。端を摘んで風に靡かせると、それは景色が透けて見える程に薄い絹織りの帔巾である。ふわり、両の腕に絡めると森の中央へと歩を進める――美しく澄んだ泉が横たわっている。更に歩を進めて綾羅は泉へと足を踏み入れる――その足は水面すれすれに浮かび、濡れる事はない。

 綾羅の神力はほんの微弱な物であり、空を飛ぶ事は出来ないが、少し浮かぶくらいの事は出来た。歩を進めるごとに足下の水面が同心円の波を描いて広がり幾重にも重なっていく。

「黄龍様……」

 愛しい想い神の名を呟きながら目を閉じる――かつて見た、鉛色の雲を裂いて空を舞う黄龍の姿がありありと脳裏に浮かんでくる。

 それは綾羅が幼い頃の事。

 理由は良く分からなかった――が、初めて瞳に映す優美な黄龍に、まるで魂を鷲掴みに奪われたかのように、綾羅は魅了された。

 その黄龍が父の友だと知ったのは、その翌日。屋敷に現れた男の正体が黄龍であると知った時、余りの嬉しさに、その唇に口付けた己の幼さを思い出すと恥ずかしさに身悶える思いでもあり、羨ましくも思いながら、頬を赤く染める。

 その後、幾度か黄龍は屋敷を訪ねて来たのだが、二神で話す事はできなかった。過保護な程に〝娘に付く悪い虫〟は全て排除したい父が、決して近付けさせなかったからだ。

 やがて十五歳で笄礼(けいれい)を迎え婚姻できる成神(おとな)となっても綾羅の心は一途なまま黄龍を求めて止まなかった。

 今日は、黄龍の父母の命日――この日は密かに、黄龍はこの森で静かに祈るのだと知った日から、綾羅は二神(ふたり)きりで会う計画を進めて来た。

 幼い頃に亡くした父母を追悼する――国事とはせず、私事として厳かに想いを馳せる――そんな大切な日、大切な場に居て邪魔をする事にはならないか? 当然、綾羅は悩んだが、例え叱責を受けたとしても想いを伝えられればそれで良いと、胸を締め付ける切ない痛みに突き動かされ、行動を起こすに至った。

 美しい声が湖面に響く――黄龍を想いながら歌い、舞う。

 愛しき者への想いが心の縁から溢れて神気の輝きとなる――いつ現れるとも分からぬ神を待ちながら、柳絮(りゅうじょ)の綿毛のようにふわふわと浮かぶ小さな光の欠片を纏って綾羅は舞い続けた。

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