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⑭光

「王海よ、御前は何と戦っているのだ?」

「何!?」

「私が嫌がる娘を(さら)いに来た悪党と言うなら話は分かる。だが、娘は幼き頃より私の事を想ってくれていたというではないか」

「綾羅は何か勘違いしておるに違いない!!! 目が覚めるまで閉じ込めておけばお前の事など忘れるわ!!!」

「私以外の男なら許すのか? あれ程の美しい、しかも将軍の娘を周りが放っておく訳はなかろう」

「う、ま、まだ早い……成神(おとな)になってからまだそう経っておらん!!」

「では、百年経てば良いのか? いつまで御前の一族という檻に閉じ込めておくつもりだ。それとも、御前が(めと)るか?」

 全く以って思いも寄らぬ事を問われ、オオノ神は唖然と口を開ける。

「太古の昔から紐解くと、親子で婚姻する例は無くも無い。綾羅は御前の事を好いているという。まあ……サクヤが何と言うかは知らぬが」

「綾羅を、め、めと……」

 ひどく困惑し、オオノ神の神力が揺らぐ……ほんの僅かに(ほど)けた結界の(ほころ)びから、秘かに黄金色の力が忍び入る。

 はっと我に返るとオオノ神は頭をぶんぶんと激しく左右に振った。

「そ、そんな事はせん!!!! そ、そうだ、それよりっ、お前は、綾羅のどこを好いておる!?」

 話の矛先が己に向き、黄龍はぴくりと眉を動かす。

「どうせ良からぬ事を企んで綾羅を側に置こうとしてるのであろう! 好いてもいない癖に!!」

 滔々不絶であった黄龍の言葉が途絶えた。

「何とか言え!!! このっ、不埒者め、が……」

 結界の揺らぎに気付き、オオノ神は空をちらと見上げた。黄龍の神力に浸食された結界は頂点から崩れ始めたかと思うと、一気に瓦解する。弧を描いた天井から雨のように細かな光の粒が降っては消える。

 忌々しげに顔を歪めながら正面を見る……このままではいかん、と、再度、結界を張ろうとして、オオノ神は動きを止めた。

「……私は、綾羅が愛しい、と……そう、感じて、いる」

 黄龍は逡巡しながらも、ゆっくりと、言葉を何とか絞り出し、少しの戸惑いを顔に浮かべている。

 わざとらしい演技をしよって、と返って苛立ち、オオノ神は肚に力を込めた。怒りとともに、その内にある底なしの器から身体へと力を巡らせ、敵を凝視する。

 不意に……黄龍の視線が逸れた。

 戦いのさ中に敵から目を外すなど、またと無い好機を逃すオオノ神では無い……のだが、この時ばかりは即応出来なかった。

 らしからぬ行動……それと、和らいだ目つき。

 何が黄龍にそうさせたのか……確認せずにはいられずに、そちらを見た。

 林立する木々の間から夜明けの光が差し、光の粒をきらきらと煌めかせている。

 その光の中から弾かれたように真っ直ぐに駆けて来る影――愛しい娘、綾羅。

 許しを請いに来たのか……父様と呼んで、儂の腕の中へ……抱き締めて、もう二度と離さん。

 両腕を広げ、迎え入れようとしたオオノ神の前を掠め、綾羅はあらぬ方向へと向かった。

「黄龍さまぁっ!!」

 喜びも露わに、男の胸に飛び込む我が娘。

 驚いた顔で抱き止め、待っていたのか、と囁く男。

 オオノ神が虚しく拳を握る目の前で、綾羅は傍目も気にせず黄龍の頬に両手を添え、ふわり、口づけた。

 耳を朱に染めながら、黄龍は己の手を綾羅の手に重ね、そっと引き離す。

「綾羅、皆が……見ている」

 瞳を潤ませながらも嬉しそうに笑み、両手で黄龍の右手を大切そうに包み込むと、綾羅はその胸に寄り添ったまま、振り返った。

 オオノ神は信じられぬ光景を映した琥珀色の瞳を大きく見開き、驚愕の表情も露わに、わなわなと大きな体を震わせている……かと思うと、その輪郭が溶けるように崩れ、狼の姿へと変化した。濡れた毛皮に全身をぶるると震わせ水気を飛ばすと、くるり、背を向け、駆け出す。

「かっ……勝手にすればよいわああぁ!!!」

 霧の森にくぐもった吠え声を響かせながら、物凄い速さで逃げ去って行く。

「承諾の返事と受け取っておくぞ!!」

 黄龍は既に見えなくなった背に大声で言い放つ。それに応える声は無く、代わりに、霧に浮かぶ影が揺れた。

 柔らかく射す日が霧を晴らし、御使い狐を従えた女神が現れた。

 女神――サクヤは困り顔で微笑みながら、二神の側近くへと歩み寄る。狐はそれ以上近寄ろうとはせずに、木々の間で畏まって座している。

「ごめんなさい。昨晩、説得しようとはしたのですが……」

「全く、昔も今も、聞く耳を持たぬ奴だ」

「本当ですね。王海も……あなたも」

 そう言葉を返され、一瞬押し黙ってから、違いないな、と黄龍は苦笑いし、サクヤはくすりと小さく笑う。

「このまま城へ迎え入れるが、良いな?」

「綾羅が望むのでしたら、私に異存はございません」

 不意に、黄龍の手から指を放すと、綾羅はサクヤへと駆け寄った。勢いそのままに飛び付くと、力いっぱい、ぎゅうっとしがみつく。

「母様、ありがとぉぉ……大好きぃ……」

 サクヤは愛おしそうに綾羅を抱き締め返し、その髪を、背を、ゆっくりと撫でた。

 やがて名残惜しげに肩を優しく押し退けると、両の手と手を取り合い、悠然と微笑みかける。

「母様はいつでも、綾羅の幸せを願っていますからね」

 綾羅は瞳を潤ませ、感極まって、〝はい〟と言う言葉すら返せなかった。

 代わりにもう一度、側近くへと寄ると、その口元へと口付け、泣き出しそうな顔のままで、ようやく、手を放した。

 ふと、サクヤの視線が何かを捉えた。釣られるようにして綾羅も同じ方向を見上げる……雲間から何か白いものが降りてくる。

 空中をまるでそこに地面があるかのように軽快に駆け降りてくる天馬――豪奢な四頭立ての馬車は見る間に黄龍の傍らへと降り立った。

 御者に一声掛けてから、こちらへと向き直った黄龍は、ただ、静かに佇んで待っている。

 綾羅はくるりとサクヤに背を向けると黄龍の元へと駆け寄り、嬉しそうに目を細めながらその手を取った。黄龍は先に綾羅を馬車へと乗り込ませると、サクヤへ挨拶をするように目配せし、それから己も乗り込んだ。

 御者が軽く手綱を揺らすと天馬は地を蹴り、翔け上がる……豪奢な馬車は雲間から射す光を受けて煌びやかな輝きを放つ。

 不意にサクヤの瞳の中で景色が(いびつ)に揺らぐ――溢れ出した感情が頬を伝い、雫となって地に落ちる。

 涙の中で蓮の糸のように細かな光が散り乱れ、景色は真白に包まれる。

 霞む景色にサクヤはふらりと後ろへ倒れ込む――その背を逞しい腕が支える。

 娘の門出を言祝ぎ……また、嘆き、二つの影はいつまでも寄り添い、空を、見上げていた。

 

 暫く後、古式ゆかしい婚儀が天神界で厳かに執り行われ……主神たる黄龍も、また黄龍妃たる綾羅も喜びに満ち溢れ、参列者は皆祝福する。

 その中で唯一、終始顰め面の父親は堅く引き結んだままの口を、(つい)ぞ開く事は無かった。

 

 そして十月余り後――神界に新たな子が生まれる。

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