第61話 定時とは、ただの幻想だった
誠が予想したとおり空気を読めるアメリアはおとなしくなったらしく機動部隊に誠やかなめの出演を求めに来る完全にADが板について来たパーラの訪問は無かった。
問題演技をするかえでやリンの出番も無く、かなめも自分の演技に満足している状況はアメリアにとっては好都合だった。誠達にはアメリアからの呼び出しもかからず何事もなく終業時間を迎えた。
誠はここ最近の法術関連の事件のファイルを整理していた。そんな茜から渡された資料のまとめがようやく終わり、あとは最終チェックをするだけになっていた。隣の席で襟首のジャックに直接コードをつないでずっと音楽を聴いていたかなめが机から足を下ろした。
珍しく、今日はアメリアもかなめもカウラも誠に絡んでこなかった。今日は珍しく定時で終われる……そう思った瞬間から、全部が崩れ始めた。
「さてと、今日も終わりか。西園寺、神前。着替えるぞ」
そう言うかなめに専用端末のキーボードをずっと叩いていた安城への近況報告を終えて疲れた様子のカウラが端末の電源を落としながら伸びをした。誠も端末のデータを保存する処理を行った後、軽くこった肩を叩いた。
「さてと、今日は寮の飯は……ロールキャベツだったよな……食事当番は菰田のシンパか……アイツは私のだけ妙に量を多く作る。確かに私が『ラスト・バタリオン』としては異常なほど新陳代謝が盛んなのは事実だがあそこまでやられても迷惑なだけだ」
そう言うとカウラは立ち上がってかなめの肩に手を乗せた。
「ロールキャベツねえ……なんだかパッとしねえな。神前、おごるから月島屋に行くってのはどうだ?カウラも菰田は生理的に受け付けねえんだろ?だったらそんな奴の手料理を食ってうれしいことはなにもねえだろ?」
かなめは非常に好き嫌いが多い質なのは有名だった。ロールキャベツのキャベツ。そして付け合せのにんじん。どちらもかなめの嫌いな食材だった。
「貴様のおごりならかまわないが……神前も行くだろ?」
普段の安心したような顔でカウラは誠に笑いかけた。
「ええ、悪いですねいつもおごってもらってばかりで」
誠は月島屋では大体がランのツケで、それ以外の時はかなめのおごりで酒を飲んでいた。
「決まりだな!じゃあ……」
「待ちなさいよ!」
部屋を出ようとしたかなめの前には突如現れたアメリアが立ちはだかっていた。
「なんだよ。オメエはまた泊りか?自分の好きで始めたことだもんな。最後まで責任を取れよ。好きでやってるんだからアタシがとやかく言うことじゃねえわな。ご苦労なこった」
アメリアはそう言って彼女をすり抜けようとするかなめの肩をつかんだ。
「月島屋に行くつもりでしょ?私達にも……」
「やなこった!なんでテメエなんかにおごらなきゃならねえんだよ!オメエにゃおもちゃにされてひどい目に遭ってうんざりしてるんだ。逆におごってもらいたい気分だね!」
かなめはアメリアの顔にキスできるほど近づいてそう言った。
「そう言う割にはリンちゃんに鞭うたれてる時思わずかなり気持ち良くなってたみたいじゃないのもしかして……マゾに目覚めた?サディストは皆、マゾヒストの気があるという……なんと言っても究極のマゾのかえでちゃんとは血がつながっているんだもの。かなめちゃんが実はサドの顔をしたマゾだったとしても少しも不思議なことは無いわ……その事実を……司法局の全員にメールでバラしたら……私はさぞ面白い光景が本部に呼び出されるたびに見れるでしょうねえ……『甲武の山犬』さん♪」
どうしても仲間に入れてもらいたいアメリアはそう言ってかなめを刺激して激昂させる戦略を取った。
「誰が気持ち良くなって……た。すまん。アタシもああなると気持ちよくなるんだって自覚した……アタシは『女王様』失格かな。痛みが快感に変わる瞬間ってあるんだなって思ってた。なるほどこうしてマゾは生まれるんだなあとか考えてた。神前、アタシを襲いたくなったらそん時は言え。ちゃんと荒縄と鞭と蠟燭を用意してそれでアタシを満足させるような攻めを教えてやる。プロの『女王様』が自ら雌奴隷として自分の望む責めを教えてやろうというんだ。感謝しろよ……ってアメリア!なんてことをアタシに言わせるんだ!それにそのことを司法局にばらまく?どうせオメエのことだからどさくさ紛れに東和の軍や警察関係者にまでばら撒くんだろ!そんなにアタシを脅してまで飲みに行きてえのか!正気か?オメエ?」
突然、落ち込んだようにかなめはそう言ったのが周囲にとっては意外な反応だった。
「やはり姉妹ね、性癖はかえでちゃんと同じってわけ。じゃあ、私の持つありとあらゆるネットワークにその恥ずかしい秘密を暴露されたくなければ素直におごりなさい!おごったら私が新『女王様』としてかなめちゃんを気持ちよくしてあげる!私もマゾに目覚めたばかりのかなめちゃんを徹底的にいたぶるってことを一度やってみたいの!かえでちゃんはプロのマゾだし、宇宙一のサドのかなめちゃんですら手の負えなかったんだから私には手に余るから初心者マゾのかなめちゃんくらいがちょうどいいんじゃないかなあって思ってるわけよ。それを認めてくれたらさっきのかなめちゃんの新たな境地をばら撒くのも無しにしてあげる。私は男にひどい目に遭わされたことには今でも嫌な気分なの。だから貴族のお姫様に恥辱と凌辱の限りを尽くすのには興味津々なのよ。誠ちゃんもそっち系は初心者でしょ?私は師匠が実は男に対しては完全サディストだったからお付きでそう言う店にも通ってたからその手のことは知り尽くしているのよ!かなめちゃんがどんな雌豚になるか楽しみね♪」
一人動揺していなかったアメリアは高らかに命令口調でかなめにそう言った。
「気持ちよくなるのとおごるのは話が別だ!それにリンや使用人を責め慣れてるかえでと違って素人のオメエに鞭や縄の扱いが出来るとは思えねえ!あれはあれで慣れと技術が必要なんだ!オメエも師匠の横で着物の入ったカバンを片手に見てただけだろ?そんな奴にサディストの神髄を極める事なんかできるもんか!今度、かえでに頼んで縛って鞭打ってもらおう!そしてそのまま神前のでかいアレを……」
とんでもないことを言い出しかねなかったので誠は思わずかなめの口をふさいだ。
「分かったわよ!じゃあ、今日はご苦労さんと言うことで私がおごるわ!かなめちゃんは後日、かえでちゃんとリンちゃんに気持ちよくしてもらいなさい!じゃあ行くわよ!」
自棄になったアメリアはそう言うと部屋を出ようとするがそこには小夏とサラとパーラが立っていた。
「クラウゼの姐御、まいどあり!」
「アメリア、以前の車貸した時の貸しはまだ返してもらってなかったわよね。月島屋の焼鳥フルコースで手を打つわよ!」
小夏とパーラにそう言われてしまえばアメリアに逃げ場は無かった。
「分かったわよ、パーラの分は出すわよ。じゃあ、他の分はかなめちゃんで」
アメリアは上手い事おごる数を減らすことを考え付いた。
「えー!やっぱりアタシがおごるのかよ。まったくなんでサラの分までださなきゃならねえんだよ!」
かなめは明らかに不服そうにそう叫んだ。
「外道!おごると言ったら気前良く行くのが甲武ザムライの心意気だろ?」
サラの後ろに隠れていた小夏が叫んだ。その言葉にかなめはつかつかと小夏に迫って行った。
「あのなあ、アタシは客なんだぞ。いつも外道呼ばわりしやがって。カウンターを三回壊したくらいで偉ぶるんじゃねえ!それにアタシは『公家』だ!『サムライ』じゃねえ!『サムライ』は公家に仕える使用人だ。そんな使用人の立場もわきまえずに自分の国を『サムライの国』なんて気取ってる連中と一緒にするな!」
かなめは小夏の言葉にキレてそう言い返した。
「西園寺、壊したのは四回だ。それとテーブルを三つ、椅子を10脚くらい付け足しておけ」
そう言うとカウラはかなめと小夏の脇を通り抜けて誠をつれて更衣室へ向かう廊下を早足で歩いた。
「良いんですか?カウラさん。西園寺さんまた色々理屈をつけてアメリアさんと喧嘩を始めそうですよ」
先に立って歩いていくカウラに誠は恐る恐る声をかけた。
「いや、喧嘩にはならないだろ。あいつは金のことでは喧嘩をしないからな。昔から言うだろ『金持ち喧嘩しない』と」
かなめのことはすべて分かっているというようにカウラは歩き続けた。
「でも……」
「安心しろ。あいつの持ってるカードはサイン一つで巡洋艦が買えるようなカードだ。西園寺の家の裏書にはその位の価値があるということだ」
あっさりそう言うとカウラは女子更衣室に消えてしまった。誠は振り向いた。遠くに見えるかなめ達はなにやら耳を寄せ合いながら時々誠を眺めるようなそぶりをしていた。
その時、急に誠の体は体重を預けていた男子更衣室に引きずり込まれた。
「神前先輩!」
男子更衣室の扉が開いて倒れそうになった誠を抱き起こしたのは第二小隊のアン・ナン・パク軍曹だった。思わずあわててアンの手の中から誠は逃げ出した。
「先輩!」
アンはいつものように誠の胸に飛び込もうとするのをなんとか誠は押しとどめた。
「あのなあ……くっつくな!アンには彼氏が居るんだろ?これは浮気にならないのか?それはまずいだろ?」
「先輩……先輩となら浮気の一度や二度は経験しても良いかもしれないと思ってるんです……今の彼氏は先輩が僕を振り向いてくれるためのつなぎ……先輩の人間離れしたアレをいつでもお尻に入るように日々訓練しているんですから!」
「やめろ!アン!声がでかい!……あとその事は二度と言うな!昔っからそれは俺のコンプレックスなんだ!」
誠は必死になって涙目で自分を見つめて来るアンに向けてそう叫んだ。西と同じ十代の最年少と言うことで隊の女性陣とその女装があまりに似合うのでその趣味のある整備班員に可愛がられているアンを泣かせるのは本意ではない。しかし誠はねっとりとしたアンの視線はどうしても苦手だった。
「着替え終わったら外で待ってろ。俺達は月島屋に行くから連れて行ってやる!」
「え!本当ですか!」
満面の笑みを浮かべるアンはそのままダウンジャケットを手にしたまま浮かれて更衣室を飛び出して行った。誠は安堵のため息を漏らすと自分のロッカーを開く。背中で再び更衣室のドアが開いた気配を感じて振り向いた誠の前には更衣室の入口を塞ぐように整備班のつなぎ姿の島田が立っていた。
「おう、神前なあ。あれどうにかしろよな!あの二人は神前の担当だろ!俺は関わるのは御免だぞ!」
入ってくるなり島田は誠にそう言うと廊下の先で騒いでいるかなめとアメリアを指差した。
予想通りアメリアの襟首をつかんで怒鳴り散らすかなめとそれでも余裕の表情で色々とかなめの弱みをしゃべり続けるアメリアを見て誠は頭が痛くなってきた。
「あれ、僕の責任ですか?あの二人が喧嘩をするのはいつもの事じゃないですか。ほっておいてもそのうち収まりますよ」
誠は無責任にそう言うと着替えを再開した。
「そうでもねえだろ?結果アメリアさんに口喧嘩で負けた西園寺さんが壁に穴を開けたりこの更衣室のドアを破壊する責任もオメエは取れるっていうのならほっといても良いっていうオメエの言葉も理解できる。そもそもアメリアさんと西園寺さんはオメエの護衛と言うことで寮にいるってことは当然オメエの担当だろ?西園寺さんがキレて何かを壊す度に整備班が修理に回って下手な手間が増えて面倒なんだよ。なんとかしろ!」
確かにかなめが隊の備品を壊したことは一度や二度では無かった。その度に整備班が修理をするか、整備班ではどうにもならない時には管理部のパートの白石さんのコネでメーカーに安く代替品を売ってもらうことになった。
「担当とかそう言うことでは無いと思うんですけど……」
苦笑いを浮かべながら上着をハンガーにかけた。
「それじゃあアンだけじゃなくて俺とサラの分もオメエが払えよ。これまでの西園寺さんが壊したものの直した迷惑料だ。当然の話だよな?」
島田はいつものように誠に向かって先輩風を吹かせてきた。 島田のそのにやけた顔を見て誠は今日はこれで終わらないらしいことだけは理解できた。
「なんですか?それは!迷惑料って!それって恐喝ですよ!カツアゲですよ!ああ、島田先輩はヤンキーだからカツアゲは慣れてるんでしたよね……でも僕は払いませんからね!」
島田の突然の発言に驚く誠だが、すぐに島田がアンとの会話を聞いていたことに気づいて顔を赤く染めた。
「カツアゲなんかじゃねえ!迷惑料がカツアゲに当たるなら、男女を問わないモテモテ野郎の有名税だ!あれだろ?最近アメリアさんが始めたお前が絵を描いてる同人ゲームの通販がうまく行ってるらしいじゃないの?俺にもたまにはその環境を整えてあげている感謝の念を持ってもらわないとねえ……」
そう言いながら島田は素早くつなぎを脱ぐとビンテージモノのジーンズに足を通しながら誠を見つめていた。
「分かりましたよ!でも今回だけですよ」
そう言うと誠はジャンバーを羽織る。目の前では、してやったりと顔をほころばせる島田がいた。
「まあ俺としてはお前のことは買ってるんだ。俺もパイロット志願だったから分かるが操縦技術の上達速度はやっぱりお前さんの方がずっと上だからな」
島田はそう言いながらロッカーからヘルメットの入った大きなかばんを取り出し、その後ろから手鏡を取り出すと髪の毛を整え始めた。
滅多に人を褒めない島田に褒められて誠は舞い上がっていた。その浮かれぶりは自分の財布の軽さを忘れさせるレベルのものだった。
「おごるのは今回だけですよ。次からは西園寺さんが壊した具体的なものとそれに罹った手間を具体的に説明してからそういうことは行ってください。まあ、先輩に認められるのは悪い気分じゃないんで……気持ちよくおごらせてもらいますね……」
誠は確かに今日は懐具合が暖かかったので、島田の調子のいい言葉に乗せられて我ながら単純な奴だと思いながら誠はそう口にしていた。
「まあそれじゃあ行くか。ちょうど今月はバイクの部品を買ってピンチだったんだ。サラも新しい服を買いたいって言うしな。感謝してるぜ」
立ち上がろうとした島田の首筋に外から手が伸びてきてそのまま入り口に引っ張られた。
「ほお、島田。後輩に飯をおごらせるとはずいぶん了見の狭い先輩じゃねえか……え?島田准尉……ずいぶんと出世したもんだな……アタシは大尉、テメエは准尉。軍隊は階級がすべて……その大尉殿が部下におごらせるような恥知らずを黙って見逃がすと思うのか?」
ぎりぎりと島田の首を締め付けながらそう言ったのはかなめだった。
「西園寺さん、ちょっと……首!」
不死人の島田とは言え、痛いものは痛いし苦しい時は苦しかった。身もだえ、青ざめ、誠に助けを求めてきた。
「おう、神前。こいつとサラとアンの飯代はアタシが出すぜ。まあその分こうして……」
さらに締め上げるかなめの腕に島田がばたつく動きを弱め始めた。
「おい、西園寺。殺すなよ……ああ、島田は死なないんだったな。じゃあ一回ぐらい殺しても構わん。不死人が窒息死するところは一度見てみたいと思っていたところだ。一度くらい良いだろう。やってしまえ」
茶色いコートに長い明るい緑のポニーテールを光らせるカウラが笑顔でかなめにそう言った。
「た……た……」
「正人、自業自得よ」
思わずサラに助けを求めようとした島田だが、サラもまたこの状況でかなめを説得できるなどとは思ってはいない。
「ちょっと!死んじゃいますよ!やめてくださいよ!顔が青くなって来ましたよ!」
誠の言葉を聞いて初めてかなめは手を離した。そのまま島田は四つんばいになって咳き込んだ。
「大丈夫?正人?正人は死なないから大丈夫だと思うけど」
そう言って駆け寄るサラだが、本気で心配しているような様子は無い。
「じゃあいいわ。アタシのおごりだ!吐くまで飲めよ!……着替えたらな!」
結局、月島屋の払いはパーラだけはアメリア持ち、残りはかなめ持ちという妙な決着になった。かなめはその決着が気に入らない様子でいかにも不機嫌そうに一人廊下の闇の中に消えていった。それについて行こうとするいつものいつ買ったのかよくわからない赤いダッフルコート姿のアメリアを誠は呼び止めた。
「どういう話し合いをしたんですか!また二日酔いで出勤は嫌ですよ!」
真剣な顔でそう言う誠だが、アメリアはそれに楽しそうに笑みを浮かべただけで彼の手を振り切ってかなめのように闇に消えた。
「まあ、残念としか言えないな。とりあえず胃薬を用意しておいたが……飲むか?」
カウラはコートのポケットから錠剤の胃薬の入ったビンを取り出した。彼女がこういうものを必要としない自制心のある女性だとは知っていたので、それが自分に飲ませるために買ったものだと言うことは誠にも分かった。
「とりあえず後で頂きます」
「いや、これは食前に飲むのが良いらしいぞ。今すぐ飲んだ方が良い」
そう言って少し笑みを浮かべながらカウラは錠剤の蓋を開けた。そのまま彼女から三錠の胃薬を受け取るとそのまま誠は一息にその錠剤を飲み下した。定時とは、ただの幻想だった。




